ふるやの森

地球文明の再生に向かう
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【再投稿】ディスクロージャーとNESARA公布を各国政府に要求しよう

2012-04-08 15:56:27 | 地球解放

<要請事項(案)>

1 9・11「テロ」事件とET/UFO実在の真相の公開

(1)9・11WTCビル倒壊が内部爆破によるものであり、イラク占領が何ら正当な根拠のない侵略犯罪であったことは、もはや明白である。
アメリカ同時多発テロ事件陰謀説フセイン大統領の手紙

この問題は私たち人類にとって、見過ごすことのできない重大な意味を持っている。もし、旧ブッシュ政府がイラク占領を正当化するために「テロ」事件をねつ造したことが事実であるとすれば、当時のアメリカ政府とそれに協力したイギリス・日本を始めとする各国政府は、国民を虚偽情報で騙しながら重大な戦争犯罪を犯したことになるからである。事件後10年を過ぎた今も未だに、この問題について明確な回答が政府から発表されていない現状を、私たちは容認することはできない。

日本政府は、至急この問題を公正に精査した上で、国民に納得のいく説明を行うよう要請する。

(2)日本以外の各国ではすでにUFO/ET情報を公開している。

アメリカ・フランス・イギリス・ニュージーランド・ブラジルなど各国ではすでにUFO目撃情報をウエブ上で公開している。
(CNN2010:イギリス政府がUFO情報を公開)
(NSA(アメリカ国家安全保障局)がET/UFO情報を公開)

さらに、1947年のロズウエルUFO墜落事件で生存したグレイタイプの異星人の映像が、インターネット上で公開され、火星や月上に地球人が建設したものではない古代遺跡が発見されている。
ANW5/2:ロズウエル墜落事故で生存したと思われるETのビデオ映像
ディスクロージャー8/19:NASAが隠してきた地球外文明の真相

スペースシップ(UFO)は毎日のように、各国上空に出現して、ABCやCNNを始めとする主流メディアが真剣に報道するようになっている。日本でもすでに、大量出現が目撃され報告されていながら、NHKや民放各局は無視して取り上げようとすらしていない。
2010年に開始した空からのディスクロージャー
まじかに迫る地球到着に備える宇宙連合のデモンストレーション

日本政府はすみやかに隠ぺいしてきたUFO/ET実在の真相を国民に公開すると共に、これから開始するファーストコンタクトに対応する機関を設置するよう要請する。

2 NESARA公布に伴う新しい経済システムの確立

NESARA:国民経済安全保証改革法(National Economic Security and Reformation)は、銀河連邦と当時の地球上の政府代表との間で締結された宇宙協定であり、2000年3月に極秘の内に米国議会の上下両院を通過し、10月に、時のクリントン大統領によって署名され、成立した米国の法律でもあり、次の内容を持つ。

NESARAの概要    

① 連邦準備制度を廃止します。
② 連邦準備銀行その他を吸収した新しい財務省銀行を創設します。
③ 金、銀、プラチナ、貴金属に裏打ちされた新しい財務省通貨を発行します。
④ 違法な銀行業務と政府活動に由来するクレジットカード負債、抵当その他の銀行負債を免除します。
⑤ 所得税を廃止します。
⑥ 国税庁を廃止します。重要でない「新しい品目のみ」政府の消費税収入として、均一な比率で課税対象にします。
⑦ 世界中で展開されている米国政府の軍事行動を停止します。
⑧ NESARAの発表後、120日以内に新しい議員を選出します。(※大統領は選出済み)
⑨ 選挙をモニターして、特別利益団体の違法な選挙活動を防ぎます。
⑩ 憲法を本来の状態に戻します。
⑪ 高齢者の収入を増やします。
⑫ その他、莫大な富の放出と、隠蔽されてきた病気の治療法、新技術の公開を行います。

(【投稿記事】NESARAとは何か

現在の先進各国の金融・経済崩壊と発展途上国の貧困問題は、もはやG20首脳会議の進めようとする政策では解決のつかない問題にまで深刻化している。私たちは、日本政府に至急NESARA公布をアメリカ政府に要請し、銀河連邦のサポートを受けつつ新しい経済システムへのスムーズな移行に取り組むよう要請する。




【投稿記事】大天使ミカエル4/7:幻想の最後の時が来た

2012-04-08 08:09:19 | アセンション

(たきさんからの投稿)

