江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

木母寺

2012-09-01 | まち歩き

木母寺(もくぼじ)は東京都墨田区の隅田川沿いに建つ天台宗のお寺で、境内には能の「隅田川」で知られる旧跡「梅若塚」が在ります。「隅田川」は、人買いに連れ去られ、幼くしてこの地で命を落とす梅若丸と、我が子の行方を探し、ついには物狂いになってしまう母の悲哀の物語で、これを原点とした「隅田川物」と呼ばれる作品が歌舞伎や人形浄瑠璃でも演じられています。


木母寺の起源は、平安中期の貞元元年(976年)に梅若丸の墓所である塚が築かれたことで、これが後の梅若寺となり、慶長十二年(1607年)に改名により木母寺となります。明治元年(1868年)には幕府の保護を失い廃寺となり、梅若塚は梅若神社になりますが、明治二十一年(1888年)に再興が成し遂げられ、梅若神社も仏式に復帰します。そして昭和51年(1976年)に防災拠点建設事業の実施により、旧地より150mほど西側の現境内に移転し、今に至ります。


木母寺は、池波正太郎著・剣客商売シリーズの記念すべき第一巻第一話「女武芸者」の中で、主人公・秋山小兵衛が住む鐘ヶ淵周辺を「あたりには木母寺・梅若塚・白鬚明神などの名所旧跡が点在して」と形容する際に登場しています。木母寺と鐘ヶ淵は江戸全体を描いた古地図の中では、右下隅にかろうじて描かれる江戸の郊外に位置しており、例えば浅草・駒形堂裏の小料理屋「元長」からは、およそ3.5km、本所・亀沢町に住む医師で碁敵の小川宗哲先生宅からはおよそ5kmと江戸中心部からは結構な距離にあります。自動車や鉄道が無かった時代、鐘ヶ淵と江戸中心部を行き来するのは結構大変だったはずですが、それにも関わらず、小兵衛も息子・大二郎もその他の登場人物もこの距離を苦にもしていません。剣客は実は健脚でもあったのです。


木母寺が登場するその他の作品

  • 池波正太郎著「殺しの波紋」(鬼平犯科帳(十三)に収録、文藝春秋)
  • 高田郁著「みをつくし料理帖、天の梯」(天の梯に収録、ハルキ文庫)

木母寺 東京都墨田区堤通2-16-1

東武伊勢崎線 鐘ヶ淵駅より約650m 徒歩約8分


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