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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

河太郎の摸写図  続燕石十種 「筠庭雑録(いんていざつろく)」

2025-04-14 00:32:27 | カッパ

河太郎の摸写図  続燕石十種 「筠庭雑録(いんていざつろく)」

                         2025.4


寛永(1624~1644年)年中、豊後国(大分県)肥田にて捕えた河童の図がある。
原本は、鍋島摂津守殿が所持している。身長は一尺五寸許(ばかり)に描かれており、傍にこう記してある。
                    
 頭のさらに蓋があり、蛤などの形のように窪んでおり、深さは一寸ばかりある。歯は亀のようで、奥歯は上下四枚、とがり歯である。背の色は亀のようである。脇ばらに 柔かな立筋がある。ここをつかめば、動くことが出来なくなる。
手足が縮めば、亀のように甲の内へ入る。手足の節は、うらがえしにも前にも自由に曲がる。尾は、亀のようで、一寸四五分のとがり尾である。
なま臭いこと甚だしいとある。

続燕石十種 「筠庭雑録(いんていざつろく)」  広文庫より


鼈(すっぽん)、河太郎となる  「さへずり草」 松の落ち葉

2025-04-14 00:29:38 | カッパ

鼈(すっぽん)、河太郎となる  「さへずり草」 松の落ち葉

                                   2025.4

山崎美成(1796~1856:随筆家)がこう言った。
水虎の写生図(写真:当時は、写実的な絵のことを写真と呼んだ)であると見たのは、背腹ともに鼈(すっぽん)の甲羅のようなものがある。手、足、首の様子は鼈(すっぽん)に大変よく似ていた。世人が、河童は、スッポンの年経たるものである、と言うのも納得できる。
先日見た陰乾(かげぼし)のものを諸書の図説によって思うに、実に川亀の年経たものが、変化(へんげ)した所のものであろう。越中富山の方言で、カッパの事を「ガメ」と言うのも、大いに由あることである。

「さへずり草」 松の落ち葉  広文庫より

 


森源左衛門と言う河太郎  「ありのまま」

2025-04-13 00:24:09 | カッパ

森源左衛門と言う河太郎  「ありのまま」
                           2025.4

寛政(1789~1801)のはじめ、芸州山県郡羽生村(広島県)の庄屋の六左衛門の家に一人の武士が来た。その姿形は人に違う事なくてなまぐさかった。
その者が言った。
「我は森源左衛門と申すものにて、この川に年久しく住んでおります。近頃の洪水で、淵の中の岩に光りあるものが流れて来ました。石の間にはさまれているのを、眷属どもが大いに恐れているので、何卒、人を遣わして、この物を取り除けて下され。」
六左衛門は、大いに驚き、
「さては、汝は川童(かっぱ)なるや。
 さらば、その願い聞き入れられない。
 汝をはじめ、一類をも召しとり、村への害を除いてやろう。」と怒って言った。
この者が、こう言った。
「御怒りですが、そう言われる筋合いはございません。我等が境遇は、人間と異なりません。非義のふる
まいを禁じております故に、人を害する事は決してございません。何とぞ、その害を除いてください。」と、ひたすらに願った。
それならば、望みにまかせよう、と言って、
水練の者を淵に行かせて、様子を見させた。
すると、岩の隙間に小さな石が狭まれていたのを取って帰って来た。
その翌日、源左衛門が来て大いによろこび、
「一族の喜びは、大変なものでございます。
 どのように、感謝のお礼をしてよいか、わかりません。これは得がたきものですので、差し上げます。」
と言って、卵六ッツを置いて帰って行った。
六左衛門は、異類の者からの贈りものである、として捨てた。
その後、また 卵を三っつ持って来て、
「卵をお食べになりましたか?」と言った。
六左衛門は、本当のことを答えた。
源左衛門は、言った。
「さてさて、それは惜しい事でした。
これは、コクといふ鳥の卵でして、大変に得がたい物で御座います。このたびは、すぐにお食べください。大変に不思議な効能のある物であります。」と言った。
それで、六左衛門は、やがてそれを食べると、
「腹部が涼しくなり、精神が、はっきりしてきて、身がすこやかなる事を覚えた。」と言った。
この事をある殿様に申し上げた所、コクと言う鳥について、いろいろ調べさせた。しかし、コクについて、知っているものは、なかった。

 

「ありのまま」 広文庫より


河童に、証文に拇印を押させた話   「ありのまま」

2025-04-12 00:21:51 | カッパ

河童に、証文に拇印を押させた話   「ありのまま」

                         2025.4

原題は、「河太郎に、印形を押さしむ」  
 
長門の大津郡、向津(むこうつ:山口県長門市)と言う出島に、杉谷の池という大きな池があった。
その辺りに、藩主の馬をあづかり、野飼いのためこの池のほとりにつないで置く事があった。

それを、川童(かっぱ)がそのつないであった繩を身にまとい、池に引き入れようとしたのであろう。
馬は、大いに驚き主の屋敷に馳せ帰った。
河童は、繩をほどけなくて、引きずられるままであった。それで、あたりの者が寄りあつまって、河童を捕らえた。

「向津には、末代に―至るまで住まない」との証文を書かせた。
河童の手に墨をぬって、印鑑の代わりに花押として押させたのちに放免した。

その後、庄内に川童が住むことがなくなった。
その証文は、土地の神様の祠に込めたと言う。
貞享年中の事であると聞いた。

「ありのまま」 広文庫より


帯刀のカッパ  「ありのまま」

2025-04-12 00:17:23 | カッパ

帯刀のカッパ  「ありのまま」

                   2025.4

原題は、「大小刀を横たへたる河太郎」(侍の姿をした河童)であるので、帯刀の河童とした。


このカワタロウである源左衛門(げんざえもん)は、大小刀を帯びていたそうである。眷属は三百ばかりある事を語ったそうである。その後、しばしば来たが、その身に臭気があった故に近づいて来る事を嫌い、竹縁に座らせて話をしたそうだ。
肥後(熊本)の渋江、筑後の釜屋(この二人は、ともに陰陽師の如き者だそうだ)が率いていた川童のようである。
ついでに言っておこう。播州(兵庫県)の玉屑は、川童の毛をもっていた。その色は、狐の毛のようであって、水に入れれば、その形は見えないようになった。あやしいものであった。

「ありのまま」 広文庫 より