新しい気づきについてお話をする時が来ました。ほんの少し前までは、あり得ないと思われていた、物事を感知する能力にあなた方は気が付き始めるでしょう。あなた方のうちのいくらかにとっては、小さい変化であり、他の人たちには、実に大きく、新しく、驚くべきものです。

これらのことについてゆけない人も同じ向上を受けますが、この様な人たちは、何かわからない不快な差を感じるだけででしょう。このような人たちも時が経過すると変わってくるでしょう。全ては、この人たちが立っている地点から出発します。これらの事を今感知できる人は、道を示す人になり、自分が進んでいる道を良く自覚できるでしょう。あなた方の愛の導きをすぐに必要とする多くの人たちがいるでしょう。

このようなことが何かわからない人たちは、あなた方が語りかけることを否定しがちなので、繰り返しますが、頼まれたときだけ、愛をもって道を示すのがよいでしょう。時々ありがちなことですが、否定されたら、祝福をしながら、彼ら自身の道を歩ませてください。彼らは、おそらくあなた方のところに、あるいは別の人のところに、戻ってくるでしょう。次元上昇したいと思う人たち全てはそうするでしょう。

これは、あなた方の言い方では、非常に長い間、天の指令によって行われていた動きなのであり、ここ数年の間に起こったことではありません。これらのソウル一人一人は、あなた方と同様に、遠くまで旅をし、多くのことに耐え、戻れるように懇願しているのです。

ハートに追加された、新しく発見した能力をあなた方が楽しむ一方で、この能力は拡張し続けるでしょう。毎日自分の才能を試す時を取り、別の可能性があると思われたら、それを試して御覧なさい。

ハイアーセルフやガイドたちがあなた方を後押ししているような感じがするでしょう。これは結局、あなた方がそのためにここにいるもっとも重要なことなのです。他の多くのことも面白く、むしろ必要なことでもありますが、ついに、自分が誰であり、本当はどのような存在なのかを自覚するためにここにいるのです。

これらの事によって、あなた方が今まで信じるように導かれてきたことが、正しくなく、決して真実ではなかったということを理解するようになるでしょう。あなた方は自分以外の人たちには、価値があり、ワンネスの創造物としての価値があると見られているのです。そうではない、とあなた方に教えてきた者たちさえ、それが真実であることを知っているために、価値があると思っているのです。

羽を広げて、その力を試して御覧なさい。巣から飛び出す日は、あなた方のものです。幻想の最後の日が来ました。この言葉が理解できるのなら、地球上の全ての人が明日覚醒を遂げるとは思わないでしょう。そうではなく、ある人たちは既に覚醒しており、もっと多くの人たちもこれから覚醒するでしょう。

意識が変化するための時は今であり、今起こっているのです。雪ダルマが坂道を転げ落ちていて、転がり落ちるのが止まらない、十分な勢いと大きさを持っているのがわかるでしょう。親愛なるハートよ、あなた方は一人ではありません。

7 April 2012 - 2:34pm | elpaso
チャネラー: Ron Head

http://oraclesandhealers.wordpress.com/


【投稿記事】アトランティス大陸は実在していた

2012-04-08 07:58:42 | 封印された神代史
皆様

たきより

アトランティス大陸は、約35000年前にクレタ島付近に存在した。大規模な火山爆発によって
数日の間に町の全てが、噴火によって吹き飛ばされ、あるいは火山灰にうずもれてしまった。
町は、非常に高度な技術によって構築されていた。これは、下記のユーチューブに示されるビデオによって明らかである。このような町が発掘され、考古学的に実証された、ということがこのビデオの中身である。
 
残念なことに英語なので、わかりにくいでしょうが、アトランティスが実在していた、という科学的証拠がある、ということで十分ではないでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Menk-eIIACo

【投稿記事】サイト『森の魔法』;世界観が変わります。

2012-04-08 07:51:37 | アセンション

(Tさんからの投稿)

とてもいいサイト発見。記事はまだ少ないのですが、人々の意識が変わる。

そんなサイトの紹介です。 

http://magicinwoods.blog.fc2.com/ 

ここのサイトを読んでいくと、区別が消えていく。物・植物・動物・人・惑星・宇宙・・・全てが連続であり、意識体であり、振動なのだ。神は、存在するものの全てであり、万物に命は宿る。それを感じました。 コメントもいろいろな人の実感が書かれていて良い。 私の中で、世界の見方が変わりました。感謝・・・ 

