江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

黒気(黒い気体の帯)  筆のすさび

2024-05-31 22:10:16 | 怪談

黒気(黒い気体の帯)  筆のすさび

               2024.5

文化丙子(文化13年:1816年)正月二十七日夜、讃州金毘羅山(香川県コンピラサン)の下の大麻(おおあさ)と言う所より、黒気の一帯(ひとおび)が、幅が一間あまりあるのが出現した。東西に長さが一里余り(4km以上)に広がって、靡いていった。

少し時間がたって、ダンダンと薄くなり、西方へさらさらとなだれ行き、その速いこと風のようであって、そのうちに見えなくなった。
はじめは紫色に見えて、少しずつ黒くなり、その後には濃いこと墨のごとくになった。
その様子を見た人は身の毛がたったそうである。子供たちは怖れて家に走り帰った。そのさまは雲とも烟とも見えなかった。
その地の人である牧周蔵(まき しゅうぞう)(原注:名は昌、字は百穀。)が、書簡で伝えてきた。

菅茶山「筆のすさび」より


『浪華奇談』怪異之部 13.縮地の術(しゅくちのじゅつ) 瞬間移動の術

2024-04-13 23:09:47 | 怪談

『浪華奇談』怪異之部 13.縮地の術(しゅくちのじゅつ) 瞬間移動の術

                2024.4

瓦町(かわらまち)に炭屋(すみや)儀助と言う者がいた。
山小橋(やまおばせ)寺町の心眼寺(しんがんじ)へ灸の治療を受けに行った。その帰り路、酉の刻(とりのこく:17時から19時)に、堺すじ八幡すじに於いて、水道の泥を積んだ上を飛び越える拍子に、忽然(こつぜん)として御城の南の方の法眼坂(ほうげんざか)の麓、算用曲輪(さんようぐるわ)の大溝の中へ飛びこんでしまった(移動、転移)。

はっと驚き、そこが何処かもわからず、傍らにいた夜発(やはつ:道ばたで客引きする遊女。夜鷹。)の女に道筋を聞いたが、ただ何となく恍惚(ぼー)として歩いて行った。東町奉行の御屋敷の前とおぼしき所で、道行人に堺すじを尋ねて、帰ろうとした。が、これはどうした事か、又、ぼーっとして大門前にいたる門前に出た(再移動)。百度詣でなどをしている人々がいて大変に賑わっていた。
よく見れば天満天神の門の前であった。

またまた驚いた時に、少し正気に戻った。
それより十丁目(1000m位か?)の小山屋と言う砂糖を売る店の主人が知人であったので、しばらく休んで、その後は無事に家に帰った。

これは、縮地の術と行って狸の所為(しわざ)である。ここにある物を一里も離れた場所へ移動させることが出来る。

或るものが、京の三条室町を深更(よふけ)におよんで歩いていると、六七歳ばかりの小児がただ一人で立っているのを見た。
それで、近くに寄って、
「何処の家の子かね?どうして、こんな時間に此所(ここ)にいいるのかい?」と言葉をかけた。
その子供は、一切ものを言う事はなくて、うつむいていた。そして、顔をあげて、大きな眼をカッと見ひらいた。
この男は、大いに驚いて気絶して卒倒した。

しばらくして、夜露などが、顔や体をぬらしたので、正気づいて、あたりを見ると壬生野(みぶの)に伏していたとの事であった(転移)。

これらも、老狸(ふるだぬき)の縮地の術である。


『浪華奇談』怪異之部 11.奇夢

2024-04-10 23:01:07 | 怪談

『浪華奇談』怪異之部 11.奇夢     不思議な夢

                   2024.4

私の先批(はは)の話である。母が、幼い頃、毎朝お堂の前に座って小豆餅を食べる夢を見るのが、常であった。
それゆえ、朝に目がさめた後も満腹で、朝飯は、お膳に向かうだけで、人並に食べることが出来なかった。

