翻訳者魂

人間は関係を持ちたい。人間は知られたい。人間は参加したい。人間は貢献したい。人間は自分に価値があると思いたい。

WBC第二ラウンド。誤審で好試合が台無しに

2006-03-13 10:01:12 | メジャーリーグ
日本対アメリカは3対3の白熱した戦いで終盤に突入。8回の表、岩村の浅いレフトフライで西岡がタッチアップ。日本が4対3とリードした。

ところが、離塁が早いのではないかとアメリカのバック・マルチネス監督が抗議。審判は判定を覆し、西岡をアウトとした。

ESPNは繰り返し2画面で捕球と離塁のタイミングを放送。誤審は疑うべくもない。

ESPNビデオ

アメリカ国内の野球ファンの間でさえ、恥ずかしい判定だという意見が多い。誤審は仕方ないとは思うが、なぜ、アメリカチームの監督の抗議を素直に受け入れ、2塁塁審の判定を取り消したのか?疑問が残る後味の悪い試合だった。

メジャーリーグで最初の日本人ピッチャーは誰?

2005-12-22 01:20:41 | メジャーリーグ
サンフランシスコ・ジャイアンツで活躍したM投手です。

1964年、M投手は南海から米マイナーリーグ球団フレスノに派遣されました。そこでの活躍がサンフランシスコ・ジャイアンツのスカウトの目にとまり、一気にメジャーに昇格。9月29日に1勝目を挙げました。翌1965年の成績は、4勝1敗8S。

1965年のシーズンオフに南海とサンフランシスコ・ジャイアンツの間で争奪戦が発生。M投手は、結局南海に戻りました。

当時は、テレビで大リーグ中継などなかったので、野茂やイチローのように大きな話題にはなりませんでした。

ヒント: 「たった一人の大リーガー」の著者です。

ブログつながり:

村上雅則

松井、ヤンキースに残留

2005-11-11 10:35:17 | メジャーリーグ
松井とヤンキースとの契約がほぼ合意に達したというニュースが流れた。ここ数日、メディアは、この契約について、まるで泥沼であるかのような報道をしてきたが、松井側にも、ヤンキース側にも合意の遅れという感じはなかったはずである。

ヤンキースはシーズン開幕前に松井との再契約を試みている。松井は、そのヤンキースに、「自分のプレイをしっかり見て、シーズン後に契約してほしい」とメッセージを出した。この3年で最高の成績をおさめた松井に、ヤンキースが不満を持つ筈もないし、松井も毎年プレイオフに進出するヤンキースを嫌う理由もない。契約の合意は当然のことである。

それにしても、早い時期に契約をすれば、たとえ成績がふるわなかったとしても放出されることはないし、実際、ほとんどの選手は、シーズン前に再契約の話があれば、それを受け入れる。それを拒み、スランプに苦しみ、怪我に耐えながらレギュラーシーズンとプレイオフの全試合に出場し、ヤンキースの優勝に貢献した松井は、本当に見事な、尊敬に値するプレイヤーである。

Japanese Major Leaguers

アメリカンリーグ新人王はストリート

2005-11-08 09:13:36 | メジャーリーグ
アメリカンリーグの新人王にヒューストン・ストリートが選ばれた。ヒューストン・ストリートの父親は、1969年にテキサスロングホーンズをチャンピオンに導いたクォーターバックジェームス・ストリート。

5月20日にオクタビオ・ドーテルが肘の怪我で戦列を離れた。ストリートは、このチャンスを活かした。オークランド・アスレチックスのクローザーになり、好投を続けたのだ。

成績と談話は Japanese Major Leaguers

井口、新人王獲得なるか?

2005-11-07 10:05:08 | メジャーリーグ
11月7日にアメリカンリーグの新人王が発表される。今年は新人が豊作で、各チームに大きな影響を与えた。新人王レースも混戦。もちろん井口も新人王の候補に上がっている。

MLBオフィシャルホームページで主な新人を紹介しているので、井口の項目を見てみよう。

井口資仁、シカゴホワイトソックス、2塁手

井口は最高齢の30歳。日本のプロ野球で8年の経験を持つ。井口は、メジャー一年目ですばらしい成績をおさめた。ワールドチャンピオンの重要な一員としてプレイしながら、新人の中で、安打数と得点はトップ。