このサイトの記事の中から

 対話は垣根がありません:主に木々・草花との対話

http://magicinwoods.blog.fc2.com/blog-entry-3.html 

マロンとガットギター:物に宿る意識との対話

http://magicinwoods.blog.fc2.com/?no=5 

対話:森との対話

http://magicinwoods.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

 

胸にジーンと染み込んできて、涙がぽろぽろと・・・

みんなに広がれば、間違いなく世界は変わります。

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マロンとガットギター・本文  

2012/1/4 0:00
つい先程まで次女を寝かしつけていて、一緒に寝てしまっていました。
すると、突然誰か女性の声で「ねぇ!」と声をかけられ目覚めました。
私は「誰?」と声を出してしまいました。その声があまりにリアルだったからです。

声の主は植木のグズマニア<マロン>でした。
☆:私は名前を付けることに反対したのですが、えすぱー女房が付けてしまいました。
娘と寝ていた私はエアコンを付けっぱなして、部屋がかなり暖まっていました。
<マロン>には暑過ぎたのです。

その後彼女と少し話しました。
私は質問をしました。「私達には過去にも縁があったのだろうか?」と。
<マロン>は言いました。「もちろんよ。生活を一緒にする間柄で、過去に縁を持たない者なんていないわよ。私達は何度も寄り添って暮らしていたのよ。」
どうもこの世に生まれ、親に育てられ、学校に通い、社会を経験し、自分という意識は人間だけを他者と認識する、人間のエゴに囚われ過ぎていたんだ。とその時覚りました。

いくら高次元達から物質は意識の賜物だと云われても、肌で実感はしていなかったのです。
それを痛感した私は、目の前にあるガットギターに意識を集中してみました。
ガットギターは言いました。「過去に縁のない意識同士(物質同士)が出会うことは、ほとんどありませんよ。私だってあなたと会うのは3回目、もちろん前もガットギターだったわけではないですけど、人も物も一緒ですよ。」と。
なんと、万物すべてに意識は宿っているのです。たとえ人工物でも。
そして私は更に尋ねました。「人間は物に対してもお祓いするでしょ。それをどう思いますか?」
ガットギターは答えました。「それも人間のエゴなんですね。黄泉国(アルザル又はエバーアフター)では、ネガティブな意味の祈祷はありませんよ、病いを治すとか、祈りを捧げることはあっても、邪念を祓うということはしませんよ。」と。

ここ地球が如何に人間以外の意識を排他的に扱ってきたか、思い知らされました。
本日わたしの新年の抱負に、「万物への愛」が加わったのでした。
2012年。やるべき事が沢山あるようです。

 


【投稿記事】和尚ラジニ-シ 瞑想の真髄(スピリット)

2012-04-08 07:48:11 | アセンション

(ハイアーセルフ33さんからの投稿)

新瞑想法入門 P22~29

瞑想は冒険だ。それは、人間の精神が引き受けることのできる、もっとも偉大な冒険だ。瞑想とは何もせずに、ただ在ること・・・行為も思考も感情もない。「ただ在る」だけで、それがまったくの喜びとなる。何もしていないのに、この喜びはいったいどこからやってくるのだろう。それは、どこからともなくやってくる。あるいは、あらゆるところからやってくる。それには原因がない。なぜなら実在は、<喜び>という素材によってつくられているからだ。

何もしていないとき・・・肉体的にも、精神的にも、どのレベルにおいても・・・すべての行為が止み、自分がただ単に在り、存在そのものであるとき、それが瞑想だ。それを為すことはできない。修練することはできない。それは理解しなければならないだけだ。

「ただ在る」ための時間が得られるときには、すべての行為を落としなさい。考えることも行為であり、集中することも行為であり、黙考することもまた行為だ。たとえほんの一瞬でさえ、何もせず、ただ自分の中心に完全にくつろいでいられるなら・・・それが瞑想だ。ひとたびそのコツを会得すれば、好きなだけその状態にいられるし、ついには一日二十四時間その状態にとどまることもできる。

ひとたびあなたの本性が乱されない方法に気づけば、徐々に自己の本性が妨害されず、しかも注意深くあり続けながら、物事をすることができるようになる。それが瞑想の第二の部分だ。最初はいかにして「ただ在る」かを学ぶ。それから単純な行為を学ぶ。自分自身の中心に定まったまま、床を掃除したり、シャワーを浴びたりする・・・。そうしているうちに、より複雑なこともできるようになる。
 
