縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

金沢・大樋焼をご存知ですか

2006-03-20 23:47:00 | もう一度行きたい
 僕は北海道の出身だ。そのため“歴史”を感じさせるもの、例えば城下町とか宿場町の古い町並みには弱い。札幌で育ち、札幌の町は好きだが、古い建物といえば時計台か道庁の赤レンガくらい、古いといっても精々100年ちょっとである。そんなわけで、僕にとって古いものは却って新鮮に感じられる。
 金沢には4度ほど行った。好きな町の一つだ。行く度に必ず訪れる店がある。大樋焼の店である。金沢の焼物といえば九谷焼が有名だが、九谷焼は元々は加賀藩の支藩、大聖寺藩の焼物である。そして加賀百万石の焼物がこの大樋焼なのである。
初めて金沢に行った際、偶然、この大樋焼の店に入ったのが、付き合いの始まりだった。

 上野から寝台急行で金沢に行った。まだ社会人1年目、お金がなかったのである。早朝金沢に着き、そのまま輪島に向かい、金沢には翌日戻ってきた。近江町市場、兼六園などを歩いた。兼六園の雪吊りを見に行ったが、3月で既に雪がないせいか、若干物足りない気がした。
 中心部に戻り、やはり金沢に来たのだから九谷焼を見よう、何か良い物があったら買って帰ろうと思い、陶器の店を片っ端から見て回った。九谷焼は色鮮やかで綺麗だが、数をこなすうち半ば義務的になり、次第に食傷気味になって行った。そろそろ終りにしようかなと思っていたとき、偶然入ったのがこの大樋焼の店である。

 そのときは大樋焼を知らなかった。九谷焼のお店と思って入ったのである。でも、感じがまったく違う。素朴で、温かい。聞けば、楽焼の流れを汲み、茶碗、特に飴色の茶碗が有名とのことである。しかし、僕が心を惹かれたのは少し大きな壺だった。九谷焼のような鮮やかな色使いではなく、色はすべて単色。淡い水色や緑、それに白、どれもやさしい色である。じっと見ていると本当に心が落ち着いて来る。

「家にこんな壺が一つあるといいな。ぼーっと眺めているだけで温かく、幸せな気分になれる。だけど僕にはちょっと手の出ない値段だな。」
「気に入って頂けましたか。ありがとうございます。」

 お店の方はとても品の良いご婦人だった。これも金沢の歴史というか、文化のおかげなのだろうか。大樋焼の話や金沢の話を聞きながら、20、30分話をした。結局、何も買わなかったのだが、お茶と金沢銘菓の長生殿をご馳走になった。九谷焼に疲れた僕は、焼物とおば様の温かさ、やさしさに触れ、ちょっぴり元気になって店を出た。

 その2、3年後、再びその店を訪れた。以前と変わらぬ大樋焼の店である。ただ少し感じが違う。そう、あの壺がない。お店の人に尋ねたところ、おそらくそれは先代の作品で、先代が亡くなられてから、あの手の壺は作っていないのだと言う。時既に遅し、である。
 今でも大樋焼が好きなことに変わりはない。家には大樋焼の湯呑みとコーヒーカップがある。残念ながら壺はない。あれが最初で最後のチャンスだった。あのとき清水の舞台から飛び降りるつもりで買えば良かったと後悔することがある。反面、やはり値段が高過ぎると思い、そもそも金沢に清水はないのだから仕方がない、と妙な納得をしている。

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