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江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

大蛇と湯ノ又の淵  「南紀土俗資料」

2025-03-22 20:00:00 | 奇談

大蛇と湯ノ又の淵  「南紀土俗資料」

                 2025.3

龍神村上湯ノ又(和歌山県田辺市)にも、上記とほぼ同様の伝説がある。
上 湯ノ又の中林某(なにがし)の娘と言うのが、折々親に隠れて外出した。それで其(なにがし)の母は怪んで、ある日、ひそかに娘の着物の裾へ、絲をつけて置いた。そしてその出た後をたどって追かけた所、前林某(なにがし)の家の前にある、底の知れぬほど深いと言う淵の辺(あたり)から糸は水中に入っていた。
これは大変と母は、狂気になって、「今一度、是非に娘の姿を見せて下さい。」と叫んだ。
すると、大蛇が娘をロに咥へて頭を出したが、すぐに淵の底へ隠れてしまった。
今では、この淵は砂に埋っている。

注:江戸時代の大蛇の図を見ると、その多くは竜の形をしています。蛇の絵のほうが、少数です。
  ここにいう大蛇は、竜と思われます。竜神村なのだから。
以上、「南紀土俗資料」土俗編、神婚伝説 より

 


靺鞨(まっかつ)の医師 生死を移す  「黄華堂医話」

2024-06-26 22:42:54 | 奇談

靺鞨(まっかつ)の医師 生死を移す  「黄華堂医話」

                                  2024.6

奥州の秀衡(藤原三代のヒデヒラ)が、老後の病が重かった時に、南部の人である戸頭武国(へいかしらぶこく)と言う者が来て、こう言った。


最近、靺鞨国より名医が来たが、
その名を見底勢(ケンセテイ)と言った。医術は神妙であった。
この程、南部の五ノ戸の看頭(かんとう役職名であろう)が子供が出来ないのを歎き、神に祈ったところ、その妻が妊娠した。
しかし、胎児が体内で死んだので(死胎)、母子とも、死にそうになった。

見底勢(ケンセテイ)は、診察して、「これは、生かすことが出来るだろう」と言った。
鼻より薬を吹き入れ、暫くして鼻と口、又背中に二壮の灸をした。
又、臍を薫蒸しすると、妊婦は、少し眼をあけて生気を取り戻した。
五時斗(ごときばかり:十時間位)して、産気づいて、出産した。
そして、死胎の子を取りあげて、又、鼻より薬を吹き入れて口を開かせ、龍乳といんものを練って、口に含ませ、「けふ布(?)」という衣に包んだ。三時(さんとき:6時間以内)の間に産声を発して、生き返った。

又、カツホ(原注に、地名とある)に老人がいた。
その老人の頭は、白髪で雪のようであった。脛は鶴の足のようで、腰は弓のように曲がっており、陰嚢の大きいことこと、壺のようであった。痩せて常に腹が鳴っていたが、蝦幕の鳴くような音であった。

見底勢(ケンセテイ)は、こう言った。
「これは、キメシテの症である。この様に苦しくとも、あと三十年の寿命があるだろう。
しかし、この病気が、良くなることはないであろう。
そうであれば、あなたは、生きていても良いことはないだろう。
いかがですか?あなたの残りの寿命を、不運で死んだ人に譲ってみないか?」

老人が答えた。
「生きて苦しむよりは、若い人に命を譲りたい。」と。

見底勢(ケンセテイ)は、老人に、すぐに薬酒を飲ませると、ひどく酔って死んだようになった。そして、老人を暗い所に置いた。
さて、田名部(青森県むつ市)の金持ちの家に、二十歳ばかりで死んだ若者がいた。
その屍(しかばね)を前に置いて、老人の口と死人の鼻に管を渡して、老人の背中に薬を張り、死人の背中にお灸をした。
暫らくして老人は死んだ。すると、若い死人は、たちまちに生き返った。

このような不思議な治療効果が多く、数えられないくらいであった。

 

戸頭(へいかしら)は、秀衡に
「見底勢(ケンセテイ)の治療を受けてください。」と勧めた。

しかし、秀衡は、そのすすめを聞かず、
「我が国にも名医がいる。
当時、象潟(きさがた)の道龍黒川舎人助(ドウリュウ雅号、くろかわ姓、とねりのすけ名)は、天竺の人も治療した優秀な医者である。
これ等を差し置いて、何で異国の人を招こうか?」
と言って、ついに見底勢(ケンセテイ)を招かなかった。
         

