彼は主の目に悪とされることを行なって、ヤロブアムの道を歩み、
イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返した。(列王記Ⅰ16-34)
聖書に度々言及されるヤロブアムの罪。
神が特別に忌み嫌い給うたこの罪とは、一体何なのだろうか?
ダビデによって固められ、ソロモンによって繁栄を築いたイスラエル王国は、
わずか二代にして衰退の坂道を転げ落ちることになる。
ソロモンは確かに知性の人であったが、多くの異邦出身の妻妾を蓄え、
彼女らが外国から持ってきた偶像崇拝に染められてしまった。
(列王記Ⅰ11-3・4)
それゆえ、神はソロモンの子レハブアムの時代に、ヤロブアムを選び給い、
彼をもって王国を分裂させることを許し給うた。
「ダビデのように神の戒めを守るなら」という条件つきで。
(列王記Ⅰ11-26以下)
こうして、繁栄を誇ったイスラエル王国は、北のイスラエルと南のユダに分かれ、
北をヤロブアムが、南をレハブアムが統治することになった。
しかし、ヤロブアムには政治的不安があった。
宗教的聖地であるエルサレムは南のユダにある、
人々がエルサレムに出入りすれば、いずれ王国は再びダビデの家の者の手に渡るかもしれない。
そこでヤロブアムは、自身の政治的地位を確かなものにするため、
金の子牛を二つ造り、自国のベテルとダンに置き、民に偶像崇拝を奨励した。
(列王記Ⅰ12-28~31)
すなわち、自身の政治的欲求のために、偶像を造って真の神を捨て、
民にもそれを奨励して、神の民を迷わせたということである。
儒教では、親への背信が最大の不徳である。
自由・独立の風が浸透した現代の我々からすれば、
古臭い道徳のように聞こえるが、ある意味で一面の真理である。
人は自分の親を裏切って、最も重い罪を犯す。
なぜなら、親は普通、子を無条件に愛してくれる存在である。
無条件に愛してくれる存在を、忘れ、蔑ろにし、裏切り、踏み躙る時、
人間は落ちるところまで落ちる。
不完全なるこの世の親にしてそうである、
霊魂の父なる神に対してはもっとそうである。
人を造り、育て、守り、救おうとする父を裏切る罪。
父以外のものを愛して、父を忘れる背信の罪。
これが偶像崇拝であり、神が最も忌み嫌い給うものである。
偶像崇拝が道徳的に、政治的に、経済的に、心理的に、
いかなる結果を招くかは別次元の問題であって、
霊魂を有する人間にとって最も恐ろしい罪は背信の罪である。
そして事実、偶像崇拝を犯すことによって、
人間内部は徐々に蝕まれ、心は乱れ、道徳は鈍磨し、教育は生命力を失い、
政治は混乱する。これ、歴史的国家が辿ってきた衰退の常道である。
ヤロブアム以降の北国イスラエルでは、ナダブ・バシャ・オムリ・アハブと、
ヤロブアムの道(偶像崇拝)を歩む悪王が次々と登場した。
国民に偶像崇拝が蔓延って、国民の良心は鈍くなり、
イスラエルの如き狭小なる国家では、急速に衰退の一途をたどる。
しかも、アハブという王は、ヤロブアムの罪を犯すどころか、
進んで異郷の神バアルにひれ伏し、ヤロブアム以上の罪を犯した。
(列王記Ⅰ16-30~33)
神に選ばれたイスラエル民族の心は、今や偶像に心を惑わされ、
正義は沈黙し、アブラハム以来の国民的信仰は絶えてしまうかに思われた。
ここで、戦う預言者エリヤが登場する。
人気blogランキングへ
イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返した。(列王記Ⅰ16-34)
聖書に度々言及されるヤロブアムの罪。
神が特別に忌み嫌い給うたこの罪とは、一体何なのだろうか?
ダビデによって固められ、ソロモンによって繁栄を築いたイスラエル王国は、
わずか二代にして衰退の坂道を転げ落ちることになる。
ソロモンは確かに知性の人であったが、多くの異邦出身の妻妾を蓄え、
彼女らが外国から持ってきた偶像崇拝に染められてしまった。
(列王記Ⅰ11-3・4)
それゆえ、神はソロモンの子レハブアムの時代に、ヤロブアムを選び給い、
彼をもって王国を分裂させることを許し給うた。
「ダビデのように神の戒めを守るなら」という条件つきで。
(列王記Ⅰ11-26以下)
こうして、繁栄を誇ったイスラエル王国は、北のイスラエルと南のユダに分かれ、
北をヤロブアムが、南をレハブアムが統治することになった。
しかし、ヤロブアムには政治的不安があった。
宗教的聖地であるエルサレムは南のユダにある、
人々がエルサレムに出入りすれば、いずれ王国は再びダビデの家の者の手に渡るかもしれない。
そこでヤロブアムは、自身の政治的地位を確かなものにするため、
金の子牛を二つ造り、自国のベテルとダンに置き、民に偶像崇拝を奨励した。
(列王記Ⅰ12-28~31)
すなわち、自身の政治的欲求のために、偶像を造って真の神を捨て、
民にもそれを奨励して、神の民を迷わせたということである。
儒教では、親への背信が最大の不徳である。
自由・独立の風が浸透した現代の我々からすれば、
古臭い道徳のように聞こえるが、ある意味で一面の真理である。
人は自分の親を裏切って、最も重い罪を犯す。
なぜなら、親は普通、子を無条件に愛してくれる存在である。
無条件に愛してくれる存在を、忘れ、蔑ろにし、裏切り、踏み躙る時、
人間は落ちるところまで落ちる。
不完全なるこの世の親にしてそうである、
霊魂の父なる神に対してはもっとそうである。
人を造り、育て、守り、救おうとする父を裏切る罪。
父以外のものを愛して、父を忘れる背信の罪。
これが偶像崇拝であり、神が最も忌み嫌い給うものである。
偶像崇拝が道徳的に、政治的に、経済的に、心理的に、
いかなる結果を招くかは別次元の問題であって、
霊魂を有する人間にとって最も恐ろしい罪は背信の罪である。
そして事実、偶像崇拝を犯すことによって、
人間内部は徐々に蝕まれ、心は乱れ、道徳は鈍磨し、教育は生命力を失い、
政治は混乱する。これ、歴史的国家が辿ってきた衰退の常道である。
ヤロブアム以降の北国イスラエルでは、ナダブ・バシャ・オムリ・アハブと、
ヤロブアムの道(偶像崇拝)を歩む悪王が次々と登場した。
国民に偶像崇拝が蔓延って、国民の良心は鈍くなり、
イスラエルの如き狭小なる国家では、急速に衰退の一途をたどる。
しかも、アハブという王は、ヤロブアムの罪を犯すどころか、
進んで異郷の神バアルにひれ伏し、ヤロブアム以上の罪を犯した。
(列王記Ⅰ16-30~33)
神に選ばれたイスラエル民族の心は、今や偶像に心を惑わされ、
正義は沈黙し、アブラハム以来の国民的信仰は絶えてしまうかに思われた。
ここで、戦う預言者エリヤが登場する。
人気blogランキングへ