江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

エイと人間の合いの子  奇異雑談集

2019-11-23 18:25:18 | 奇異雑談集
エイと人間の合いの子
「円魚(エイ)の子の事」

奇異雑談集の「伊勢の浦の小僧、円魚(えいのうお)の子の事」

紫野(京都)の大徳寺の坊さん達は、応仁の乱の中に、ちりぢりになり、あちこちに、逃げて行った。

岐庵和尚の弟子の某書記は、字は牛庵、出家前の俗姓は中村であった。

近国を巡っていたが、伊勢の国の海辺に漁村に行った。
山の腰に小さな庵があった。
上って行ってみると、遠くまで見渡せて絶景であった。
その小さな庵の縁に、腰をかけて休息した。
すると、庵の主が出で来て 雑談した。
庵主は小僧を呼んで、
「お茶を出しなさい。」と言った。

小僧が茶を持って来た。
牛庵は、この小僧を見ると、人の様だが、人でもないような気がした。
不思議がって、つくづくと見ていると、庵主が、こう言った。
「この小僧は、円魚(えい)の子です。」と言ったが、牛庵はなお怪しんで、そのことを問うた。

庵主が言うには、
「麓の漁村に、一人の漁師がいたが、大きい円魚を釣り上げた。
 持って家に帰って、あおむけに置いた。
その陰部の動くを見て、人の陰部のようであったので、これを犯したが、まるで人のようであった。
不憫な気持ちになったので、それを海に帰した。
見ると、喜んで、海底に潜っていった。
 十ヶ月すぎて、夢に円魚(えい)が出てきて、
『あなたの子供が産まれました。
他の浦の岩の間に置いています。
行って、連れ帰って下さい。』と言われたかと思うと、夢がさめた。
不思議な夢であった。
つらつら思うに、以前の事をおもいだした。
その浦に行って探すと、はたして子供がいた。
携へて家に帰り、その子を養って、大きくなった。

その子を我が弟子として、この庵に置いている。
年は、十八です。人であると言おうか、人では無いと言おうか?」。

ともに一笑して、牛庵は、その庵から、もとの所へ帰って来た。

本草書に、「囲魚」という項目があるが、この円魚とは、別のものである。また、円魚という名称の意味も不明である。それで、推量して、「エイ」とした。
                      

編者注:本文の末尾に、本草書云々とありますので、いくつかの本草書を当たりましたが、「囲魚」も「円魚}の項も、見当たりませんでした。
さて、この話は、異類婚の類である。
異類婚には、人と狐(安倍睛明など)、人と熊、人とネズミ(ねずみ男など?)など、様々な型があります。
また、神武天皇の父であるウガヤフキアエズの尊は、ヒコホホデミの尊を父とし、ワニ(鮫)の化身である豊玉姫を母としています。すなわち、神武天皇は、1/4がワニ(鮫)の子孫という事になる。
このように、人(神)と動物との異類婚は、神話、説話などにしばしば見られます。
このエイとの異類婚に似た話が、宮古島(沖縄の南)にあります。
古い話で、宮古島の神話時代の話ですが、これと、浦島太郎の話を組み合わせた内容です。

昔、宮古島に真々佐利(ままさり)という漁師がいた。
ある日、漁でエイをつり上げた。
すると、たちまち美しい女になったので、真々佐利(ままさり)は彼女と交わって、別れた。
数ヶ月して、二三歳の童子(真々佐利とエイの子供)が三人あらわれて、その母の海中の国に誘った。
海中には、竜宮があり、そこで、先だってのエイであった姫に迎えられ、歓待された。
真々佐利(ままさり)は三日三晩を竜宮で過ごし、瑠璃の壷を貰って帰って来た。
すると、もうすでに、三年三月が過ぎていた。
その壷からは、不老不死の酒が、わき出てきて、無病息災となり、生活も豊かになった。
その事を、島人達が、聞きつけて、続々と壷を見に来た。
すると、真々佐利(ままさり)は、その事を嫌がって、
「同じお酒がわき出るばかりなので、もう飲み飽きてしまった。」と言った。
そう、言い終わらないうちに、壷は白鳥に化して、大空に高く飛んで行ってしまった。
「宮古島郷土誌(沖縄県都教育部会著、昭和12年10月30日)」より。

「痔」には、ミイラが効くという説 「益軒全集 大和本草批正」

2019-11-14 00:10:01 | ミイラ薬
「痔」には、ミイラが効くという説
                            2019.11

「益軒全集 大和本草批正」(小野蘭山、 1729-1810)には、当時の、ミイラの薬効について、批判的に述べています。
ミイラの薬効は、ミイラ作りに使用されたバルサム(樹脂)と同じであり、バルサムは、「痔」には効く油である、(つまりは、他には効き目なし)と述べています。
題名に「批正」と付いている通り、間違いを正すと言うことで、ミイラの薬効についての伝聞の誤りを正したものです。
とはいえ、現代から見れば、間違っている部分もあります。これは、仕方の無いことでしょう。
  
以下、本文。

みいら  舶来の物である。数種類ある。

木乃伊(ミイラ)は、人を密漬にしたものを云う。
唐音(注:唐音とは、中国語での発音。木乃伊の現代北京音は、MuNaiYi ムーナイイー)もないという。
ミイラは、外国語(蛮名)も「みい」であり、発音が似ているので、一時的に「木乃伊 ミイラ」にあてた。
この説は、「六物新誌」に詳しく書かれている。