しかし、投票者が井口をルーキーとして扱うだろうか?実際、3年前には、投票者の何人かが、松井秀喜を新人王の対象から外している。

Japanese Major Leaguers

松坂大輔: Google書籍検索

2005-11-05 13:38:06 | メジャーリーグ
松坂WBC出る!調整前倒し (スポーツニッポン) - goo ニュース

今日は、googleの全文検索機能を用いて、未だに大リーグ行きが囁かれている"Daisuke Matsuzaka"を検索してみた。

見つけた本のタイトルは"Taking in a Game: A History of Baseball in Asia by Joseph A Reaves "。松坂が、古代の戦士のように、感動的に描かれている。

アジア野球の魂は横浜にある。1896年の横浜で日本国民は野球に情熱を持った。1世紀後も、その情熱はまったく変わることがなかった。1998年夏。すべての日本人は、いつもの夏のように、活動を停止した。テレビとラジオに釘付けになり甲子園球場で開催されている高校野球を観戦した。夏の甲子園には、47都道府県の予選を勝ち抜いたチームだけが出場できる。そこではスターが誕生し、戦士たちは永久に語り継がれる。20世紀終盤の大会に出場した伊良部秀輝と吉井理人はメジャーリーグに参戦した。

1998年の夏の甲子園大会の予選には、それまでで最も多い4,102校が出場。1度の敗戦が終わりを意味する。生きるか死ぬかのプレッシャーが何百人もの若者を引き裂く。その光景が毎日全国に放送される。選手は全力で戦い、泥と汗と涙にまみれる。

勝ち残るのはただ1校。

1998年の夏。勝者は松坂大輔と横浜高校だった。横浜。あのアジアのベースボールの魂の地である。

続きJapanese Major Leaguers

イチロースズキ: Google書籍検索

2005-11-04 08:55:55 | メジャーリーグ
昨日に引き続き、googleの全文検索機能を用いて、日本人大リーガーの記述箇所を英文書籍から探し出してみた。今日の検索用語は"Ichiro Suzuki"。

見つけた本のタイトルは"Remembering Japanese Baseball: An Oral History of the Game"。

まず表示されるのは、1992年から1998年の日本野球での主な出来事である。内容は次の通り。

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1992年 ハウエル、セリーグのMVPとホームラン王。デストラーデ、パリーグのホームラン王。ブーマー、パリーグの打点王。

1993年 ブライアント、パリーグのホームラン王と打点王。松井秀喜とイチロー、デビュー。フリーエージェント制度スタート。

1994年 イチロー、年間安打数新記録樹立。イチロー、首位打者(以後七年連続)。イチロー、MPB。パウエル、首位打者(以後3年連続)。

1995年 野茂、ドジャース入団。新人王獲得。オマリー、セリーグ首位打者。伊良部、パリーグ防御率と奪三振数トップ。野田、8月21日に19奪三振の日本記録。バレンタイン、ロッテの監督就任。

1996年 松井秀喜、MVP。伊良部、防御率トップ。ヒルマン、ベストナイン。

1997年 古田、MVP。伊良部、ヤンキース入団。

1998年 横浜、日本シリーズ優勝。佐々木、MVP(45セーブ、防御率 0.64)。松井稼頭央、パリーグMVP。松井秀喜、ホームラン王、打点王。

引用元: "Remembering Japanese Baseball: An Oral History of the Game"
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日本人大リーガーが産声をあげた貴重な7年間だったことがよくわかるページです。ぜひごらんください。


シアトル、長谷川と契約結ばず

2005-11-02 14:55:28 | メジャーリーグ
現地時間11月1日、シアトル・マリナーズは、長谷川とのオプション契約を締結しないことを決定した。

長谷川は、今季46試合に登板、1勝3敗、防御率4.19だった。マリナーズは310万ドルのオプション契約を結ぶ代わりに、32万5千ドルを支払う。

1999年7月27日長谷川トレード

2000年7月19日長谷川健闘

バレンタイン、デビルレイズ監督最終候補3人に入る

2005-11-02 09:37:34 | メジャーリーグ
千葉ロッテ・マリーンズを日本シリーズ優勝に導いたばかりのボビー・バレンタイン監督が日曜日にデビルレイズ側と2時間におよぶ電話会談を行った。その結果、バレンタイン監督はデビルレイズ監督最終候補3人に残った。ドジャースも未だにバレンタイン氏に興味を持っている模様。

