猫が嶽の妖描(高知県香我美村) 「土佐風俗と伝説」猫怪 より
2025.2.27
今は昔 香美郡奥西川村(かみぐんおくにがわ:高知県香美カガミ郡香我美カガミ村)に猫が嶽と言って、断崖がそそり立っている。高さは百間に達し、古木老松が生い茂げり、かって人跡の至ったことがない難所があった。
古(いにしえ)よりの話に、ここに猫王と言う大猫が棲息し、その大さは、三歳駒のようであった。
数多くの小猫がいて、その手下になっていた、と言われていた。
今より一百五十年(この書が出版されたのは、1925年)の昔の明和九年(1772年)に、隣村の富家(ふけ)村の男で、与三右衛門と言う二十五六歳の元気な若者が、この嶽下を通った。
ふと仰ぎ見れば嶽の岩角に梟(フクロウ)が一羽止まっていた。
もともと、与三右衛門は狩猟好きで、ちょうどその時猟銃一挺を肩にしていた。
それで、これ幸いと、猟銃を取下ろし狙ひ澄まして打ったが、美事に命中した。それが落下したので、取りに行ったが、梟ではなく蝦菜を束ねたるものであった。奥三右衛門は、不思議に思いながら上を方をみると、梟は傍の木の枝にいた。更に一発打ったが、又命中して落ちていったと思って拾って見れば、鞠のような木片であった。
与三右衛門も少し奇妙なことと思もって、このような所に長居は無用だと、元来た道へ帰りかかって後ろを見れば、梟は依然として元の岩角に佇み、何事も無かったような様子であった。
世人はこの事を聞いて、
「これは、猫王配下の若猫等が退屈まぎれの戯れに、ちょっと一芸を演じたるものであろう。」と言いはやしたそうだ。
「土佐風俗と伝説」猫怪 より