KFCブログ~Growing old is not shame~

格闘芸術家集団KFCブログ、満を持して復活です。
明るく楽しく真剣に格闘技に取り組む社会人の格闘倶楽部です。

師兄

2019-01-27 05:17:45 | メンター

昨夜は数年ぶりに兄ィと再会し、盃を交わしました。
日本拳法会の重鎮、平田六段です。
兄ィは現役当時赤いグローブがトレードマークで、私の知る限り日本拳法界唯一のバックブロー(回転しての裏拳)の使い手で、東日本チャンピオンを二度も戴冠した超一流の拳法家です。
昨年私が体調を崩して死にかけたことを噂で聞き及び、心配してくれて今回の再会と相成りました。

立教の学生だった19歳の頃、地元の道場に出稽古に行ってそこで兄ィと出会いました。
兄ィは当時まさに東日本の現役のチャンピオンで、私は何度も防具稽古(組手)を挑みましたが顔に触ることすらできなかったことを今でも覚えています。
憧れの立教大学になんとか合格した私は、成り行きで体育界の日本拳法部に入部しました。
極真空手出身で新入生の頃から周囲の誰もが認める逸材と言われ続けた当時の私は、その後持ち前のメンタルの弱さから試合に勝てなくなり、そこから逃げだすように(大学生なのに)酒と女に溺れるような生活を送り、結局鳴かず飛ばずで現役生活を終えました。
こんなはずじゃなかったと、悔いが残る現役生活でした。
卒業後、不完全燃焼の燃えカスを抱えたまま横浜道場に舞い戻り、兄ィの元で拳法を一からやり直しました。
真似をしまくり、技を盗んでやろうと頑張りました。
しばらくするとカスリもしなかった私の拳が、ある日突然兄ィの面を捉えるようになりました。
その時の驚きと感動を忘れません。
毎週毎週、東日本トップクラスの拳法家とガチで殴り合う、そんな日々を送りました。
兄ィに良いパンチを入れる、それだけを生き甲斐に次の一週間を生きていける、そんな時代がありました。
そして私達は東日本社会人選手権大会で3位、準優勝、そして優勝と横浜道場の全盛期を共に創り上げました。
学生時代にやり残したこと、味わいたかった勝利の味、倒せなかった人を克服する経験、いろんな修羅場を兄ィと潜りました。
常勝軍団だった我々に、陸上自衛隊習志野空挺団も合同稽古を申し入れて来るほどでした。
兄ィとなら、化け物みたいな彼らにも恐れずに立ち向かっていけました。
私を引き上げてくれた兄ィ。
私は間違いなくこの人の弟子で、今でもこの偉大な武術家は私の精神的支柱です。
四半世紀以上の付き合いで思い出があり過ぎる我々は、ほんの数時間の飲み会で語り尽くせるはずもなく、時間切れとなってしまいました。
別れ際、兄ィは私に再会しよう、そして日本拳法界に戻ってこいと言ってくれました。
少し心が揺れました。
もう10年以上も日本拳法からは離れてますが、いろいろ経験してきた今の力を存分に奮って試してみたい気もしました。

人は出会いによって化学反応のように影響され、変化していきます。
平田兄ィとの邂逅が私を良い方へ導いてくれ、今があります。
出会いこそ人生。
最高の夜でした。

『後ろ拳(右の直突き)、ありがとう。』

2016-02-27 22:27:03 | メンター

昨日は間違いなく私の人生の大きな転機となった、極真空手時代の師と久々にお会いしました。
現在、新極真会の理事を務める木元正資師範です。
悩み多き高校生だった16歳のあの日、深夜放送でたまたま観た極真空手に衝撃を受けて私の中の炎が燃え上がり、近所にオープンしたばかりの本部直轄横浜道場に恐る恐る入門したことを今でも忘れません。
中高の先輩で横浜道場の同門である大石先輩が、昨年私たちを四半世紀ぶりに引き合わせてくれました。
今回は2回目の会食でした。(前回は緊張と嬉しさで飲み過ぎてしまい、最後まで覚えておりません。笑)

