江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

九州にはカッパが多い 「黄華堂医話」

2019-12-30 23:36:48 | カッパ

九州にはカッパが多い

                      2019.12
「黄華堂医話」という江戸時代の医学随筆には、カッパについて記載しているのが、あります。このことから見ると、この著者は、カッパの存在を疑っていなかったようです。

以下、本文

筑後、肥後、豊後のあたりには、河伯が多い。
別名を水神とも河童とも水虎とも言う。
民間では、川太郎と言い、またカッパとも言う。
その姿は、猿に似て小さく、髪は赤色で太く長いと言う。
水に入れば、その髪は見えなくなる。
この者は、よく害をなす。
水辺を歩く人がいれば、水から出て、力比べをしようとする。
カッパと相撲をとった人は、必ず寒熱の病にかかると言う。
肥後の村井椿寿子(医者)は、毎度、このカッパのために寒熱の病にかかった病人を、治療したと私に語った。
また、肥後の川尻という所に、ヒョウスラリ(原文ではヒヤウスラリ。これもカッパの別名か?あるいは、別の妖怪であろうか?)の守りであると言って、河伯を制する人がいる。奇妙な事である。
(編者注:この文意はよくわからない。)

(別の文章では)

肥後の山中では、水神(すいじん:カッパのこと)のたたりを受けて病気になった者をゴシン付きと言う。
山里ではよくあることで、穢れをもって水を汚した者が、多くは祟りを受けると言う。


妖怪百物語に見られる安倍晴明

2019-12-19 00:39:14 | 安倍晴明、役行者
妖怪百物語に見られる安倍晴明
                         2019.12
「妖怪百物語 開巻消魂(カイカンショウコン:まきを開けばたまげる)」より

銅精

式部卿宮(しきぶのきょうのみや)が、東三条殿(今の山城国愛宕郡岡崎村の辺りである)に住んでいた頃のことである。
ある夏の夕暮れ、非常に暑かったので、庭に水を打ったりして、少し涼しくした。
やがて宮様も、庭に出て来た。

しばらくすると、月は如意山の頂に昇り、松風も静かに吹いて来、池の水は、波を生じて、涼しい風が、衣に吹きかけて来て、とても、風情があった。
宮様も、興を催し、夜の更けるのも忘れ、遊んでいたが、法勝寺(ほうしょうじ)の鐘が三更を告げる頃、ふと築山の方を眺めると、身長が三尺ばかりの怪しげな男が、松の木の間に出入りしているのが見えた。

それから、宮様は、宿直の武士を呼び出し、「あのものを捕らえよ」、と命令した
。宿直の武士は、謹んで命令を受けた。

すぐに、築山に至って、かのものを捕らえようとしたが、
影も形もなかってので、戻って、そのむねを奏上いた。

しかし、その後の夜更け毎に、かの怪物が現れた。

そのことを、報告すると、宮女たちは、怖れおののき、夜になると、決して、御殿の外に出る者がなかった。
宿直の武士も、捕らえようがなく、宮様も、このことを深く怪しんだ。

ある日、陰陽師の安倍晴明を召しだし、この事を占なわせた。
すると、睛明は、このように言った。
「これは、銅精です。辰巳の方角に永いこと、埋められていたものです。」と奏上した。
急いで、その示された場所を掘らさせると、大変古い銅(あかがね)の風鐸(ふうたく)というものが、出て来た。


編者(これは、妖怪百物語の編者である大木月峯)曰く、
世の中には、このようなことが大変多い。
かの三井氏(三井財閥の)の祖先は、伊勢の国の松坂において、金精を見て、井戸の中の黄金を得た。このように、これらは皆、金の気が土中にこもったもので、時として外にあふれ出て、それが他の物に映って、象(かたち)が現れたものである。
なお、海上に蜃気楼を生じたのと、同じ現象である。これは、物理的なことを知らない者が、奇とし怪とすることで、遂には心経の病を起し、物に狂うのは、大変浅はかなことではないのか?
宮様が、陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)を召して、原因を究明させたのは、大変賢い行為である、と言うことが出来るであろう。


編者注:土中から銅(あかがね)の風鐸(ふうたく)が出てきたとある。これは、古代の遺物である銅鐸(どうたく)の小さいものか、その類であろう。江戸時代の随筆などには、古墳からの遺物について、不思議な物(奇物、珍品)として言及したものが、しばしば書かれている。
この「 妖怪百物語」 大木月峯 (鹿之助) 著、 川勝鴻宝堂、 明20年8月出版、は、内容的には、江戸時代のものであるので、この項を紹介しました。