そこでイザヤはヒゼキヤに言った。
「主の言葉を聞きなさい。
『王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、
ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る」
と主は言われる』」
(列王記Ⅱ20-16・17)
比較宗教学者は、諸宗教を小利口に分類して言う。
神を一つと見れば唯一神教が生まれ、多数と見れば多神教が生まれ、
自然と同等と見れば万有神教が生まれ、自然の原理と見れば理神論が生まれる、と。
信仰を傍観者的にしか見ることのできない、浅はかな知識人の言いそうなことだ。
知識的に見れば、神をいかなる神と見るかによって、
諸宗教は分類することができる。
だから、自分の好きな神形態、自分の納得できる神観念を選んで、
人は自分の宗教を持つことができる。
しかしただ一つ、唯一神信仰のみは、
人が自ら進んで持つことのできないものである。
それは歴史がよく証明している。
古代の戦争というものは、神々の戦争だった。
ある町とある町が争い、どちらかが勝ち、
敗北した住民はその町の風習に則って、勝利した側の神を信ずる。
敗北した住民の祀っている神は、敗北したのであるから、
必然的に礼拝の対象ではなくなることになる。
このようにして、村と村、町と町、国と国が争って、
遂には神々の頂点に、ただ一つの神が生き残るわけだ。
このようにして、アッシリアのアッシュール、ペルシャのアフラ・マズダなどが、
西方アジアの頂点に立った。
しかしそうしてできあがった唯一神信仰というものは、
非常に寛容な唯一神であって、他の神々も許容するものであった。
すなわち比較的の唯一神であって、
頂点に立つのはいわゆる神々の代表のようなものであって、
実質的には多神教だったと言ってよい。
ローマのパンテオンのように、政治的必要から異国の神々を取り込んで、
名目上だけ最上の地位についたようなものであって、
国民の良心を感化するだけの力はなかった。
ならば、真の唯一神信仰はどこから生まれたかというと、
自国が勝ち続けて大帝国を築いたペルシャではなくして、
祖国が全滅したユダヤから生まれた。
自国の祭壇を拡大化した民族ではなくして、
自国の祭壇を失った民族から生まれた。
アブラハムやモーゼも一人の神を信じたが、
本当に国民に唯一絶対の人格神が啓示されたのは、
祖国が一度全滅してからだった。
苦難の時代を経過して、
イザヤ・エレミヤ・エゼキエルらによって深められ高められた唯一神信仰が、
遂にはイエス・キリストの登場によって成就するのである。
これ、鑑みるべき事実である。
いかなる宗教も、己自ら選んで、好みのものを選び取ることができる。
しかし本当の意味での唯一神信仰は、人間の自由意志によって選ぶことはできない。
もし選んでいるように思えたにしても、それは比較的の唯一神信仰であって、
ローマのパンテオン、アッシリアのアッシュールの如きものである。
多神教の変種でしかない。
唯一神信仰というものは、神などこの世に存在しないのではないかと絶望して、
神なきところに神の救いの手を見る時に、初めて人に与えられるものである。
自分の祭壇を取り壊された時に、初めて生ける神として啓示されるものである。
故に、比較宗教学者風に言えば、この世の宗教にはニ種類あると言ってよい。
自分の祭壇(自己愛)を利するために採用する多神教、及び、その変種か、
もしくは、自分の祭壇を破壊されて生ける神へ立ち帰る信頼か、である。
前者は誰にでも持つことができる、
しかし後者は、神のみが人に啓示できる代物である。
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「主の言葉を聞きなさい。
『王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、
ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る」
と主は言われる』」
(列王記Ⅱ20-16・17)
比較宗教学者は、諸宗教を小利口に分類して言う。
神を一つと見れば唯一神教が生まれ、多数と見れば多神教が生まれ、
自然と同等と見れば万有神教が生まれ、自然の原理と見れば理神論が生まれる、と。
信仰を傍観者的にしか見ることのできない、浅はかな知識人の言いそうなことだ。
知識的に見れば、神をいかなる神と見るかによって、
諸宗教は分類することができる。
だから、自分の好きな神形態、自分の納得できる神観念を選んで、
人は自分の宗教を持つことができる。
しかしただ一つ、唯一神信仰のみは、
人が自ら進んで持つことのできないものである。
それは歴史がよく証明している。
古代の戦争というものは、神々の戦争だった。
ある町とある町が争い、どちらかが勝ち、
敗北した住民はその町の風習に則って、勝利した側の神を信ずる。
敗北した住民の祀っている神は、敗北したのであるから、
必然的に礼拝の対象ではなくなることになる。
このようにして、村と村、町と町、国と国が争って、
遂には神々の頂点に、ただ一つの神が生き残るわけだ。
このようにして、アッシリアのアッシュール、ペルシャのアフラ・マズダなどが、
西方アジアの頂点に立った。
しかしそうしてできあがった唯一神信仰というものは、
非常に寛容な唯一神であって、他の神々も許容するものであった。
すなわち比較的の唯一神であって、
頂点に立つのはいわゆる神々の代表のようなものであって、
実質的には多神教だったと言ってよい。
ローマのパンテオンのように、政治的必要から異国の神々を取り込んで、
名目上だけ最上の地位についたようなものであって、
国民の良心を感化するだけの力はなかった。
ならば、真の唯一神信仰はどこから生まれたかというと、
自国が勝ち続けて大帝国を築いたペルシャではなくして、
祖国が全滅したユダヤから生まれた。
自国の祭壇を拡大化した民族ではなくして、
自国の祭壇を失った民族から生まれた。
アブラハムやモーゼも一人の神を信じたが、
本当に国民に唯一絶対の人格神が啓示されたのは、
祖国が一度全滅してからだった。
苦難の時代を経過して、
イザヤ・エレミヤ・エゼキエルらによって深められ高められた唯一神信仰が、
遂にはイエス・キリストの登場によって成就するのである。
これ、鑑みるべき事実である。
いかなる宗教も、己自ら選んで、好みのものを選び取ることができる。
しかし本当の意味での唯一神信仰は、人間の自由意志によって選ぶことはできない。
もし選んでいるように思えたにしても、それは比較的の唯一神信仰であって、
ローマのパンテオン、アッシリアのアッシュールの如きものである。
多神教の変種でしかない。
唯一神信仰というものは、神などこの世に存在しないのではないかと絶望して、
神なきところに神の救いの手を見る時に、初めて人に与えられるものである。
自分の祭壇を取り壊された時に、初めて生ける神として啓示されるものである。
故に、比較宗教学者風に言えば、この世の宗教にはニ種類あると言ってよい。
自分の祭壇(自己愛)を利するために採用する多神教、及び、その変種か、
もしくは、自分の祭壇を破壊されて生ける神へ立ち帰る信頼か、である。
前者は誰にでも持つことができる、
しかし後者は、神のみが人に啓示できる代物である。
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