参照: Japanese Major Leaguers

イチロー5年連続ゴールドグラブ

2005-11-02 09:24:07 | メジャーリーグ
シアトルのイチローが5年連続でゴールドグラブを受賞した。ミネソタの外野手、トリ-・ハンター、オークランドの3塁手、エリック・チャベスも5年連続受賞。

ボストンのキャッチャー、ジェーソン・バリテック 、テキサスの一塁手、マーク・タシエラ、トロントの二塁手、オーランド・ハドソンは初受賞。ニューヨークのショートストップ、デレク・ジーター、トロントの外野手、バーモン・ウェルズは2年連続受賞。テキサスの投手、ケニー・ロジャースは4回目(2年連続)の受賞。

ハドソンの談話。「ボルチモアのブライアン・ロバーツが受賞すると思ってたよ。ゴールドグラブは毎年目標にしているので、とても満足している。」

イチロー、チャベス、バリテックは10万ドル、ロジャースとウェルズは5万ドル、ハンターは2万5千ドルのボーナスを獲得。

ゴールドグラブは、1957年にセントルイス市のRawlings社が始めた。レギュラーシーズンの終了前に、監督とコーチの投票によって受賞者が決定する。その際、自チームの選手には投票できない。また、同一リーグの選手のみを対象とする。

ナショナルリーグのゴールドグラブは水曜日に発表の予定。

参照: Japanese Major Leaguers

ワールドシリーズの展望

2005-10-22 10:46:58 | メジャーリーグ
アストロズとホワイトソックスの共通点は多い。

まず、強力な投手陣。おもしろいのは、両チームの主力投手に元ヤンキースの選手が多いこと。アストロズのクレメンスとペティート、ホワイトソックスのエル・デュケ、コントレラス。かつての同僚たちが別々のチームで投げ合うのを見るのも楽しみだ。

ギーエン監督もガーナー監督(かつてブリューワーズとタイガースで野茂を支えた)もバントを多用する。ホワイトソックスが気がかりなのは、ヒューストンでの試合だろう。アストロズ投手陣は、レギュラーシーズン中も打席に立つので、バントで走者を進める技術は高い。それに対して、ホワイトソックス投手陣はやはり練習、実戦ともにバントの経験は少ない。アストロズは故障の主砲バグウェルをシカゴで指名打者として使えるのも強み。

2塁手を比較してみよう。アストロズのベテラン、ビジオは今期自己最高の26本塁打を放つと共に、3年連続40二塁打。ビジオが打てば、アストロズは爆発する。しかし、ホワイトソックスの井口も負けてはいない。ギーエン監督は、チームMVPだと井口を絶賛。守備の能力も高く、勝負強い打撃も健在。レッドソックス戦ではシリーズの勝利を決める3ランを放った。2塁手をじっくり比較しながら試合を観るのもまた楽しい。

どちらのチームも、チーム全体でしっかり守ってつなげる野球なので、監督の采配が勝利の行方を左右する。

優勝の予想は難しいが、先発4完投でワールドシリーズに進出したホワイトソックスがほんの少し有利か。4-3でホワイトソックス。

シカゴとヒューストンにワールドシリーズがやって来た!

2005-10-21 11:01:51 | メジャーリーグ
ペースボール最大のイベント、ワールドシリーズがついにシカゴとヒューストンにやってきます。毎年、ボストンだ、ニューヨークだと騒がれ続け、両市民ともにどれほどうんざりしていたことでしょう。

さて、ワールドシリーズにはもちろん井口も登場します。デビューの年に、シカゴの、それもサウスサイドの、45年も優勝していないチームに所属しながら、この晴れ舞台です。Japanese Major Leaguersでも、井口を応援しながら、スコアボードを試合と同時進行で更新していくつもりです。どうぞ、ご期待ください。

なお、第一戦は、土曜日(日本では日曜日)に予定されています。

野茂英雄はスロースターター : ドジャースのコーチが語る

2005-03-13 16:39:52 | メジャーリーグ
野茂はスプリングトレーニングでこれまで2試合に登板。4イニングを投げ、被安打8、失点6、三振1。 球速は最高で135km。

野茂は終わっているのか?

