江戸観光案内

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福厳寺

2015-03-07 | まち歩き

赤穂四十七士の一人に、大石瀬左衛門信清という人がいます。その名からも判るように、四十七士を率いた大石内蔵助良雄の縁者で、内蔵助の曾祖父・良勝の弟・信云の孫にあたる人です。

この瀬左衛門の伯父にあたる人に大石無人という人がいます。無人は信云の長男として生まれましたが、家督を継いだのは弟で、瀬左衛門の父でもある信澄でした。無人自身は赤穂藩に仕えた時期があったものの、やがて赤穂藩を離れ、江戸で暮らすようになります。そして、二人の息子も赤穂藩に仕えることはありませんでした。

しかし、無人と次男の大石三平良穀は、赤穂藩には仕えてはいなかったものの、赤穂浪士の討ち入りに際しては、親子でこれを支援しました。そして、討入りが行われた12月14日に吉良上野介が在宅しているとの知らせを国学者・羽倉斎(荷田春満)から得て、内蔵助につないだのが、大石三平でした。

その大石三平の墓(墨田区登録有形文化財)が在るのが、墨田区に建つ福厳寺です。江戸開府以前からある古刹で、徳川第3代将軍・徳川家光が、父・秀忠の冥福を祈るために寄進した朱塗りの寺門から、古くから赤門寺と呼ばれています。現在の赤門は、震災、戦災を経て、戦後に復興されたものです。一説には、大石三平が赤穂浪士のために、福厳寺を集会場所として用意したとも言われています[1]

福厳寺は、葉室麟著「花や散るらん」(文藝春秋)の中で、大石三平が時おり参禅する寺として登場しています。ある日、久し振りに座禅を組んだ三平は、本堂から広縁に出たところで、三平を待っていた知人の羽倉斎と顔を合わせます。余談ですが、羽倉斎ゆかりの国学発祥の碑は、神田明神の境内に建っています[2]

 

[1] 墨田区公式ウェブサイト
[2] 神田明神ホームページ

 

福厳寺(赤門寺) 東京都墨田区東駒形3-21
都営地下鉄浅草線 本所吾妻橋駅から約200m 徒歩約3分

 

 


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