たとえば私は話をしている。だが、私の瞑想は乱されない。私は話つづけられる。だが、私の<中心>には、さざ波ひとつ立っていない。そこはまったくの静寂だ。完全に静まりかえっている。
だから瞑想は行為に対立しない。それは生から逃避しなければならない類いのものではない。それは生の新しい道を教えるにすぎない。あなたは台風の目(サイクロンの中心)となる。
 
あなたの生は続く。それどころか、それは以前より強烈に継続する。よりいっそうの喜びと、よりいっそうの明晰さと、よりいっそうのビジョンと創造性をともなって・・・。それでいて、あなたはただ、「丘の上のもの見」として超然と、自分のまわりで起こっているすべてを見ている。あなたは行為者ではなく「見守る者」だ。見守る者、観照者になることこそが、瞑想における秘密のすべてだ。

行為が、それ自体のレベルで継続することには何の問題もない。木を切り、井戸から水をくみ出すというように、あらゆることをしてもよい。だが、ひとつだけ許されないことがある。「自分の中心に定まっている」という質が失なわれてはならない。この<気づき>、この注意深さは、まったく曇らず、揺るぎないままであるべきだ。

ユダヤ教には、ハシディズムと呼ばれる反逆的な神秘派がある、その創始者バール・シェムはたぐいまれな存在だった。真夜中に川から戻ってくる。それが彼の目課だ。夜になると、川はまったく静まりかえっているからだ。彼は、つねにそこで座っていた。何もせず、ただ自分自身を見守り、その「見守る者」を見守りながら……。今宵家に戻る道すがら、彼はある金持ちの屋敷を通り過ぎた。扉の横には、ひとりの見張り番が立っていた。

見張り番は不思議だった。というのも、この男は毎晩いつもきっかりこの時刻に戻ってくるからだ、彼は外に出て来て言った。「邪魔して悪いのですが、私はこれ以上がまんできません。毎日、昼も夜も、あなたがつきまとっているのです。あなたの仕事は何ですか?なぜ川へ行くのですか?私は何度も後をつけてみましたが、何もありません。ただ数時間坐り、真夜中に帰ってくるだけです」

バール・シェム言った。
「あなたが何度も後をつけてくるのはわかっていた。夜はとても静かだから足音が聞こえる。毎日、その門の後ろに隠れるのも知っている。だから、あなたが興味を持っているだけではない。私もまた、あなたに興味がある。あなたの仕事は何かね?」
「私の仕事ですって。私はただの見張り番です」「なるほど、あなたは、キーワードを与えてくれたようだ。私の仕事も同じだ」 見張り番は言った。「わかりません。見張り番なら、家とか宮殿などを見張るはずです。砂の上に座って、何を見張っているのですか?」
「ちょっとした違いがある、あなたは屋敷に侵入しようとする外側の誰かを見張っているが、私はたんにこの『見守る者』を見張っている」 この『見守る者』は誰か、これが一生をかけての努力だ。私は自分自身を見張っている」
「それは奇妙な仕事ですね。どんな報酬があるのですか?」

バール・シェムは言った。
「すばらしい至福、すばらしい喜び、はかりしれない祝福。それは、充分すぎるほどに報酬がある。ほんの一瞬であっても、それに比べればどんな財宝も無に等しい」
見張り番は言った。
「不思議だ。私は一生見張りつづけているが、そんなすばらしい体験に出会ったことはありません。明日の夜、一緒に行きますから教えてください。私はどう見張るかは知っているのですし……それは、たんに別な方向が必要なだけのように思われます。あなたは違った方向を見張っているのでしょう」

そこにはひとつのステップしかない。そして、そのステップとは方向、次元のものだ、私たちは外側に焦点を合わせる。あるいは、外側に対して目を閉じ、内側の意識全体に中心を定める――そしてあなたは知る。あなたは知る者、あなたは〈気づき〉だ。それを失うことはけっしてない。ただ無数のものごとのなかで、〈気づき〉をもつれさせているにすぎない。あらゆるところから〈気づき〉を取り戻し、自分自身の内側で休ませなさい。そうすれば、あなたは我が家に辿り着いている。

瞑想の本質的な核心、その真髄は、いかに観照するかを学ぶことにある。カラスが鳴く・・・あなたは聴いている。ここには二つのもの、主体と客体がある。だが、そこに両者を見ている観照者が見えないだろうか。カラス、聴く者、なおかつその両者を見守る誰かがいる。

