一昨日の1,371件に続き、昨日もアクセス件数が1,006件。恐るべし、TOEIC熱・・・。
さて、第209回TOEICを受験しに上京した際、高田馬場で降りて右側の早稲田大学に向かう前に、左側に足を向けました。そこには、私の大学受験においてそれなしでは語れない、早稲田予備校があります。昔は確か「右は早大、左は早予」という看板が高田馬場駅に掲げられていました。
高校1年生の時、深夜番組で早稲田予備校の講師が大学受験英語を講義する番組を見ていました。その時から、“早稲田予備校”という名前に惹かれ、高校2・3年の夏休みは、早稲田予備校の夏期講習に参加し、模試もよく受けていました。当時、早稲田予備校でカリスマ人気講師だった井川治久先生の授業を受けることはできませんでしたが、現代文の関井光男先生の授業を受けることができ、蛍光ペンを使った個性的な解答法は強烈な印象とともに記憶に残っています。日曜日だったせいかひっそりとしていましたが、私が受験生だった25年前とは比較できないほど人の出入りが少ないです。少子化と指導形態・メディアの多様化で、予備校経営も大変な時代です。
さて、第209回TOEICを受験しに上京した際、高田馬場で降りて右側の早稲田大学に向かう前に、左側に足を向けました。そこには、私の大学受験においてそれなしでは語れない、早稲田予備校があります。昔は確か「右は早大、左は早予」という看板が高田馬場駅に掲げられていました。
高校1年生の時、深夜番組で早稲田予備校の講師が大学受験英語を講義する番組を見ていました。その時から、“早稲田予備校”という名前に惹かれ、高校2・3年の夏休みは、早稲田予備校の夏期講習に参加し、模試もよく受けていました。当時、早稲田予備校でカリスマ人気講師だった井川治久先生の授業を受けることはできませんでしたが、現代文の関井光男先生の授業を受けることができ、蛍光ペンを使った個性的な解答法は強烈な印象とともに記憶に残っています。日曜日だったせいかひっそりとしていましたが、私が受験生だった25年前とは比較できないほど人の出入りが少ないです。少子化と指導形態・メディアの多様化で、予備校経営も大変な時代です。
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