江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

天狗の姿の出典  青栗園随筆

2021-07-09 22:39:53 | 天狗

天狗の姿の出典

天狗の姿は、今一般的には、鼻が長く、修験道の山伏のような姿をしているとされている。
では、この姿は、どこから来たのだろうか?
この答は、「青栗園随筆」にある。

以下

天狗は、中国の書には、星の名である、としている。
(訳者注:天狗星≒流れ星)
「博聞録」に、山陰に獣あり。狸蛇に似ている。、これを名づけて天狗と言う。
又、杜工部(杜甫のこと。唐代の詩人)には、「天狗の賦」がある。これまた天狗とは、猛獣の事である。

日本では天狗は、人の顔をしている。しかし、見た者はいない。

狩野元信(画家)は、鞍馬山の多聞天の安置しているお堂で、夜通し起きていて、明け方に障子に映った、その天狗の影をみた。そして、それを絵にかいた。
それが始めて今の天狗のをに描いた、との事である。

この画は、今も多門天のお堂にある。

この像は、修験者の姿である。
それ故、太郎坊次郎坊など山伏の名に準じて、好事の者が呼びならわしたのであろう。

 以上、「青栗園随筆」-広文庫より


芭蕉の妖怪  中陵漫録

2021-07-08 19:54:15 | 怪談

芭蕉の妖怪                            2021.7

昔、信州のある寺に、一人の僧がいた。

夜、書を読みんでいたが真夜中になった。

一人の美人が来て、この僧にたわむれた。

この僧は、大いに怒って、この婦人を刀で打った。

その帰り道には、点々と血の跡があった。

翌朝、その血の跡をたどって行ってみると、庭の芭蕉が、すべて倒れていた。

人々は、これを見て、皆こう言った。

「この芭蕉の魂が、化けて婦人となったのであろう。」と。

 

私(中陵漫録の著者の佐藤成裕)は、始めは、この説を信じなかった。

しかし、その後、琉球人に会って、考えを変えた。

琉球の芭蕉園の事を尋ねた。

すると、琉球は暖かい国であって、住民は皆芭蕉布を着ている。

それ故に、山野には、皆芭蕉を植えており、糸を取って芭蕉布を織る。

この園を蕉園と言う。

この芭蕉は、大変大きく高くなって、太樹のようである。

雨が降っていても、その下にいれば、雨にぬれる事はない。

真夜中ににこの芭蕉園の中を独りで歩く時には、必ず芭蕉の妖怪(蕉妖)に逢う。

その姿は、皆婦人である。

敢て人を害する事はない。

只、人がその化けた婦人を見せて驚かせるだけである。

他に何も害ある事を聞かないと言う。

この妖怪を防ぐには、日本の刀がある。

刀を帯て、芭蕉園を通り過ぎる時には、この妖怪に逢う事はない、と言われており、皆々日本刀を貴んでいる。

 

この説を聞いて、始めて信州の芭蕉の妖怪の事を信じる事になった。

 

また、考察するに、この芭蕉という物は、元来は草である。

草ではあるが、長ずれば大樹のようである。

このことから見れば、芭蕉は、草の中の王である。

その魂は、化して妖をなすであろう。

 

千年の大樹も妖を為す事がある。

芭蕉も、この類であろう。

 

以上、「中陵漫録」蕉妖の項より  


カッパの害を避けるまじない歌  「中陵漫録」の「河太郎の歌」

2021-07-07 23:32:32 | カッパ

カッパの害を避けるまじない歌
                           2021.7
河太郎(カワタロウ=河童)が人を害する事が、希にある。
怪しい川に入り、泳いだり、魚を釣ったりしてはいけない。
奥州には、河童による害はないが、西日本では時々カッパによる害がある。
この為に豊後の某が、河太郎による被害を防ぐ方法を知っていて、お守り(霊符)を出した。
もし釣りに行ったり、あるいは怪しい川を渡る時には、この歌を三遍となえるとよい。
カッパによる害を防ぐ事は、本当のことである。
    ひやうすべに 川たちせしを 忘れなよ 川たち男 我も菅原

以上、「中陵漫録」の「河太郎の歌」の項より。 


マムシの害を避けるまじない歌  中陵漫録

2021-07-07 23:27:57 | その他

マムシの害を避けるまじない歌
                         2021.7
蝮蛇の害を避ける歌、というのが、奥州にある。

土地の人が、松茸を採ろうと山に入るその前に、一首の歌を三遍となえると、マムシの害には遭わないそうである。

ある樵(きこり)の話であるが、
その歌は、古くより言い伝えられていて、効果があるそうである。

戯(たわむれ)に記すと、
   
此(この)山に にしきまだらの 虫あるは 山たつひめに 談り聞さん(かたりきかさん)
(訳者注:全体の文章から、この歌の意味は、「マムシよ、出てきたら猪に教えて、お前を食べてもらうぞ。」であろう。)
と云う。
(訳者注:ここに言う虫とは、蛇=マムシを指す。古語では、マムシや蛇を、ムシ=虫とも言う。
漢字でも、蛇は虫偏です。蛇は、本草学では、虫類に分類します。足のあるムシは、蟲、足の無いムシは虫です。)

考察するに、にしきまだらとは、蝮蛇(まむし)の事を言う。
「本草綱目」に曰く、「頭斑身赤文斑」。
又「本草拾遺(原文では、蔵器)」に曰く。蝮蛇錦文とあるのによって、にしきまだらと言う。

また、考察するに、山たつひめとは、鹿の事である。
本草書に、鹿の別名に、斑龍の名がある。それで山龍姫とも言う。
鹿は草を食べて、虫類を食べる事はない。

蝮蛇を好んで食べるのは、猪である。
和歌に山龍姫とあるが、この場合には、猪の事を指すのであろう。

以上、「中陵漫録」の「蝮蛇の歌」の項より。