キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

理想的政治家の述懐-サムエル記Ⅱ21~24-

2008-11-11 01:56:31 | 聖書読解
神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、
太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、
雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光。
神と共にあってわたしの家は確かに立つ。
(サムエル記Ⅱ23-3・4)



理想的政治家の人生観とは何か?

「主よ、あなたはわたしのともし火、主は私の闇を照らしてくださる」
(サムエル記Ⅱ22-29)

神は自分の人生の道標であり、不可解な人生を照らし出す者であるという。

ダビデは現代政治家のように、有権者が自分の人生を照らすとは言わなかった。

さらに理想的政治家は曰く。

「あなたは救いの盾をわたしに授け、自ら降り、わたしを強い者としてくださる」
(サムエル記Ⅱ22-36)

神は自分を守る庇護者であり、神の力が宿って自分は強くなるという。

ダビデは現代政治家のように、地盤と看板が自分を守るとは言わなかった。

さらにイスラエルの王は告白する。

「わたしを憎む者は勝ち誇っているが、……主はわたしの支えとなる」
(サムエル記Ⅱ22-17~20)

神は周囲の敵から自分を助け、自分はただ神に頼って生きていくという。

ダビデは現代政治家のように、親の七光やマスコミには頼らなかった。


安倍氏、福田氏、麻生氏が聞けば、クエスチョンマークがつく人生観ばかりで、

理想的政治家ダビデが彼らの前で告白したら、きっと一笑に付されるに違いない。

しかしこれ、ダビデの人生観が偏っているのではなくして、

現代政治家がアブノーマルなだけである。

そして、すべての偉大な政治家には、ダビデのような信仰的人生観があった。

クロムウェル然り、リンカーン然り、オラニエ公然り、カール大帝然り。

神に謙(へりくだ)ることをせずに、

政(まつりごと)を行なわんとする良心の傲慢さよ。

地盤と看板と血筋に頼る二世三世議員に、

神にのみ頼らんとする高貴な政治家の人生観など、

言うだけ無駄というものである。


大英帝国を何度も率い、進歩的な法案を次々と可決した宰相グラッドストンは、

政治家になる前の一番の夢は、福音の伝道師だったという。

神に尽くさんとすることが第一で、政治家という仕事は、

神に奉仕するための一つの手段だったということだ。

それを裏書きするように、引退後の彼の事業は、

来世の存在を証明しようとしたバットラー著「アナロジー」の研究だったという。

日本の将来よりも自党の勝利に目が行き、

金をばらまいて民衆に迎合する麻生氏に聞かせたいものだ。

しかし理解できないだろうから、きっと口をへの字にして押し黙るに違いない。



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