木元師範は第4回世界大会であのアンディ・フグと死闘を繰り広げ、『闘将』と呼ばれた空手家です。
私が出会った頃の木元師範はまだ現役で、とにかく超人的に強く、稽古は本当に厳しく、私は人生で初めて疲労困憊と満身創痍の双方を身をもって味わいました。
先輩達もおっかなくて、何度も怒鳴られ、ぶっ飛ばされる毎日。
それでも私は木元師範の道場へ通い続けました。
将来に不安しかなく、自分に自信が持てず、劣等感の塊のようだった高校生は、木元正資という超人と出会いその門下生として徐々に変化しました。
稽古はめちゃくちゃ辛かったけど、道場に行くためだけに一週間生きていけるような感覚が沸いてきました。
自分がだんだんと強くなるのが楽しくなってきたのです。
そして、こんな辛いことを耐えて頑張ってるんだから大学受験なんか大したことはない、超人との組手に比べたら高校生同士の喧嘩だとか誰か強いかなんてお遊びもいいとこだ、と思うようにもなりました。
肉体は毎日悲鳴をあげてはいたけど、稽古している時、魂はいつも襲ってくる不安から解放されました。
多感な高校生だったあの頃の私は、当時の鬼のように厳しかった木元師範の極真空手で確かに救われていたのです。
師範と杯を傾けながら、四半世紀前にそう思っていたこと、そして今も感謝していることを何度も熱く師範に伝えました。

『お前がそんなこと言ってくれるなら、俺は道場をやって良かったよ。本当にそう思うよ。』

と別れ際に師範に言われて涙が出そうになりました。
格闘技は人を傷付けることもあれば人を救うこともあります。
格闘技によって救われた自分は、格闘技に恩返しをしたい。
そんなことを考えながら家路につきました。

木元師範、大石先輩
本当にありがとうございました!押忍!!



水の心

2012-09-29 12:57:35 | メンター
水の心
朝練を終え、勝又海岸を歩いていると、今も憧れている男が心に浮かんで来ました。
少年の頃絶対的ヒーローだった、そして私が格闘技に手を染めるきっかけとなった偉大なる先人、李小龍。
アクション俳優ブルース・リーとしてあまりにも有名なその人は、先鋭的なリアル武術家という核を持ちつつ、哲学者のような側面も持ち、今も語り継がれる数々の奥深い言葉を遺しています。
私は水辺に立ち、先人の言葉を想いました。 私達が武術を学ぶのはより良く生きるために他なりません。 先人はこう遺してくれています。


心を空にするんだ
形を捨てて 
水のように
水をカップに注げは
水はカップとなり
水をビンに注げば
水はビンとなる
そして急須に入れれば急須になる
水は流れる事も砕く事もできる
友よ 水になるんだ

Empty your mind. Be formless, Shapeless, like water.
If you put water into a cup, it becomes the cup.
You put water into a bottle and it becomes the bottle.
You put it in a teapot it becomes the teapot.
Now, water can flow or it can crash.
Be water my friend.

(Bruce Lee)


料理の鉄人、男の先輩

2012-08-28 06:22:11 | メンター




昨夜は恵比寿横丁にある『浜椿』へ石川先生に会いに行きました。
石川先生はこのブログにも何度も登場している人生の大先輩とも言うべき方で、あの伝説の料理番組『料理の鉄人』でも腕を振るった一流の中華料理人であります。


三十を過ぎてすぐの頃、ある方の紹介で石川先生とお会いする機会がありました。
その頃先生はまだ恵比寿の店を始める前で、築地のマンションで『美食倶楽部』を開催し、新作料理を友人知人に振る舞うという夢のような宴があったのです。
先生自身も周りの方々も私にとっては雲上人でしたが、持ち前の図々しさをフルに発揮して食い付いて行った私に対し、先生はいつも気さくに温かく接してくれました。
その上、通常ではまずお会いするチャンスのなかったであろう、今に繋がる人脈を何度も紹介してくれたのです。
三十代は私にとって飛躍の時代でしたが、石川先生に出会って仲良くさせていただいたことが大きな転機の1つであったことは間違いありません。
そして今もそれは変わりません。

「○○さん、こちら僕の友達のかっちゃん。」

お店に来るどんな偉い人に対してもこの調子で紹介の嵐。(笑)
今に繋げるのは、私の器量次第。

「俺はただの料理人だから。」

口癖をつぷやきながら中華鍋を振るう姿が本当に格好良い、そんな先生は私の男の先輩です。




魁!男塾

2012-08-03 00:01:03 | メンター

魁!男塾
私が兄貴分親分と慕う数少ない大先輩、K先生から「元気にしてんのか?」とお電話をいただき、突然の、そして久々の会合と相成りました。
K先生はここには書きませんがものすごい経歴の持ち主です。
でもそんなことより先生の人間力とその男気に惹き付けられて、今もこうしてお付き合いさせていただいております。
きっと昔の侍は、こんな感じの男だったのだろうと思います。
盃を傾ければ共通の趣味とも言える歴史談義に花を咲かせ、政治・社会を語り、大先輩に人生相談もします。
“本物”と触れ合えて、刺激を受けないわけがありません。
男気こそ男たるすべて。
これからも男を磨こうと決意を新たにしました。
K先生、本日もありがとうございました!ご馳走様です!