これは非常に単純な現象だ。あなたは木を見ている。あなたがいて木がある。だが、もうひとつ発見できないだろうか。自分が木を見ていることを、そしてまた、木を見ている自分を見ている観照者が、あなたのなかにいることを・・・。

見守ること、観照することが瞑想だ。何を見守るかは問題ではない。木を見守ってもよい。川を見守ってもよい。雲を見守ってもよい。子供たちが遊ぶのを見守ってもよい。見守ることが瞑想なのだ。何を見守るかは要点ではない。観察の質、気づき、油断なく醒めているという質・・・これが瞑想だ。

いいかね、瞑想とは、醒めて気づくことだ。気づきながらすることは何であれ瞑想だ。行為が問題なのではなく、行為に持ち込む質が問題なのだ。油断なく醒めて歩けば、歩くことが瞑想となる。油断なく醒めて座れば、座ることが瞑想となる。<気づき>もって聴けば、鳥のさえずりを聴くことが瞑想となる。油断なく醒め、注意深ければ、心の内なる騒音を聴くことが瞑想となる。そのポイントのすべては、「眠りのなかで動くべきではない」ということだ。そうなれば何をしようと瞑想となる。
 
<気づき>の第一歩は、肉体に注意することだ。徐々に、それぞれの仕草、それぞれの動作に油断なく醒めてくる。そして気づくにつれて、奇跡が起こり始める。以前していた多くのことが単純に消えうせる。体はいっそうくつろぎ、ますます調和してくる。深い平和が体の中に広がりはじめる。妙なる音楽が、体のなかで脈打つようになる。

そうなったら、思考に気づきはじめなさい。同じことが思考にも為されなければならない。それは肉体より微妙で、もちろんより危険でもある。思考に気づくようになれば、自分の内部で起きていることに驚くだろう。いつでもいいから、起きていることを書き留めてみれば、人は非常な驚きに見舞われるだろう。それが自分の内側で起きていることだとは信じられない。

そして十分後に読んでごらん。内側に狂ったマインド(思考・想念)を見るだろう。私たちが気づいていないため、この狂気全体が潮流のように流れつづける。それは何をしていようと影響を及ぼす。何もしていなくても影響を及ぼす。それはあらゆることに影響を及ぼす。その総計があなたの人生だ。だから、この狂人が変容されなければならない。そして<気づき>の奇跡とは、ただ気づくこと以外には何もいらない、というところにある。
 
まさに「見守る」という現象が、それを変える。徐々に狂人は消え、ゆっくりと、思考が一定の型のなかに落ち着きはじめる。もはや混沌はない。それは秩序あるものとなる。そうなれば、ふたたびより深い平安に包まれる。そして体と心がくつろいでいるとき、人はそれらが協調し合っていることを知る。そこには橋がある。いまや、体と心は別方向に走っていない。それは別々の馬に乗ってはいない。そうしてはじめて、そこには調和がある。そしてこの調和は、計り知れないほど第三ステップへの働きかけを助ける。それは自分の感覚、感情、気分に気づくようになることだ。
 
それはもっとも微妙な層で、もっとも困難だ。だが思考に気づけるようになれば、もう一歩だ。もう少し強烈な<気づき>がいる。そうなれば、自分の気分、感情、感覚を反映しはじめる。ひとたび、この三つすべてに気づけば、それらはすべてひとつの現象のなかに連結される。そして、この三つが全体として一つであるとき・・・完璧にともに機能し、ともにハミングしていれば、この三つすべての音楽が感じられる。それはオーケストラとなる。

そのとき、「第四のもの」が起こる。あなたが為すことはできない。それはひとりでに起こる。それは全体からの贈り物であり、この三つを済ませた者に対する恩恵だ。「第四のもの」とは、人を覚醒させる究極の<気づき>だ。人は<気づき>に対して気づくようになる。それが「第四のもの」だ。それは人をブッダ・・覚者・・にする。その覚醒のなかでのみ、人は至福の何たるかを知ることになる。

肉体は快感を知り、マインドは幸福を知り、ハートは喜びを知り、「第四のもの」は至福を知る。至福がサンニャス・・・探求者たること・・・の目的地であり、<気づき>がそこへ至る道だ。

注意深く、見守ることを忘れない。見守って、見守って、見守っていることが大切なのだ。しだいに「見守る者」がより固定し、定着し、不動になり、そして変容が起こる。見守っていたものごとが消え失せる。そのときはじめて、「見守る者」自身が見られるものとなり、観察者が観察されるものとなる。あなたは<わが家>にたどり着いたのだ。