江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

平田の怪猫  「土佐風俗と伝説」

2023-02-25 22:38:17 | 化け猫

平田の怪猫

                     2023.2

今は昔、幡多郡平田村(高知県宿毛市平田町)に甚六と言う猟師がいた。

その家は、一匹の半面斑(ぶち)の大猫を飼っていたが、大変年を取っていたので、色々な怪異があった。

ある年、甚六の妻が病死したとき、夜伽に際しその猫が躍り出したので、早速その猫をつないでおいた。
すると、野送りをする時一天にわかにかき曇り、雷電風雨がたちまちに起こって、人々は耳をおおって地上にふした。
不思議にも、その棺が空中に浮き上がろうとした。
そこで導師の寺山寺の高僧南光院は、「奇怪なり」と、ただちにその棺の上にのぼり、祈念黙祷(きねんもくとう)した。
この時、一団の黒雲が来て棺を取り巻いたが、南光院は声高らかに仏名を唱え、百八の念珠を高く振るって発止(ハッシ)と打ち止めた。
やがて、一天がらりと晴れ渡り、何の苦も無く棺を埋め終った。

その後、家に帰ったが、不思議なことには、今迄つなでいあった大猫は逃げて、井戸の辺(あたり)で手拭を被って踊っていた。
そして、背中には数十の珠数痕があった。

その後、甚六は原見(けんみ)の原と言うところに、ぬた待ち(狩猟)に行こうと、銃丸を鋳造した。
そして、一つニつと出来上りを数えながら十二個を用意したふりをし、もう一つの弾をかくし持った。
支度を調のえ、その夜、狩り場に赴いた。

その夜、月が明るかった。
猪や猿も集まったが、不思議にも皆奇声を発して逃げ去った。
たちまち、一匹の怪物が牙をむきだして喰いかからんとしたので、すぐに鉄砲を打った。

一発が怪物の眉間にあたったかと思うと、かちんと音がしてして跳ね返ると、「一つ」と怪物がうなった。
二発目も同様に、「二つ」とうなった。
遂に三発四発より十二発に及ぶと、怪物も「十二、もう弾があるまい」とうなった。

甚六は、無念と、隠し持っていた最後の残りの一発を打てば、美事に命中した。
ふるい動く音がして、怪物は姿を消した。
どこまでもと、血の痕をたどって行くと、遂に我家に帰りついた。
家には、十二発の弾痕のある鍋蓋が地面に落ちていた。
床下には、かの半面斑の大きな飼猫が倒れていたそうである。

「土佐風俗と伝説」より


白姥が嶽の怪猫 「土佐風俗と伝説」

2023-02-16 00:21:50 | 化け猫

白姥が嶽の怪猫  

白姥ヶ岳の怪猫

                                                       2023.2

今は昔、宝暦(1751~1764年)の頃、長岡郡本山郷伊勢川村(高知県長岡郡本山町)という所に、小平と言うものがいた。

自宅より二里半(約10km)も離れた白姥ヶ岳という高山幽谷の中に、ぬだ待ち(獣類の来るのを待ち、これを銃殺する猟法)に行った。
常日頃行き慣れている打ち場に、獲物待ちの場所を構えようと思った。
朝から次の朝まで、深山中に一夜を明かそう、と握り飯、茶瓶を携えていった。
打ち場の下から五町(一チョウは、109m位。545m位)位の所に、形ばかりのとや(樹木を組み木葉を蓋ひて雨露を凌ぐ所)を構え、ここで夕食を食べようと、用意をはじめた。
そのとき、年齢十五六の可愛いらしい少女出て来た。

「叔父さん、変った所に御座んした。」と言った。
ふと見れば、その姿は、隣村の森郷白髪村に住んでいる姪のお六、そのままであった。

小平はこれを見て、さて化け物が出てきたな、只の一打でしとめようと思った。
しかし、顔も声もあまりにお六に似ているので、声をかけ、「こんな夜中に、少女の身で人里遠いこの深山へ、どんな急用があって来たのかい?くわしく訳を言ってみろ。」
と責めかけた。
お六は、いつもと変らぬ笑顔で、
「ここは白蛯ケ岳というて、最も恐ろしい山の中です。

いかに世渡の業とは言いながら、罪もなき畜類を打ち殺し、罪を造るは無慈悲なことです。

今後は何卒殺生を止め、他の仕事に替らるる様、御諌(いさ)め申したく、参りました。」と。

 小平は答えて、

「我は生来の猟師ならば仕方がない。その方は少女といい夜中といい大胆至極の事だ。しかし、最早(もはや)夜中を過ぎたので、暁までも間もあるまい。この小屋で仮寝して、一夜を明かし、明日の朝早く村へ帰れ。」と言った。
その夜はそのまま、そこに打ち臥したが、小平は少しも油断なく注意していた。しかし、これは不思議なことに、宵の中は少女と見えたその姿が、丑の刻(午前二時)を過ぎた頃より、顔かたちが次第に変じて来て、目は大きくなり異様の光を放ち、口は広がって耳元まで裂け、身長も延びて七尺以上となった。

それで、小平は驚ろき、いで 化物の正体現わさせてみようと、そっと山刀を引抜き、拳も通れとばかりに、脇下を差し透した。

すると、怪物はたちまち正体を現し、七尺有りの大猫となった。

物凄い悲鳴をあげ、山奥指して逃げ入った後、その足跡、姿を見つけることが出来なかった。
昔より、白姥ヶ岳には怪獣が住むと言われるが、その一つであったろう、と伝えられた。

 「土佐風俗と伝説」より

 


