「こおろぎの草子」 「虫の三十六歌仙」 1から6
(以下、虫の詠んだ和歌。番号は、仮に付けました。)
1、こほろぎ(コオロギ:蟋蟀)
此(ここ)のすみ 彼所(かしこ)の壁に すがりつき 身は数ならで 君をこほろぎ
ココノスミ カシコノカベニ スガリツキ ミワ カズナラデ キミオ コオロギ
解釈:ここかしこ、あちこちの隅に隠れたり、壁にすがりついています。我が身は卑しいものですが、あなたを恋い慕っています。
考察:「君をこふ(恋う)」とすべきを、「こほろぎ」の語を使うために「君をこほろぎ」としている。
2、はたおり(機織り:キリギリス)
かた絲の はるばる野辺に繰返し はたおりかけて 啼きあかすかな
カタイトノ ハルバル ノベニ クリカエシ ハタ オリカケテ ナキ アカスカナ
解釈:野原で、機織りをしながら、鳴いて暮らしています。
解説:はたおりは、キリギリスの古名であり、現代でも別名です。この後にキリギリスが登場して来ますが、昔の「キリギリス」は、現在の「コオロギ」と言う事のですが、和歌の内容から、キリギリス(機織り)のようです。また、1にコオロギの和歌があることや、
大変混乱しています。4に、キリギリスがありますが、4のは、コオロギの一種でしょう。
3、すずむし(鈴虫)
君にかく ふりすてられし 鈴虫の 我が身の果てや いかがなるらむ
キミニ カク フリステラレシ スズムシノ ワガミノハテヤ イカガ ナルラム
解釈:人に飼われていた鈴虫である私は、野原に捨てられてしまった。私の将来は、どうなるのであろうか?(野垂れ死にしてしまうのだろう。)
4、きりぎりす(キリギリス:エンマコオロギであろうか?)
けふよりは 深き思ひを きりぎりす なけど哀れと とふ人もなし
キョウヨリワ フカキオモイオ キリギリス ナケド アワレト トウヒトモナシ
解釈:今日からは、深い思いを切ろう(恋をあきらめよう)。キリギリスが鳴くように、私も泣いているが、同情して、可哀想にと言ってくれる人もいない。
考察;「深き思ひを切り」とすべきを、「きりぎりす」の文字をいれるために、「深き思いを きりぎりす」としてある。
さて、先に「はたおり」が、現在のキリギリスであると、説明しました。すると、この「きりぎりす」は、何であるか、という問題が出てきます。古語のキリギリスは、現代でいうコオロギのことです。所で、「こほろぎ」は、すでに出ています。では、古語でいう、「こほろぎ コオロギ」と「きりぎりす キリギリス」の違いは、どう解釈するか、と言うことになります。現代語のキリギリスは、大型のバッタであることから、私は、ここに言うキリギリスは、大型のコオロギである、と解釈しました。おそらく、古語のキリギリスは、特定の種のコオロギを指すのではなく、単に少し大きいコオロギ全般を指しているのでしょう。エンマコオロギは、大型のコオロギですので、ここでは、エンマコオロギとしました。
5、ほたる(蛍)
草の露 水の泡とも 消えやらで たへぬ思ひに もゆるほたる火
クサノツユ ミズノアワトモ キエヤラデ タエヌオモイニ モユルホタルビ
解釈:草の露も、水の泡も消えないでいる。耐えきれない(恋の)思いが蛍の火のように燃えている。
6、蚊
夕ぐれの 軒の煙に立ちまよひ 忍びかねたる 身こそつらけれ
ユウグレノ ノキノ ケムリニ タチマヨイ シノビカネタル ミコソ ツラケレ
解釈:夕暮れには、炊事の煙が人家より立ちのぼってきます。蚊である私は、飛んでいる時に煙に巻き込まれると、息が苦しくつらいものです。
考察;これは、苦心の作。「蚊」の字は、詠みこんんでいないが、「忍びかねたる」の語句中に、「か」の文字をいれている。