「こおろぎの草子」 「虫の三十六歌仙」
「こおろぎ草子(そうし)」または、「虫の三十六歌仙」について
「こほろぎ草子」は、「御伽草子(おとぎぞうし)」の一つです
。「御伽草子」は、鎌倉時代末期より、江戸時代初期にかけて流行した、通俗小説、物語です。
多くの虫が、和歌を詠んだという構成になっていますので、優れた36人の歌人を三十六歌仙と言うのに倣って、「こうろぎ草子(虫の)三十六歌仙」との題名の写本も、あります。
この草子の作者は、楽しみながら、虫を名を詠み込むのに苦労しながら、この文を作ったのでしょう。三十六歌仙を意識していたかもしれませんが、数えると歌の数が36首ではなく、37首でした。
「こおろぎ草子(そうし)」は、御伽草子であって、取るに足らない内容ではありますが、なにか、平安朝の文学の残り香も、生き物のもののあわれも、少し感じられます。
日本文学大系 - 校註. 第19巻(国会図書館デジタルコレクション)の「こほろぎ草子」を底本とした。
(本文の、前書き)
「私は、世を捨てて、ひとり寂しく、粗末な小さな仮の家に、一時的に住まっています。憂いの多い世の中を、つくずくと、思い続けて、日を過ごしています。秋の末で、庭のススキも枯れかけ、木の葉が色づいて来て、木の葉が風に吹かれて乱れて、
そこはかとなくもの哀れな夕暮れに、一人寂しく、月影を見て、心を澄ましていました。その時に、家の傍らにある萩の下の方の葉の陰に、小さな虫が、数多く集まって、他愛のない物語をしているのが聞こえて来ました。とても、哀れで、またおかしくもありました。
その中から、コオロギという虫が出てきて、このように言いました。
「皆さん、どうかお聞きください。まことに、私たちの身の上は、みすぼらしく、命も短く、儚いことは、限りがありません。」
「春が過ぎると、夏草が、緑深く茂ります。五月六月の頃は、朝な夕な、草の上の露が、玉を乱すようであって、心も浮き立ちます。ある時は、菜種の黄色い色に隠れ、ある時は、清い水の流れに、我が身の影を映し、ここ、あそこと飛び遊ぶ時は、虫に生まれた罪も、報いも忘れてはててしまいます。心も浮かれつつ、世の中のいやなことも、思わず、誠に、一時の楽しみに、寿命が千年も延びるような気がします。しかし、早くも七月(文月)から九月(菊月)に移り、月は冴えて美しいのですが、吹いてくる風は冷たく身にしみて、なんとはなしに物悲しくなりました。夜も九月(長月)になれば、寒さで足も思うように動かなくなり、声もかれはてて、隠れ家と頼る、草木は、露も結ばなくなりました。いつしか、初霜がおりて、ねぐらも、丸見えになりました。」
「木の枝に小鳥が止まって鳴く声を聞く時は、身も消えるような思いに心を痛めます。ある時は、人家の垣根に取り付き、又は縁の下に身を隠そうとすると、小賢しいネズミに探しだされて、食べられてしまうような、悔しいこともあります。あちらこちらと迷い出たのを、いたずらな子供に捕まえられて、悲しいことに糸につながれ、大地に引き回され、恥をさらすこともありました。
竹にさし通され、たちまちに気を失い、まさに死にそうになった時に、水をのまされて、いたわるようにされて、ようやく心を取り直すこともあります。
思えば浅ましいことです。踏み殺されて、ぺちゃんこになったミミズのようになる、いやな目にもあいました。
これでは、火の中に飛びこんで死のうとは思っても、身を押さえられて、死ぬこともできずに、悲しく空しいものです。
これは、前世の行いの報い(注:当時の仏教思想。虫として生まれたのは、前世に何か悪いことをした報いである、といった感じでしょう。)であるので、悲しいことです。
このように、嘆きたくなることは、沢山あります。明日にも命が消えてしまうような、儚い身の上です。せめて、今宵の月明かりのうちに、我々が、心に思うことを語って、慰めあうのは、楽しいことです。さあ、三十一文字の歌にして、我々の亡き後の、形見ともしましょう。
さてさて。」
と、語りました。
多くの虫たちは、肌寒く、衣の袖を顔にあて、涙を流し、
「さてさて、日頃思っていたのは、コオロギ殿は、色も黒く、背中も曲がっていると。しかし、生まれつきのやさしさをお持ちです。その上、花の下、月の影にも心をよせず、ここの壁にとりつき、また流しの下に身を隠し、物の哀れをわきまえて、夕暮れより夜半の頃まで、啼いていらっしゃる。
声だけは、遠くに聴いたことはありましたが、今日のお話は、哀れも哀れに思えます。
こころざしの程も、有り難く感じます。」
と、涙にくれました。
そのうちから、ヒキガエルが、出てきて言うには、「まことに、今宵は月も冴え渡り、心も引かれます。それならば、夜も更けないうちに、早く歌を詠みましょう。」と言えば、各々落ち葉の上に座り、思い思いに、歌を詠みました。その、心の内は、虫ながらすばらしいものでした。
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