アントニオ猪木さんが亡くなられた。
昭和の新日本プロレスファンとして、ただただ寂しいの一言です。
小学校の頃、金曜の午後8時と言えば朝日放送の新日本プロレス中継だった。釣り具の「がまかつ」がスポンサーで、「がま磯~ マークⅡ~♬」というフレーズを何度聞いたことか。
一世を風靡したタイガーマスクを仕掛けたのも猪木氏だったが、興行的な面はもちろんのこと、試合運びも実にプロレスの醍醐味だった。相手の技を全て受けて、それでも立ちあがる。そして、最後に延髄切りや卍固めで勝利を収めるのは、「必ず勝つだろう」と分かっていても見ていて爽快だった。
正規軍VS維新軍。猪木の卍固めに「絶対にギブアップしない」と人差し指を振り続けた長州。それを裁いていたミスター高橋が、放送席の山本小鉄に裁定を仰ぐシーン。あの伝説の5対5の試合は忘れられない。そして、猪木悲願だった統一ベルトIWGPの初代チャンピオン決定戦。負けないはずの猪木が、ハルクホーガンにリング外でアックスボンバーをくらってしまい、まさかの失神。後に「ベロ出し事件」と知られるあのシーンは衝撃的だった。
そして、大学受験を意識し始めた高2以降は、アントニオ猪木と言えば、早稲田予備校だった。毎年行われていた早稲田予備校の特別講義では、猪木が講義することが何年も続いた。その影響もあって、私は高2・3時の夏期講習は三大予備校(代ゼミ・河合・駿台)ではなく、早稲田予備校だった。猪木の代名詞となった「闘魂注入ビンタ」が誕生したのも、実はこの講義をしていた時だった。
『別冊 早稲田進学 ’92早大合格ID受験術』(ライオン社・1992年1月発行)の裏表紙広告より
トラスト英語学院の塾舎新築移転が来年の9月頃を予定していると、生徒たちにも話していますが、今週、ある高2生の保護者の方から、次のようなメッセージをいただきました。
「来年の秋分も素敵な節目をおむかえできそうですね。歳を重ねても輝いている先生と学べることは、語学はもちろんですが、子ども達は様々な事で学べてると、改めて思います」
身に余る言葉をいただき恐縮しましたが、生徒以上に生き生きと歳を重ね、「大人って楽しそうだな」と子供に思われるような大人でありたいと、再認識しました。
三遊亭円楽さんもアントニオ猪木さんも大ファンでした。人生は有限。誰でもない自分の人生。好きなこと・やりたいことをやりながら常にワクワクして、自分の一生を全うしたい。
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