江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

動物界霊異誌 河童その8 河童のミイラを祀る

2023-07-30 21:58:17 | カッパ
8、河童のミイラを祀る (仮題)   動物界霊異誌 河童その8
               2023.7
昔、相模国(さがみのくに:神奈川県)金深村の漁夫の重右衛門と言う者の家に、水難疱瘡の護(まも)りなるものが木箱に入れて、物入れの隅に押込めてあった。しかし、家族はそれを気にも止めていなかった。
すると、享保元年(1716年)五月のある夜、重右衛門の姉の夢に、一人の小児が現われ出た。自分は、此家
に年久しく祀られているものだ。しかし、誰もよく知るものが無い。どうぞ自分の為に、特に一つの社(やしろ)を建ててくれよ。水難、疱瘡、麻疹(はしか)痘?疹の守り神になるであろう、と言った。
その夢を奇怪に思い、翌日家の者や近所の者やで.彼(か)の木箱を開けて見ると、顔は猿に似て、四肢に水掻きがあり、脳天の窪んだ怪物の木乃伊(みいら)が封じ込んであった。
それで、これに福太郎と名を与えて、邸(やしき)の隅に一つの蔵を建てて、それを祀つた。
すると、霊験があるので評判になった。
江戸に持出され、さる殿様の邸内にも臨時勧請(かんじょう)された。その夜、福太郎が殿様の夢に出て、その希望を告げたので、後にその希望通りに、水神として祭られた。

この事で南八丁堀二丁目の丸屋久七と言う商家の主人が、お札を受けて、盛んに寄付を募ったことがあった。
(甲子夜話)動物界霊異誌 より
 
訳者注:各題の後ろに(仮題)としたのは、原典には、特に題がないので、訳者が仮に付けたからです。
   「動物界霊異誌」は、著者 岡田建文、出版 郷土研究社、昭2年。国会図書館のデジタルコレクションにあり。


動物界霊異誌 河童その7 名古屋の河童

2023-07-29 21:52:40 | カッパ
7、名古屋の河童  仮題 動物界霊異誌 河童その7
             2023.7
名古屋の川合氏は強力の大男であった。
宝暦三年七月三日の未明.老瀬川のあたりを、一人で歩いていると、少さい男の子が立っていた。柿色の帷子(かたびら)に黒い帯をしていて、頭は中すり?であった。
川合氏は、「どこへ行くのか?」ととがめた。
子どもは、答へて
「梅の森より水車へ行く。」と言った。
梅の森は老瀬川の川上にある。
川合氏は、子どもの傍を通り、さきへ行こうとしたが、そのこどもは、川合氏の帯をつかんで、引寄せた。
川合氏は振り放して後ろをかえり見、
「年頃、人を悩めている川小僧め!
生かしておくべきではないが、今は殺生を禁断している。よって生命を助けてやろう。」
と言うと、河童は、川へ飛び入った。
川合氏が、堤(どて)で煙草をすっていると、また出て近づいてきた。
川合氏が叱りつけると、
「あなたのような、強力の人には、これまで出会わなかった。」
と言って、又、川に飛び込んだ。

川合氏は、帰りがけに山岡氏にこのことを語った。
その山岡氏は、明和九年の七月に私にその事を語っった。
(和訓栞)動物界霊異誌 より

動物界霊異誌 河童その6 目に見えない河童と戦う 

2023-07-28 21:49:03 | カッパ
6、目に見えない河童と戦う (仮題) 動物界霊異誌 河童その6
              2023.7
先年、寛永の天草一揆の退治(かんえい15年:1638年)が終わって、有馬左衛門佐直純(ありまなおずみ:1586~1641)が帰陣した時の事である。
その家臣の八左衛門と言う者が、有名な有馬の蓮池を一見しようと、そのあたりを散歩していると河童一疋が前後も知らずに昼寝している所へ行きかかった。立寄って一打にすると手答えして、刀にも血ノリがついた思われた。しかし、その姿形は見えなかった。しばらく、そこら辺の様子を窺ったが、河童の死骸は無かった。
暫くして、何かが池の中へ踊り入った音がして、何も見えなくなった。
夕暮れになったので、八左衛門は、立ち帰った。又、その翌日、主人の帰陣にお供して、日州の県(あがた)(宮崎県延岡市)の居城へ帰った。

かくて寛永十五年(1638年)の二月より同十七年(1640年)の秋九月十四日の未の下刻に、彼の河童が来て、八左衛門に向ってこう言った。
「三年前の有馬での疵は、ようやく癒えた。よって、仕返しをするために、はるばるとやってきた。
急ぎ外へ出よ。勝負をしよう。」
と罵しった。
八左衛門は、
「よくこそ来たれり。」
と、刀を引っ提げ、庭に出て、切ってかかった。
受けつ開けつなどする様子を、家人が見れば、気が違ったようだ、と驚ろいた。
八左衛門の家の裏向いは百石小路と言って、小身の面々の屋敷であったので、人をつかわし、親類どもや仲間などを呼び寄せ、その様子を見せた。あたかも狂
人のようであった。しかし、又本当の気違いのような事も無かった。他の人には、河童の姿が見えないので、助太刀もできなかった。
相互に戦い疲れ、
「さらば、今晩は相い引きにして、又明日の事としよう。」と言って河童は立ち去った。
八左衛門も刀を収め、家の内へ入った。人びとは、子細を尋ねると、三年前の蓮池のことを話した。
今度の河童の武器は、梅のすたえ(?)の様なもので三尺ばかり(1m位)あるものを持ってきて闘ったが、そのすたえ(?)が肌に当ったならば、大変にる痛みのあるものだろう。
あの河童は、なかなか、手強く、言葉で説明できないくらいである、と語った。
この河童は、八ッ頃に来て酉の刻まで、続いて三時ばかり打ち合ったが、双方は互角の強さで勝負はつかなかった。
有馬直純は、このことを聞いいて、
「前代未聞なり。見物すべし:」
といった。
翌日、八左衛門の家に来臨した。床几にもたれかかり、召連れた武士たちに、
「河童が、たとえ形が見えずとも、八左衛門と戦いを始めれぱ.その辺を取まいて、逃げられぬようにせよ。」と命令した。
武士たちは、吾も吾もと待ちかまえた。この様子に、おそれを為したのか、その日は河童は、来なかった。その夜、河童は、八左衛門の夢枕に立って、
「年来の恨みをはらそうと来たが、その方の主君が出てきたからには、最早(もはや)我が望みを遂げるのは、難しい。明日は肥前(長崎県)へ帰る。」
と言って立去った。