「黄華堂医話」橘南谿(続日本随筆大成 10)より

                                 
訳者注:この文章の表題は、特にないので、「靺鞨の医師 生死を移す」としました。靺鞨(まっかつ)は、現在の沿海州や北満州に居住していた民族で、ツングース系とされています。しかし、藤原三代の頃には、靺鞨族は、消えて周囲の民族に吸収されたようです。
従って、この時代に靺鞨国から来たというのは、誤りでしょう。
おそらく、沿海州あたりから、日本に漂流、もしくは貿易のために来た、唐人・高麗人など以外の民族の出身者でしょう。名前からして、ツングース系か、モンゴル系でしょう。そして、彼は、医術の心得があったのでしょう。
   

 


死に臨んでも、爆睡。肝臓に毛が生えていた。 新著聞集

2023-08-19 22:00:00 | 奇談

死に臨んでも、爆睡。肝臓に毛が生えていた。
       日本随筆大成第二期第5巻「新著聞集」より
                                2023.8
心臓に毛、いいえ 肝臓に毛が生えている

「心臓に毛が生えている」と言う言葉がありますが、「肝臓に毛が生えている」と言う言葉が、江戸時代の、「新著聞集」にありました。
面白いので、紹介します。
本来の表題は、「望死熟睡肝臓に毛を生ず(死に臨んでも、熟睡していた。肝臓に毛が生えていた。)」です。


以下、本文


 蒲生下野守(がもうしもつげのかみ:蒲生 定秀か?戦国時代、近江の日野の城主)殿の家来の侍が、わけあって、切腹することになった。
身を清めるために、行水をして、首切り役人の監督に向かって、
「われは常に湯あがりには、寝る癖がある也。この世の思い出に、寝させてくれよ。」と訴えた。
そして、高鼾(かたいびき)をかいて、しばらく寝てから、目をさまし、起あがった。

 また首切り役人の監督に向かって、
「われらが様なる強勢(ものに動じない)の者には、肝(きも)に毛の生えると、昔から申すなり。
事実ならば、恐らくは某(それがし)が肝にも、毛が生えてあらん。かならず見たまえ。たのむ也。」
と言って切腹した。

 それで、約束の通りに、肝臓をみると、言った通りで、毛が生えていたそうである。

 この話は、傍輩(ほうばい:同僚)であった町野倫菴という医師が語ったものである。


亀卜(きぼく)  「筆のすさび」菅茶山

2023-04-26 22:59:05 | 奇談

亀卜(きぼく)

                                                                            2023.4
亀卜(きぼく)は対州(対馬)に残っている。
(注:古代の占いの方法である。古代中国から伝わったものであろう。)
その法は、このようである。
亀甲(べっこう:原典のルビ)の裏から小刀で穴をあける。そして、一寸程を薄くするのを鑚亀(さん)と言う。
対馬で、クフと言う木は刺のある木である。
それを箸のようにして、その先に火をつけ、あの薄くした所を裏より焼く。
表に割れた紋が出て来るが、それを灼亀(しゃくき)という。
その紋の裂けようを見て、古凶を占う。
その亀卜の方法を、或る峙 古田家より、教えてくれるように望まれたが、教えなかった。

甲は乾燥したのを用いる。生きている亀の甲羅ではない。

「筆のすさび」菅茶山、安政三年 より

 


裸形の国  筆のすさび

2023-04-26 22:56:00 | 奇談

裸形の国

                                                                       2023.4
数年前、芸州(安芸の国:今の岡山県)の人が漂流して、どこかに国に流れ着いた。
その国の人は、皆裸であった。
その国の酋(おさ)が、時々、国を巡視するのを見たが、国王も王妃も裸であった。
芋がおおく生じ、土中に入れて蒸し焼きにして食べる。
芋の葉をとって、植えておけば、また芋が出来る。
穀類はなくて、食べることはない。

この裸の国付近に、安芸の人が難船して漂流していたのをオランダ船が助けた。
彼を、その裸の国に預けておき、翌年日本につれてきた。
というのは、漂流者を連れ帰ると、褒美の金が得られるからである。

武元景文は、その漂流者にあって、そのことを詩に書いたが、私は、それを失念した。

「筆のすさび」菅茶山、安政三年 より