富田の猫  侍女に化けた猫

2023-01-13 17:07:05 | 化け猫

富田の猫  侍女に化けた猫

                          2023.1

安濃津(三重県津市)城主の富田氏の子息である千丸は、慶長九年に亡くなり、其の墓は、四天王寺(三重県津市)の宗宝院にある。


千丸が闘病中に側付の老女の一人に、いつも額綿帽子でもって顔を隠しているのがあった。
その素振りに不審な点があるので、或る武士が機會を見て、不意に『綿帽子拝見!』と声掛けて、手を延ばして、それをはね除けた。
すると意外にもその顔は人間ではなかった。
世にも怖ろしい大きな虎猫であった。
ソレ!と三四人の武士が飛びかかって、引っ捕えて繩を掛けて縛り上げた。
城主に、その由を急いで報告した。城主は一見して大いに驚き、書院の庭の梨の大木に搦めつけさせた。
日本犬、唐犬の強そうなのを三四匹をつれて来て、けしかけさせた。
しかし、猫は平然として目を細くして睡りかけている状態であったが、犬たちはかえって尻尾を下げて、後ざすさりして、怖がっていた。
それで、鉄の鎖でしっかりと縛り、大手門前の橋の欄干に繋いで、晒し物にして諸人に見せた。
しかし、或る夜、番人の隙を窺って、鎖を切ってどこかへ逃げてしまった。

それから幾年かを経た慶長の末、藤堂高虎が安濃津の城主になった時代に、丸之内にある菅平右衛門が拝領した屋敷内の植え込みの茂った林の中に、猫股が住んでいた。
平右衛門は、その後切腹させられ、それから屋敷は長井勘解由が拝領した。
その頃にも度々怪異な事があった。
それで、富田の猫股がまだ生きているとの噂がしばしばであった。


「安濃津昔話」より

 


江戸城の化け猫  「古今妖談集(広文庫)」

2022-12-10 16:58:04 | 化け猫

江戸城の化け猫

江戸城のお堀(今の皇居のお堀)に、化け猫が出て、それを退治した、と言う話です。

以下、本文。

常憲院様(徳川綱吉 1646~1709年 の法号)が遊興遊ばされたお茶屋の跡の池に、美しい女と、やんごとなき風の男が、小舟に乗って現れ、夜の八つ時より七つの時過ぎの間に、さも面白く唄をうたい、戯れ遊んでいるという怪異が報告された。

その歌は、
「せう(しょう)が承るに おでん棹をさしや 君がかじを取る」と聞こえた。
誠に怪しい事でございます、と吉宗公(徳川 吉宗  1684-751年)に申し上げた。

「にくい妖怪の仕業である。
この歌の せう(しょう)がおでん と云う女は、常憲公のご寵愛の女であった。
常憲公が御在世に、かのおでんに棹をささせて、小舟に乗って戯れ遊んでいた事は、世人には、知られていた事である。
それ故に、この怪異は、狐狸の仕業であろう。」
松下伊賀の守に、「お前は、そこにいって、見定め、鉄砲で打ち留めて来るように。」
と下命した。
松下は、畏れ奉って、命を受けた。

その夜の丑の刻頃に、殿中より、鉄砲を持参し、御小人目付の二人を従えて、北跳ね橋御門より吹上の十三間御門の中に入った。
竹藪の茂った中に隠れながら、御庭伝いに、あの池の水際の繁った松陰に隠れて待っていた。

すると、果たして水上に小舟を浮かべ、男女の姿が現れた。
小歌拍子をとっていたのを、良く見定めてねらった。
松下の鉄砲はあやまたず、ハッシと当たると、船は砕けて、消え失せた。
伊賀の守は、提灯を点けさせて、その近辺を探した。
すると、見事に、止留めていた。
大きさが一丈程の猫のわき腹に、鉄砲玉が打ち込まれていた。
猫は即死して、池の際(きわ)の草むらあたりに倒れていた。


このことを、松下が吉宗公に上申すると、公は大いに喜び、時服を伊賀の守へ、下された。

この後は、再び吹上には、妖怪が出ることは無くなった。

以上、「古今妖談集(広文庫)」より 

 


猫ばけて女となる  「新著聞集」

2022-07-07 19:41:44 | 化け猫

猫ばけて女となる
                          2022.7
ある旗本が、娘の世話をする女性を探した。
そして、谷中の法恩寺の内にある教蔵坊のあっせんで、年増の局(つぼね)を、召し抱えた。
文字もきれいに書き、和歌も少し心得ていた。
物腰も、上品であったので、長年、仕えさせていた。


ある夜、主人が、娘の部屋をのぞいたが、娘は寝ていた。
その局は、独りお歯黒(鉄漿)をつけていたが、口は耳の根まできれて、耳は尖っていた。

これはどうしようか?とは思った。
しかし、もし打ち仕そんじては、まずいことになると思った。

そこで、夜が、明けるのを待って、かの局(つぼね)を呼び出した。
「思う子細があるので、暇をとらせる。」と話した。
すると、
「これは、思いがけないことでございますね。
なんで、このような事を、おっしゃるので、ございますか?」
と大変な恐ろしい顔で答えた。

それで、刀で、いきなり抜き打ちにした。
はたして、その死体は、大きな年ふりた猫であった。

その猫の書いた伊勢物語、その外、草紙なども多く、今に残っているとのことである。

新著聞集より


編者注:
この法恩寺は、1695年(元禄8年)に、墨田区に移った、とある。
すると、この話の成立時期は、江戸幕府の成立した1603年から1695年(元禄8年)の間の、出来事であることになる。
これも、化け猫の物語の一つ。