この話は、豊後の永石其孝の話しである。.
(半日閑話)動物界霊異誌 より

動物界霊異誌 河童その5 河童を助けて不思議な卵をもらう

2023-07-27 21:46:03 | カッパ
5、河童を助けて不思議な卵をもらう (仮題) 動物界霊異誌 河童その5
                 2023.7
寛政の初め、芸州(広島県)山縣郡羽生村(不明)庄屋・六左術門の家に、武士の姿をした者が来た。
その者の姿形は、人に違うことなくて端正であった。その者は、
「我は森源左衛門と申すもので、この川に久しく住んでいるものでございます。
近頃の洪水で、淵の中の岩に光りあるものが流れ着き、石の間にはさまりした。それを、一族のものどもが、大いに恐れております。何卒(なにとぞ)、人を使って、この物を取り除いてはくださいませんでしょうか?」
と言った。

六左衝門は大いに驚き、
「さては、お前は、川童であるな。
それなら、その願いは、聞き入れる事は出来ない。
お前をはじめ一族を召し捕り、村人への害をとり除いてやろう。」
と怒った。
すると、この者は、
「御怒りは、全く間違っております。我等が生活は、人間と異ることはありません。非義の振る舞いを禁じていますので、人を害することは決してありません。何卒(なにとぞ)石の害を除いてください。お願いいたします。」
と言った。
「それならば、望みのままにしよう。」と答えた。
そして、水泳の達者な者に淵に飛び込ませて様子を見させた。岩に挟まれ光るものを、取って戻って来た。

翌日、源左衛門が、六左衛門の家に、卵六つを手みやげに持ってきて、置いていった。

しかし、六左衛門はそれを怪しんで捨てた。
その後、又三つ持って来た。
「先に持ってきた卵は、お食べになりましたか?」と聞いた。
六左衛門は、「捨てた」と正直に答えた。
源左衛門は言った。
「さてさて、惜いことでございますね。これは、ク夕と言う鳥の卵でして、大変に貴重なものです。
こんどのは、早く食べて下さい。
大変に効果のあるものです。」と言った。
それで、六左衛門は、食べてみた。
すると、胸と腹の間が涼しく、気持ちが明るくなり、身が健(すこや)かになった感じがする、と言った。

この事を或る殿様に申し上げた。
殿様は、ク夕と言う鳥の事について、いろいろと尋ねさせたが、知る人は無かった、との事である。

この、源左衛門は、大小の刀を帯びていたそうである。
また、眷属は三百人ばかりである由(よし)を語ったとの事である。
その後しばしば来たが、その身に臭気があったので、
近づく事を嫌い、縁側にすわってもらって、話をしたと言う。(中略)


播州の玉屑(人名)は、川童(かっぱ)の毛を持っていた。
その色は、狐の毛のようであったが、水に入れれば、その形が見えなくなった。怪しいものである。
(ありのまま)動物界霊異誌 より

動物界霊異誌 河童その4  水戸浦の河童捕獲の上申書

2023-07-26 21:41:11 | カッパ
4、水戸浦の河童捕獲の上申書  (仮題) 動物界霊異誌 河童その4
                  2023.7

享和辛酉(かのととり:しんゆう。1801年)六月一日、水戸浦から捕獲された河童は、大きさ三尺五寸余り、重さは十二貫目ありました。
殊の外、見た目よりも重くございました。
海中に赤児の鳴くような声が、おびただしく聞こえました。

それで、漁夫どもが船に乗り漕いで行ってみると、海の底にいました。網を下しましたが、色々の声が聞こえてきました。
それから、さし網を引き廻わした所、鰯網(いわしあみ)の内に十四五疋入っておりました。
河童たちは、網より跳び出して、逃げました。
船頭どもは、棒擢にて打ちますと、粘ばり附き、すべって、一向に擢などがあたりませんでした。
その内の一疋が船の中へ飛び込みましたので、むしろなどを、上におしかけ、その上からたたき、打ち殺しました。
その節まで、やはり赤子のような鳴く声を出しておりました。

打ち殺した時には、屁をこき申しました。
誠にたえへがたい臭いでして、鉛頭などは後に煩いいたしました。
河童を打った棒擢(ぼう・かい)などは、生ぐさい臭いがついて、いまだに消えておりません。
河童には、尻の穴が三つ有りました。
全体的に、骨がない様に見えました。
屁の音はしないで、スクスクとばかり聞こえました。
頭を打てば、首は胴の中へ八分ほど入りました。
胸や肩は張出してセムシのようでございました。
死んでも首は、引っ込みませんでした。

当地では、河童を度々(たびたび)捕えますが、この度(たび)ほど大きく重いのは、今まで捕獲したことは、ございません。

それ故、御報告申し上げます。

六月五日。
東浜 権平次(報告者)

浦山金平様

(一言一篇)動物界霊異誌より