大学2年生のある教え子から、今朝、メールがあった。
「先生、お久しぶりです。ご無沙汰しております。この度○○大学の編入試験に合格しました。 これからはTOEICに力を入れたいと思います。先生方のおかげで自分の道が開けました。これから夢に向かって頑張りたいと思います。」
自分のことのように嬉しくなり、気づいたら彼に電話をしていた私。携帯から聞こえてくる彼の声は、自分で人生を切り開くために一つのことをやり遂げた自信に満ち、興奮している私の声とは対照的に、妙に落ち着いていた。
彼は1浪時に、どんなにひいき目に見ても大学受験生を指導できるはずもない、とある学習塾で無駄な時間を過ごし、2浪する羽目になった。彼と私が出会ったのは2浪が決定した3月だった。
大学合格のために必要な全てのノウハウを伝授し、勉強法を正し、実行。普段の指導にも熱が入った。模試の結果も順調に伸び、志望大学合格という思いは一層強くなっていった。
迎えた3度目の大学受験。「今度こそ」という強い思いとは裏腹に、センター試験のマークミスや受験申し込み時の確認不足で志望大学にことごとくふられてしまう結果に。彼は、本意ではない現在の大学に、泣く泣く入学していった。
しかし、彼は腐ることなく先を見据え、捲土重来の時をうかがっていた。そして、今回、国立大学の編入試験に見事合格を果たしたのである。
大学受験で満足のいく結果を残した生徒が、大学入学後、燃え尽き症候群になり、授業にすら出ず、留年したり、どうにかこうにか大学を卒業したという話はよく耳にする。
その一方で、大学受験で満足のいく結果が出なくても、先を見据えて努力を続け、編入試験や大学院入試・就職試験などで、いわゆる“逆転”をおこす生徒が多々いるのも事実。
どっちが勝ち組か?それとも勝ち組という考え方は、その一瞬の判断に過ぎないのか?
社会人になっても競争は続いていく。自分が満足し納得する人生を送るには、常に先を見据えた自助努力が必要となる。大学受験は、その術を培う絶好の機会であるという思いを再認識した。
「先生、お久しぶりです。ご無沙汰しております。この度○○大学の編入試験に合格しました。 これからはTOEICに力を入れたいと思います。先生方のおかげで自分の道が開けました。これから夢に向かって頑張りたいと思います。」
自分のことのように嬉しくなり、気づいたら彼に電話をしていた私。携帯から聞こえてくる彼の声は、自分で人生を切り開くために一つのことをやり遂げた自信に満ち、興奮している私の声とは対照的に、妙に落ち着いていた。
彼は1浪時に、どんなにひいき目に見ても大学受験生を指導できるはずもない、とある学習塾で無駄な時間を過ごし、2浪する羽目になった。彼と私が出会ったのは2浪が決定した3月だった。
大学合格のために必要な全てのノウハウを伝授し、勉強法を正し、実行。普段の指導にも熱が入った。模試の結果も順調に伸び、志望大学合格という思いは一層強くなっていった。
迎えた3度目の大学受験。「今度こそ」という強い思いとは裏腹に、センター試験のマークミスや受験申し込み時の確認不足で志望大学にことごとくふられてしまう結果に。彼は、本意ではない現在の大学に、泣く泣く入学していった。
しかし、彼は腐ることなく先を見据え、捲土重来の時をうかがっていた。そして、今回、国立大学の編入試験に見事合格を果たしたのである。
大学受験で満足のいく結果を残した生徒が、大学入学後、燃え尽き症候群になり、授業にすら出ず、留年したり、どうにかこうにか大学を卒業したという話はよく耳にする。
その一方で、大学受験で満足のいく結果が出なくても、先を見据えて努力を続け、編入試験や大学院入試・就職試験などで、いわゆる“逆転”をおこす生徒が多々いるのも事実。
どっちが勝ち組か?それとも勝ち組という考え方は、その一瞬の判断に過ぎないのか?
社会人になっても競争は続いていく。自分が満足し納得する人生を送るには、常に先を見据えた自助努力が必要となる。大学受験は、その術を培う絶好の機会であるという思いを再認識した。
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