ふるやの森

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伊東が生んだダビンチ

2009-07-28 18:31:04 | 巨大地震
木下杢太郎記念館 - 地域情報動画サイト 街ログ
木下杢太郎(きのしたもくたろう、1885年8月1日 - 1945年10月15日)は、本名太田正雄。静岡県伊東市生まれ。医学者、詩人、作家。さらに、美術史、キリシタン史研究家。医学者として大学教授を歴任した。堀花村 (ほりかそん)、地下一尺生(ちかいっしゃくせい)、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。
少年期から文学・絵画を好み、東京帝国大学医科大学在学中から同年の友人、北原白秋と競って詩を書いた。南蛮情緒的、キリシタン趣味、耽美享楽的、などと呼ばれる絢爛たる詩風であった。同様の傾向の小説・戯曲も書いた。学生時代、理科から文科への転科に周囲が反対する中、ときおり森鴎外を訪れたが、「先生から欲した所は万事をすてて文芸の事に従へといふ言葉であった。而して先生は一度もそれらしい言葉をば言はれなかった」[1]。その後、文名を高めながら、医学の道にも専念し、皮膚科を専攻。癩病の権威とされるに至った。後年、医者としての杢太郎が強い倫理性、人道的な色彩を帯びてくるのは、鴎外観の深まりとほぼ時期が同じであり、その杢太郎は鴎外研究にも大きな足跡を残した[2]。教育に熱心な教授であった一方、美術史・キリシタン史の研究を含む文学活動も、晩年まで盛んであった。
胃幽門癌により死去。東京都の多磨霊園に眠る。なお、生家は木下杢太郎記念館として保存されている。

木下杢太郎 - Wikipedia