縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ヨーロッパは遠くにありて思うもの?

2013-08-08 00:03:52 | もう一度行きたい
 「やっぱり、『旅情』の頃とは違うね。」と母が言った。

 『旅情(Summertime)』とは、ヴェネチアを舞台にした、キャサリーン・ヘップバーンとロッサノ・ブラッツィ主演の映画である。1955年の作品。映画には関心がないと思っていた母の口から『旅情』が出てくるとは驚きであったが、考えてみれば、ちょうど母の青春時代の映画だ。当時の日本で海外旅行は高嶺の花、映画を見てはアメリカやヨーロッパに想いを馳せていたのだろう。
 ヴェネチアの運河や建物は当時と変わらないと思うが、なにせ人が多いし、7月中旬のヴェネチアは本当に暑い。60年以上前と今とでは観光客の数は雲泥の差だし、映画で暑さは伝わらない。確かに『旅情』とは大違いだ。

 両親と年に1度旅行していた。父が亡くなってからは母と妻との3人旅。行先はずっと国内であったが、母がヨーロッパに行ったことがないと言うのを聞き、今回初めて海外に、それも意を決してヨーロッパに行くことにした。80歳近い母の年齢を考えると、これが最初で最後のヨーロッパだろう。
 母にどこに行きたいか訊ねると、パリとローマが良いと言う。それに妻がモン・サン・ミッシェルを付け加え、僕がヴェネチアを加えた。機内泊2泊を入れ、10泊11日の旅。母の体力が持つか心配だったし、僕は何事もないよう祈るしかなかった。

 さて、旅を終えてわかったこと、母は思いのほか体力がある。暑い中1万歩以上歩く日もあったし、モン・サン・ミッシェルの長い坂や階段も軽々登り切った。夜を食べずに眠る日もあったが(飲兵衛の二人には付き合いきれないと思ったのかもしれないが)、本人が心配していた、1日中ホテルでダウンというのはなかった。憧れのヨーロッパにいる!という想いが母を元気にしたに違いない。

 しかし、“何事もないように”の方は、僕の祈りむなしく、そうは行かなかった。

 一つ目はパリで母がスリに襲われたこと。幸い、ウエストポーチのファスナーを半分開けられたところで、2人組のスリを追い払うことができた。もっとも母は、大物なのか、あるいはただのボケ老人なのかわからないが、あまり意に介していなかった。その後、パリでもローマでもよく地下鉄に乗ったが、スリに会うことはなかった。

 二つ目はローマで交通事故に遭ったこと。事故といっても、信号のないT字路の左折で(注:日本だと右折)、そろそろと前に出てきた隣の車が、僕らの乗ったタクシーに軽く接触しただけ。タクシーに相手の車の塗料が付いた程度で誰も怪我はなかった。
 ただ、おもしろいのは事故の処理方法。日本だと互いの身元を確認し、警察を呼び、保険会社に電話し指示を仰ぐ。しかし、彼らは警察を呼ばないし、どこにも電話しない。自分たちで保険の申請書類(らしきもの)を作成し、最後に握手して別れた。その間、10分か15分たらず。まったく手慣れたものだ。おそらく事故が多いせいなのか、この程度の事故では誰も騒がないのであろう。

 トラブルはあったものの、ともかく無事日本に帰ってきた。

 母に今度はロンドンに行こうかと誘ったところ、母はヨーロッパは遠いからもういいと言う。とすると、次は『慕情(Love Is a Many-Splendored Thing)』の香港だろうか。
 しかし、香港はヴェネチアの比ではないほど変化している。思い出はそのままにして置いた方が良いのかもしれない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。