江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「対馬夜話」の怪奇な話  その7

2022-04-28 20:07:29 | 対馬夜話

「対馬夜話」の怪奇な話  その7 忠義の鶏と、悪猫

渡嶋夘介の家に、語り伝えている怪談がある。

ある時、家に飼っていた鶏が、二三夜続けて宵鳴きしたことがあった。

家人は不吉だとして、鶏を夷崎(えびすざき)の海に沈めた。

子供がそれを見て急いで助け上げようとしたが、死んでしまった。

それで、海岸寺の裏門の辺りに捨てた。

その夜、海岸寺の住持の夢に、朱冠黄衣のものが現れ、 「私は、渡嶋氏の家に飼われていたものです。

このごろ、家の飼い猫が、家の人を害しようとする事を知って、宵々に鳴いて、危険を知らせようとしたのです。

しかし、かえって不吉である、と私を海に沈めました。

和尚様は、渡嶋家の旦寺で、明日はその家の忌み日です。

必ず、招かれるでしょう。

お願いです。 猫が害を無そうとしていることを告げて、猫の行動に気をつけて下さい。」 と言った。

果たして、翌朝、和尚は、渡嶋家に招かれた。

和尚は、早速行って、様子を見たが、いつもと変わることはなかった。

読経が終わって、斉(とき)の膳が出され、家の者も、膳に向かってすわった。

すると、その家の女子の膳の上を、赤い猫が走ってきて、飛び越えた。

和尚は、これを見て、「膳部を、調べて下さい。」と言った。

近づいてそれを見ると、汁の中に小さい青蛙が入っていた。

それを、犬に食べさせたところ、犬は死んでしまった。

そこで、和尚は昨日の夢のことを話した。 すぐに、猫を殺した。

鶏が、主人に忠義であったのを讃えて、海岸寺の境内に埋めて塚を築いたが、それは今もある。

渡嶋治平の話である。 弘化三年(1846年)七月一日 記す。


「対馬夜話」の怪奇な話  その6

2022-04-28 19:58:25 | 対馬夜話
「対馬夜話」の怪奇な話  その6

カマキリは、竹の葉の化生したもの

カマキリは、竹の葉から生まれる。カマキリにはサビ色と云うべき色のものがいる。
これは竹の葉の枯れたものより、出来るとのことである。


藤の花からカマキリが化生する


津江三吾、扇一二三など、皆言っているそうである。
一二三は、また云う。
「藤の葉からも、化生するようだ。国分三左衛門の屋敷で、半身ばかり、すでにカマキリに化生したのをみた。」そうである。

弘化4年(1847年)1月28日、山野兵蔵の話。

藤のことは、三左衛門の弟 国分官兵衛も言っていた。同じものについてであろう。


ところてん草がカニに化生する

去年、水垂(みずたり)の磯にて、ところてん草が、蟹に化生しようとして、爪も甲も既に出来たのを見た。
手でもって、捕まえようとしたら、爪で挟んで来た。
磯辺より遙かに陸の方であって、ところてん草の常に生える場所ではないので、不審に思って、始めは手で触ってみたが、後には、湖水の内に入っていったと云う。
足はまだ、出かねていた。
しかし、すぐに生えてきそうな様子であって、青いこけの様なものが所々に付いていた。

嘉永己酉(つちのと・とり)(嘉永二年:1849年)二月十三日、吉副左近佐の話。


タケノコから斑猫(ハンミョウ)が化生する


斑猫(ハンミョウ:昆虫の一種で、有毒。生薬でもある。)は、タケノコの中の虫より化したものだ、とのことだそうである。
竹の子の中の虫を食べても、即死するとて、人は皆恐れている。
私の家でも、特別に竹の子の虫を、以前より恐れていた。

嘉永四年辛亥(1851年)正月二十三日、庄司勘兵衛の話。


スガがフナムシに化生する

仁田村では、菅の船虫に化けたのを見た。葉の本の方にて、全形をそなえていた。本来の葉は子細なし。
それを切り捨てれば、正真正銘の船虫である。しかれども、いまだ生息なし。
嘉永七年(1854年)甲寅二月西山四郎兵衛の話。二度聞いた。

後に聞いたのは、すげの根の、海岸より潮にひたりいたる物、化した由也。そのほかは前に同じ。
同年五月十四日に聞く。


「対馬夜話」の怪奇な話  その5

2022-04-28 19:54:41 | 対馬夜話
「対馬夜話」の怪奇な話  その5

マムシの仕返し

黒木友右衛門  ある年の夏、草を刈ろうとして、誤ってマムシの体の真ん中より尾の方を打ち切ったが、マムシは、逃げて見えなくなった。
マムシは、切られて頭だけ残ったものが、時々仕返しをする話が多いので、大いに用心して、その後、特に患うこともなかった。
さて、その翌年の夏のある夜、蚊帳に入ろうとして、蚊帳の裾をつかんだが、親指と人差し指の間を喰いついたものがあった。
振り放して、灯をともして見たが、そのものがどこに逃げたか、解らなかった。
喰いつかれた傷が大いに痛んで、数十日過ぎて、やっと治った。
「これは、去年切断したマムシが、今年来て仕返しに来たのであろう。」と友右衛門が語った。
天保8年(1837年)8月7日

「対馬夜話」の怪奇な話  その4

2022-04-28 19:52:52 | 対馬夜話
「対馬夜話」の怪奇な話  その4

タツノオトシゴは安産のお守り

俗に海竜(あまりゅう:この場合はタツノオトシゴ)という物は、豊村付近では、春頃、藻を取る時分に、多く藻についてとれる物である。
長さは、1尺には満たない。
足(ヒレのこと)が4つばかり有る。
海より引き上げれば、余り動かず、やがて死ぬ。
乾燥させて、妊婦に持たせれば、安産になると云う。

嘉永5年(1852年)5月23日、廻村甚作の話。

「対馬夜話」の怪奇な話  その3

2022-04-28 19:50:50 | 対馬夜話
「対馬夜話」の怪奇な話  その3

竜宮の使いを食べて罰が当たった話

仁田内村の百姓で、正月の何日とかには、山に行かない家が、三軒ある。
これは、昔先祖の代に、その三人が同道して、奥山に行ったことがある。
道のわきの川を見ると、鯛、黒魚などが上って来ているのを見た。
捕まえて、帰って食べると、すぐに腹痛がして、死にそうになった。
占ってもらったところ、それらの魚は、竜宮の使いであった。
御岳の神様への使いであった魚を食べた罰であったとの事である。
占いに、こう現れたので、謝罪の言葉をのべると、回復した。
その後、その日には、今に至っても、山に上らない。

嘉永5年(1852年)6月15日、茂助が語った事である。