いや、野茂はいつもスロースターターだ。

Ex-coach: Nomo's a slow starterに、ドジャースのジム・コルボーン投手コーチの談話が掲載されている。

「3年前に、もしドジャースがスプリングトレーニングの結果だけを見て野茂をローテーションから外していたら、ドジャースは野茂から16勝もプレゼントしてもらえなかった。2003年は、2002年の彼の働きに敬意を表して開幕投手に指名した。でも、スプリングトレーニングではずっと苦しんでいたんだ。最後の試合でやっといい投球を見せてくれた。そしたらどうだい。開幕戦では (ランディ・ジョンソンを相手に) 完封だ。」

「球速?野茂の球速は問題ない。大切なのは球速差なんだよ。スプリットフィンガーと直球のね。」

デビルレイズのルー・ピネラ監督は「野茂の投球は満足できる内容じゃないけど、投げ続けることが重要なんだ。スプリングトレーニングの最終週まで見守るよ。」と語っている。

野茂の次の登板は月曜日 (現地時間) の紅白戦に予定されている。

人生に不可能はない: 46歳のメジャーリーガー

2005-03-05 11:54:01 | メジャーリーグ
1995年のマリン・スタジアムに、独特の打撃フォームと野球への真摯な態度でファンだけでなく選手の心まで惹きつけたプレイヤーがいた。フリオ・フランコ。ロッテを2位に導いた功労者である。そのフランコが今年もアトランタ・ブレーブスのキャンプに参加している。夏には47歳になる。

オフは故郷のドミニカ共和国で家族と過ごすが、「そろそろ飽きてきた。ウィンターリーグにでも行くか。」と心はすぐに野球に向いてしまう。

フランコは50歳までは現役を続けるつもりだ。昨シーズンは、打率.309、ホームラン6本、打点57。眠り病のラローチェと交互に一塁を守っている。ロッキング・チェアにはまだまだ早い。

エリアス・スポーツ・ビューローの調べでは、46歳の野手の記録は過去にない。

「46歳でどうしてそんなプレイができるんだい?」そのたびに、フランコは答える。「なにか別のものが僕を使ってるんだ。人生に不可能なことはないよ、ってみんなに知らせるためかな。」

アンディ・バン・スライクのようにフランコの身体に疑問を持つものもいる。ウェストは細く、腹筋は堅く、肩幅は広く、腕は太い。自然の力だけで、46歳までこのような身体を維持できるのか?

フランコは笑う。「筋肉増強剤みたいなものを使う必要はないんだ。」フランコの野球に対する愛情を良く知っている周囲の人々は、フランコが筋肉増強剤を使っていないことに何の疑問も持っていない。

「フランコは手と眼の連携がいいんだよ。フランコみたいなプレイヤー?うーん。しいて挙げるとすればウィリー・マギーかな。マギーも手と眼の連携が良かった。引退するときとデビューするときの体重もほとんど同じだったしね。」と言うのはフランコよりも若い打撃コーチのペンドルトン。しかし、そのウィリー・マギーでさえ40歳で引退した。

38歳のブライアン・ジョーダンは言う。「あんなすごい身体を維持しているんだぜ。驚きだし、刺激になるよ。」

かつてアメリカン・フットボール選手だったジョーダンはフランコに初めて会ったときのことを今でも覚えている。「1990年代の初めだったな。そう、あれはセントルイス・カージナルスのスプリングトレーニング。ゲーム前にフランコがホアン・ゴンザレスとこっちにやってきたんだ。ダラス・カーボーイズの連中だって思ったよ。それほど凄い身体だった。フランコは今でもあのときのままだもんな。」

ブレーブスで一塁を分け合う25歳のラローチェは、ゲームの準備方法やベンチにいるときに精神力を高く保つ方法など、いろいろなことをフランコから学んでいる。

「フランコはこう教えてくれるんだ。自分ができる以上のことをしようと思うな。何も無いところからは何も生まれない。それを知ることが大事だ。」

フランコはバッティング・ケージで若手の練習を丁寧に見守る。

26歳のマーキス・ジャイルスには、「フォロースルーをもうちょっと長く」。
ジャイルスは、左翼に球を打ち返すとすぐにフランコを見る。
「よくなったかな?」
「よくなった」

「ぼくは、野球が大好きで、野球について多くのものを持っている。それを多くの人々に伝える必要があると思っているんだ。」

フランコはいつかは監督になるだろう 。引退すればの話だが。

Old man Julio: Still going strong at 46