母の家は、傘を造る仕事をしていたので、糊に用いるための水取の餅を毎朝買いもとめに行った。しかし、十歳の時の或る日は、近所に売ってなかったので、嶋町よりおはらい筋の農人橋(のうにんばし)北へ入の西側まで求めに行った。
その家の内に老女がいるのが見えた。
(母の夢の中で餅を食べている自分の姿は四才ぐらいであったそうである。)

家内を見わたせば、かの毎朝もちを食べていた家は、此処(ここ)であろう、と思った。しかし、子供であったので、自分の見た夢について話して、状況を聞くこともしなかった。

大きくなった後には、その家もなくなったので、改めて問う事も出来なかった。

その後つくづくと思ったことは、私はかの餅屋の亡くなった児の生まれ変わりであったのだろう。きっとあの老女の子供であったのであろう。それゆえ、毎朝もちを持仏堂へ備えたのであろう。

十三歳の年、河州大ケ塚村(かしゅう だいがつか:大阪府河南町大ヶ塚)に行った時に餅を食べる夢を見てより、再び夢みる事はなかった。
それは、老女が亡くなって、餅を供える人もいなくなった為ではなかろうか?と折節に、話していた。


私の親族で、河州(大阪)おにすみ村(河内長野市神ガ丘)の延命寺の蓮諦比丘(えんめいじ れんたい びく=坊さん)は、礦石集並びに続集をあらわした。書中に、亡者を祭る飲食の類は、すべてその奉った亡者や神に届くという事を、くわしく述べている。
これは、神儒仏ともに異論は、ないものである。

 


『浪華奇談』怪異之部 10.猫のあやしみ

2024-04-08 22:58:22 | 怪談

『浪華奇談』怪異之部 10.猫のあやしみ

                                          2024.4

高麗橋三丁目に近江屋何某(なにがし)と言う家があった。いづかたよりともしらず黒い雄ねこが来たので、そのまま飼った。
しかい、何とやら妖しいことが多く、人がいない所では、人のように立って歩行し、あるいは、人の言葉を話しなどした。
それで、その家の亭主も、黒猫をうとんじて四五町(ちょう:500㎡位)も離れた場所に追放したが、半日程の間に帰ってきたそうである。

その次は、この猫を器に閉篭(とじこめ)、せんだんの木橋(栴檀木橋:大阪市北区)を北へわたり、中の島より大江橋を北へ越えて難波小橋を東へ行き、もはやここに捨て置いたならば、よも帰りもしないだろうと、放った。
しかし、それより二日過ぎて、またまたかの猫は家に帰ってきた。

人々は、大いに仰天して、そのままたたいて追い出しだが、これより家には入らなくなった。
しかし、隣の家を去らずにとどまっていた。程なくこの家に、他から新たに児猫がもらわれて来た。
すると、かの古猫は、人がいない隙をうかがって、家の内へ入って来て、子猫を大いに噛んだそうである。
人々は、また妖猫(ばけねこ)が来た、と言って追い出したが、それより何処に行ったのか、再び現れることはなかった。

昔より、猫が怪をなす事は、珍しくない。
このような妖物(ばけもの)を家にやしなわなくても、良いであろう。


小豆ばばあ  (原題:小豆老女)  江戸塵拾

2024-03-09 23:52:13 | 怪談

小豆ばばあ  (原題:小豆老女)
         2024.3
元飯田町もちの木坂下の下間部伊左衛門(しもまべいざえもん)と言う者の家にて、夜更けに及んで、玄関先にて、小豆を洗う音が何時もしていた。
しかし、人がそこに近づく音がすると、音が止まる。
その場所に行って見ても、特に異常はなかった。
その音によって、こう名付けられた。

(このことは、入谷の田んぼにも昔はあったそうである。加藤出雲守(いづものかみ)殿の下屋敷の前の小さな橋を小豆橋と言う。

「江戸塵拾」