小山の天狗 「南紀土俗資料」
2025.4.8
和佐笹山(日高川町和佐か?)の城主である玉置権守(たまおきごんのかみ)は戦國時代の勇将の一人である。
ある時、所用があって有田(和歌山県有田市:ありだし)に赴き、帰途の津水より早蘇(和歌山県日高川町)への山道に件も連れず、独り峠に来かかった。師走二十日過の、日もはや暮れて隨分寒い淋しい晩であった。
と見れば路の真中に、一人の山伏が立塞って、「ここを通すことが出来ない」と言った。
気の短い権守は、ここぞ手並の見せどころと、帯びていた刀を、抜く手も見せず、彼の山伏の肩先へ切りつけた。
はっと言う声が、谷に入って行って、山伏の姿は見えなくなった。
跡には、長さ八尺ばかりの鳶色の片羽が残っていた。
さては天狗であったわい、とその羽を引きかたげ、笹山木城へと立帰った。
その後、小山で片羽の天狗が時々見られたそうである。
権守は帰えって来てから七日間物忌をして城にこもっていた。
そうこうするうちに、由良の開山からだと言って一人の僧が訪ねて来て、
「住持が彼(か)の片羽を所望すること切である」との旨を話した。
住持は、権守(ごんのかみ)の伯父なので、
「御坊の御所望とあらば差上げたいは山々だが、この羽だけは、我が身代りとして家宝として子々孫々に伝えたい。
どうか此の儀だけは」と固く辞退した。
使いの僧は、突然に大天狗に成って、
「我は開山上人の使憎ではない。実の所、この間その方のために片羽を失った小山の天狗の親類である。
この場合、命だけはゆるすが、以後心を改め高慢の気を去らねば、汝の家は遠からず滅びるであろう。
まずこの片羽は、我が部下のものだから持帰ろう。」
と引き奪って高く高く飛び去った。
権守は刀の柄に手を懸け、一打ち にしてやろうと思ったが、体がしびれて動けず、物言うことも出来ず、口惜気ににらんでいるばかりであった、と言う。
以上、「南紀土俗資料」土俗編、呪詛伝説 より