江戸観光案内

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南割下水

2012-01-28 | まち歩き

南割下水は、両国にある江戸東京博物館から錦糸町方面に伸びる北斎通りにかつて存在した水路です。川幅は1間~2間(約1.8m~3.6m)程しかなく、現代の感覚からは気に留めるほどの川とも思えませんが、古地図上では結構目立つ存在です。下水という名前が付いていますが、汚水を流すための水路では無く、低湿地で水はけの悪い江戸の町の排水のために造られた水路で、横川(現在の大横川親水公園)よりも東側では錦糸堀と呼ばれ、錦糸町の名前の由来となりました。南割下水の名は、その周辺地域の地名の代わりにも使われ、北には北割下水という同様の水路が存在するのですが、「割下水」と言った場合には、普通は南割下水とその周辺地域を指しました。


南割下水は、時代小説の中では竪川や小名木川や仙台堀には及ばないものの、本所が関係する作品には度々登場します。例えば藤沢周平著「春秋の檻」(講談社)の「雨上がり」の章の中では、南割下水のそばに主人公・立花登の友人の新谷弥助の家があると記されています。


南割下水が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「春秋の檻」(「返り花」の章、講談社)
  • 藤沢周平著「愛憎の檻」(「片割れ」の章、講談社)
  • 藤沢周平著「人間の檻」(「戻ってきた罪」の章、講談社)
  • 藤沢周平著「漆黒の霧の中で」(第一章、新潮社)
  • 藤沢周平著「ささやく河」(「目撃者」「人間の闇」の章、新潮社)
  • 池波正太郎著「鬼平犯科帳(一)」(「本所・桜屋敷」の章、文藝春秋)

南割下水(北斎通り)

都営大江戸線両国駅からすぐ 徒歩約1分


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かつて南割下水が流れていた北斎通り(写真奥が錦糸町方面)


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