江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

『浪華奇談』怪異之部 2.小坊主 

2024-02-10 22:38:01 | 怪談
『浪華奇談』怪異之部 2.小坊主
             2024.2
たぬきが子供に化けた話

私の第三男が、膝行松(いざりまつ)の辺(あた)りにおいて、夜中に小児が一人たたずんでいるのを見た。傍近くに進んで見れば、知っている者の子であった。
三男から声をかけたが、子供は、返答もしないで、ただ笑ってばかりいた。
しかし、その着ている服の縞の筋が鮮明に、あたかも白昼のごとくに見えた。
これは、父が平生言っていた所の狸の怪であろうと、匕首(あいくち)を抜うちに斬りつけた。しかし、
少しは手答えもしたが、たちまち狸の本相を現して、そばの塀壁をかき登り、逃亡したそうである。

私が、思うに。匕首を抜く事が、今少しおそければ、大事に至ったであろう。


『浪華奇談』怪異之部 1.医者が、野狐をしかる

2024-02-09 22:33:27 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣
『浪華奇談』怪異之部 1.医者が、野狐をしかる
                   2024.2
曽根崎村(大阪市北区)に、私の知っている医者が住んでいた。文化年間に、私がかの人の許へ行ったが、夜陰におよんで、外より柴の扉をたたく者がいた。
内より、「どちらから、来られましたか?」と問うと、「大仁村の庄屋方より来ました。奥様が、急に病になったので、診察して下さい。」と言った。
医者は、さっそく戸をひらくと見えたが、突然とがめて使いの者を叱った。
「にくい野狐のしわざかな。今宵はゆるすが、
また来たら、ただではおかないぞ。」
と立蹴にけたおし、戸を閉めて座についた。
私は、なんとも理解できなかった。
それで、「今のありさまは、何事ですか?」とたずねた。
主は、こう言った。
「只今来たのは、人ではなくて狐です。私をだまそうとしたのです。
おおよそ、村邑(むら)の医者は、こういった事を覚悟しなければ、だまされてしまいます。それで、夜に人って人が来る時は、はやくその者の手腕を握って見て、掌中にたとえば、竹の筒を握るように丸く感じたら、これはまさしく狐狸の変化です。その時は、大いに勇気を振るって、先程のように振る舞うのです。
そうすれば、もう二度と来ません。」
と。

『浪華奇談』怪異之部(全十七話)怪談概論 

2024-02-08 22:22:27 | 怪談

『浪華奇談』怪異之部(全十七話)怪談概論 
          2024.2
世人は論語に「子不語怪力乱神(シはカイリキ・ランシンをかたらず)」とあるのを根拠として、怪談するのを大いに排斥している。これでは、ある事にこだわって、ひろく事物を見ないことになる。
論語の言葉は、孔子が、門人に対しては、詩経や書経を講じ、礼記を解説し、さては六芸の話に及び給うのが常であるので、門人達が見聞き(みきき)していないのに推量を用いて「子不語怪力乱神」と言った迄の事である。
実際には、聖人がみずから「我不語怪力乱神」とは、のたまってはいない。
或いは、怪異なりとして排斥すれば、「易経」なども第一に排斥すべきではなかろうか?
そうであっては、聖人(孔子のこと)の心に背くにも至ることになるであろう。
詩書礼楽のみ訓導したまわったのは、さしあたって、今日の世務に資益が多いを以っての意味である。
こういったことを、よく考えるべきである。
こういう観点から見ると、孔子に怪を聞いた箇所は、少なくない。
土の怪は、*羊防風氏(ふんようぼうふうし?)の骨一疋鳥(こついっぴきちょう)の鼓舞(ちょうのこぶ)、江中の萍実(こうちゅうノへいじつ)、木石(もくせき)の怪は鬼魍魎(キもうりょう)、水の怪は、龍罔象(りゅうもうしょう)、粛慎の石?(しゅくしんノせきど)など、いづれも怪にあらず、と言う事はない。

そうではあるが、先生(孔子)は、常には、怪異とは、のたまわってはいない。
聖人(孔子)は、弟子からの質問にすぐに答えてくださる。
聖人(孔子)は、博く物を知っているので、これらの外にも、御心中に記せられた奇怪の事ごとなども有るであろう。
まして書経、詩経、易経、左氏伝などには、怪なることが、記されている。
よって、私は、怪を語るのも真理探究の一つと思うのである。

そうであれば、野狐が人に化けたのは、手腕を握って知る事が出来、古狸が人に化けたの衣装の模様を見て、知ることが出来る。
龍が人に近づいて迫って来る時は、頭髪を焼いて、悪臭を出すと逃げ去らしめる事ができる。或いは、食物が空中を飛んで行くのは、蝦墓のしわざであると知ることが出来る。
このように、理を究めて、不思議なことに対処すれば、惑い怖れることはない。
従って、奇怪の談を読んでおく事も、実は、怪奇な事に対処する心得とも成るものである。
これが、私の怪談に対する考えである。

以上の狐狸龍蟇(こり りゅう がま)については、後の文に詳しく記した。


『浪華奇談』怪異之部(全十七話)現代語訳

2024-02-07 22:18:36 | 怪談
『浪華奇談』怪異之部(全十七話)現代語訳
                  2024.2

序文(訳者による)

本現代誤訳は、”翻刻『浪華奇談』怪異之部”(国会図書館デジタルコレクション)を底本としました。

その解題によると、本書は、活字本が見つかっておらず、写本のみがいくつかあるようです。
また、別名に、「浪速奇談」「浪花奇談」「難波奇談」があるようです。

この『浪華奇談』の「怪異之部」は、一七話であり、八冊本『浪速奇談』所載の全ての話が二六一話であるそうなので、ほんの一部分ということになります。

この『浪華奇談』は、天保六(一八三五)年には正編六巻で成立し、弘化二(一八四五)年に及ぶまで書き続けられていたようです。

著者について
著者については、「小倉敬典」となっているが、他に著作もなく、彼について書かれたものもないので、わからないようです。ただ、本文中に、玉造で開業していた医者のようだ、とのこと。
生没年もその他のことは、全くわかりません。

カエルの語源は、よみがえる(蘇る)  松屋筆記

2024-02-05 22:35:15 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

カエルの語源は、よみがえる(蘇る)
           2024.2
「蛙」を「かえる」と言うことは、蘇生(よみがえる)ことによる名前である。
蛙を打ち殺して、車前(おおばこ)の葉につつんでおけば、やがてよみがえる事は、世人に知られている。

「蜻蛉日記(かげろうにっき:藤原道綱の母の日記)」にも、その事が記されている。

「中務集(平安時代の女流歌人ナカツカサの歌集)」に、
蛙の死んだのを、よみがえらせて、
「かれにける(枯れた;死んだ) かはず(かわず:蛙)の声を 春立ちて などか鳴きぬと おもひ(おもい:思い)けるかな」
返歌
「誰れかかく からをおきては しのぶ(忍)らん よみかへるてふ 名をや頼みし」
とあり。
この返しの歌にて、「かえる」の名は、「よみがえる」に由来する名と知ることが出来よう。

「松屋筆記」より 広文庫より