キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

唯一神の啓示-列王記Ⅱ18~25-

2008-11-30 02:13:30 | 聖書読解
そこでイザヤはヒゼキヤに言った。
「主の言葉を聞きなさい。
『王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、
ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る」
と主は言われる』」
(列王記Ⅱ20-16・17)



比較宗教学者は、諸宗教を小利口に分類して言う。

神を一つと見れば唯一神教が生まれ、多数と見れば多神教が生まれ、

自然と同等と見れば万有神教が生まれ、自然の原理と見れば理神論が生まれる、と。

信仰を傍観者的にしか見ることのできない、浅はかな知識人の言いそうなことだ。


知識的に見れば、神をいかなる神と見るかによって、

諸宗教は分類することができる。

だから、自分の好きな神形態、自分の納得できる神観念を選んで、

人は自分の宗教を持つことができる。

しかしただ一つ、唯一神信仰のみは、

人が自ら進んで持つことのできないものである。

それは歴史がよく証明している。


古代の戦争というものは、神々の戦争だった。

ある町とある町が争い、どちらかが勝ち、

敗北した住民はその町の風習に則って、勝利した側の神を信ずる。

敗北した住民の祀っている神は、敗北したのであるから、

必然的に礼拝の対象ではなくなることになる。

このようにして、村と村、町と町、国と国が争って、

遂には神々の頂点に、ただ一つの神が生き残るわけだ。

このようにして、アッシリアのアッシュール、ペルシャのアフラ・マズダなどが、

西方アジアの頂点に立った。


しかしそうしてできあがった唯一神信仰というものは、

非常に寛容な唯一神であって、他の神々も許容するものであった。

すなわち比較的の唯一神であって、

頂点に立つのはいわゆる神々の代表のようなものであって、

実質的には多神教だったと言ってよい。

ローマのパンテオンのように、政治的必要から異国の神々を取り込んで、

名目上だけ最上の地位についたようなものであって、

国民の良心を感化するだけの力はなかった。


ならば、真の唯一神信仰はどこから生まれたかというと、

自国が勝ち続けて大帝国を築いたペルシャではなくして、

祖国が全滅したユダヤから生まれた。

自国の祭壇を拡大化した民族ではなくして、

自国の祭壇を失った民族から生まれた。

アブラハムやモーゼも一人の神を信じたが、

本当に国民に唯一絶対の人格神が啓示されたのは、

祖国が一度全滅してからだった。

苦難の時代を経過して、

イザヤ・エレミヤ・エゼキエルらによって深められ高められた唯一神信仰が、

遂にはイエス・キリストの登場によって成就するのである。

これ、鑑みるべき事実である。


いかなる宗教も、己自ら選んで、好みのものを選び取ることができる。

しかし本当の意味での唯一神信仰は、人間の自由意志によって選ぶことはできない。

もし選んでいるように思えたにしても、それは比較的の唯一神信仰であって、

ローマのパンテオン、アッシリアのアッシュールの如きものである。

多神教の変種でしかない。

唯一神信仰というものは、神などこの世に存在しないのではないかと絶望して、

神なきところに神の救いの手を見る時に、初めて人に与えられるものである。

自分の祭壇を取り壊された時に、初めて生ける神として啓示されるものである。


故に、比較宗教学者風に言えば、この世の宗教にはニ種類あると言ってよい。

自分の祭壇(自己愛)を利するために採用する多神教、及び、その変種か、

もしくは、自分の祭壇を破壊されて生ける神へ立ち帰る信頼か、である。

前者は誰にでも持つことができる、

しかし後者は、神のみが人に啓示できる代物である。



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