ミイラは、ヱゲフ(エジプト)、テンランド(天方国、アラビア)ランドは、島のことである、及びアレキサンテレイヤ(アレキサンドリア:エジプトの海港都市。ここにはミイラがないが、この港からミイラがヨーロッパに輸出された。)の古い墓より、掘り出したものである。
その国の習慣として、人が死ねば、腸や胃等の内蔵を除去し、バルサムに浸し、布にくるんで葬むった。
それで、布目といって、上質の薬とした。
偽物にも、布目があるのもある。骨が有る物を上質とする。
骨ミイラと称した。

そのように処理された遺体が葬むられて、長い年月が過ぎ、その人の親族がいなくなり、その主のいない屍を掘り出すが、これがミイラである。
高貴な人は、本物のバルサムを用い、身分の低い者は、鉱物油(原文は、池油)を用いたので、これを(低級品)下物とした。

おらんだ話と云う仮名本に、ミイラのことについて数種類の説が記載されているが、皆誤りである。
バルサムは、木の脂(ヤニ)であり、痔には効果のある油である。






新説百物語巻之一の5 津田何某真珠を得し事

2019-11-09 16:16:15 | 新説百物語

新説百物語巻之一の5 津田何某真珠を得し事
                                     2019.11

京の蛸薬師通りに、中程の昔(この場合は、室町時代であろう)に、津田の某と言う人がいた。
この人は、きわめて身分の高い人の孫であったが、四五分(一分は、3.75g)位の重さの真珠を七粒所持していた。

このことについて、津田氏は、常にこのような話を語っていた。
「私が、七歳の時、いつもの様に、食事をしていたが、カチッと歯に当たる物があった。
よくよく見れば、真珠であった。
貝の類を食べたわけでもないのに、不思議な事であると、子供心にも思って、何となく箱の中に納めておいた。
その後、田舎より京に移って、十五歳の春に、またまた、飯の中に真珠が一粒あった。
よくよく思い出せば、九年以前と同月同日であった。
それより成長に従って、あちこちと転居したが、六十歳の時までに、飯の中から真珠を得ること、あわせて七粒であった。
近所の老婆などは、ありがたい舎利であろう、と拝みに来もしたそうである。
よくよく調べれば、宝貝の珠であって、本物の真珠であった。」

その津田某は、老後は、伊勢で隠居されたそうである。
しかし、今もその子孫が、真珠を持っているかどうかは、知らない。」



訳者注:これは、怪談ではなく、奇談、奇聞である。


新説百物語巻之一の4、甲州郡内で炎となった女の事

2019-11-08 20:15:07 | 新説百物語

新説百物語巻之一の4、甲州郡内で炎となった女の事
                                                       2019.11
     
黒沢氏は、この様に語った。
甲州(山梨県)の郡内(都留市あたり)と言う所に、老人夫婦で下女を一人使って、暮らしていた者があった。
ある時、近所に仏事があって、二人とも出かけ、下女一人を留守番として、出て行った。
夜の初更(午後7時から9時)もすぎて、四つ前(午後十時前)になろうかと思う頃、「火事だ」と、誰かが言い出し、皆大騒ぎしたが、どこが火事であるかわからなかった。

火の光があちことと、さ迷っていた。
皆皆途方にくれたが、その火の所に近づいて、よくよく見れば、火の高さは、小家が一軒位が焼ける程であった。
火は西、東、北、南へとさ迷い歩いた。


その火の中に、髪を振り乱した女の姿が見え、はあはあと言いながら走り歩いていた。
しばらくして、倒れ伏して死んだ。


あとあとよく見れば、彼の老夫婦二人が、留守に置いていた下女であった。

何でそうなったのか、解らなかった。
その遺体を親元へ送って、葬った。
人々は、「前代未聞の事である」と、噂した。

この話は、黒沢氏が、実際に見たとの物語である。


新説百物語巻之一の3 丸屋何某(なにがし)化物に逢った事

2019-11-02 00:06:04 | 新説百物語
新説百物語巻之一の3 丸屋何某(なにがし)化物に逢ふ事 
                                                              2019.11
近い頃の事である。
三条の西に、丸屋何某(なにがし)と言う薬を商う人がいた。
ある時、仲間の会合があって、東山のあたりに行き、
河原で酒などを飲んで、夜ふけて一人で、四条を西の方に帰っていった。

川原で下の方を見れば、うす月夜に、乞食とも見えないものがうごめいているのがあった。
酒の勢いもあって、そばに立ちより、よくよく見れば、人の姿形はしているが、顔とおぼしき所に、目口鼻耳もなく、朝瓜の大きさをした頭があって、ものをもいわず這い回っていた。

その時はじめて、ぞっとして怖くなり、足早に帰った。

夜が明けて、友だちなどに、その事を語った。
ある人が、ぬっぺりぼうと呼ばれる化け物であると言った。

その後、またその丸屋なにがしが黒谷へ商いに行って遅くなった。
初夜(19時から21時)のころ、二条河原を、先達っての事を思い出しながら、小気味悪く感じながら通った。
すると、河原の中程に、かの物が、またうごめいていた。
足はやに通ったが、するすると這って来て裾にとりついた。
これは、かなわないとふり切って、一さんに我が宿に帰りついて、始めて正気になった。
我がきるものの裾を見れば、特別に太い毛が十本ばかりついていた。
何というものの毛であるかを、見知っている人はいなかった。