江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

新説百物語巻之四 2、疱瘡の神の事

2023-01-21 22:23:39 | 新説百物語

新説百物語巻之四 2、疱瘡の神の事

                                      2023.1

丹波国(たんばのくに:京都府の北部)の与謝の郡(舟屋で有名な伊根町など)で、ある年、村中に疱瘡がはやり、小児は残らず疱瘡にかかってしまった。
正月に至って、おおかた疱瘡も静まったが、三右衛門と言う者の子どもだけは、まだ患っていた。

三右衛門は、律儀な者であって、はなはだ疱瘡の神を敬い祀って、信心していた。

正月七日の夜、疱瘡の子も、殊の外具合が良かったので、家内の者にも、
「どこへでも、好きなところに行って遊んでらっしゃい。」と言って、お年玉などを与え、皆々近所へ出て行った。

三右衛門はひとりで、いろりの側に子を寝させて、たばこを吸っていた。

すると、夜中過ぎに、表の戸をあけて大勢のものが、家の内へ入って来た。
みなみな異形のものであって、男女老若さまざまな四五十人が入って来た。
「我々は、疱瘡の神である。越前の国の小浜の善右衛門船に乗って、今年は、この村へ来た。
三百軒ばかりの皆々に疱瘡を患わせ終わって、是れより又々、外へまわってゆく。
あまりに、そこ元にご馳走(供え物を貰った)になり、みなみなでお礼にと来たのだ。」と言った。
三右衛門は、これを聞いて、
「それでしたら、この一里奥に九兵衛と言う一家があります。
子供の二人が、まだ疱瘡にかかっておりません。お願い申しあげます。」と頼んだ。

異形の皆々が言った。
「それは、なにより易しい事である。すぐに行こう。」と言って、出て行った。

あくる日、手紙を書いて、右の様子を九兵衛かたへ知らせに遣わした。
すると、もはや夜の中より熱が出てきた、との返事が返って来た。
二人とも軽くかかっただけで、命には別条なかった。

その後、この一家、浦島氏の子孫は、今に至っても、疱瘡が軽く済む事が不思議である、と浦島の何某が語った。


新説百物語巻之四 1、沢田源四郎幽霊をとぶらふ事

2023-01-21 22:16:09 | 新説百物語

新説百物語巻之四 1、沢田源四郎幽霊をとぶらふ事

               幽霊に来られた事              2023.1


周防(すおう)の山口に、中世の頃、沢田源四郎と言う者がいた。
十四歳であって、小姓を務めていた。
美少年で利発で、やさしい人柄であったので、男女ともに恋こがれる者が多かった。

同じ家中の鈴木何某と言う者が、大変親しくなって親友として交わっていた。
又、その城下のある寺の弟子に素観と言う者がいた。
彼も源四郎に心をかけていたが、鈴木なにがしと擬兄弟の約束をしたと聞いて、心安く思わなかった。
それを聞いた日より断食して、ついに同月余に亡くなった。
臨終の前よりさまざまのおそろしい事が起こって、死んだ時には、目をあてて見られるような顔つきではなかった。

されから、一二ヶ月も過ぎて、源四郎が寝間にあやしい事が、度々起こった。
ある時は、家鳴り振動し、又は縁の下から大坊主の形をした物が現れたりして、数日間続いた。
それから、源四郎もふらふらと患い出して、両親のなげきは、大変なものであった。
鈴木も毎日、見舞いに来て看病などした。

何分、死霊のためであろうと、貴僧高僧を頼み、種々の祈祷、読経をしてもらったが、一向に、よくならなかった。
化物も次第に大胆になり、夜がふけてだけではなく、宵から現れるようになった。
これは、きつねや狸の仕業であろうと、様々のことをしたが、止まなかった。

源四郎は日々に痩せおとろえた。
その後には、家内の者もくたびれて、近所の若い侍が代わる代わる夜伽に来た。
ある時、一人の侍が、夜がふけて目をさまし、ふと、袖に入れてきた栗を火鉢にくべて炙った。

その内に又々家内が振動して、これは、何か出てくるのではないか?と思った時に、亡くなった坊主のような姿で、恐ろしげな顔をした物が現れた。
そして、源四郎の枕もとに立ち寄ろうとした時に、丁度 栗がポンと火鉢から飛出した。
そして、そばにいた皆が、きもをつぶしたが、化物もハッと消え失せた。

どうしたわけか、その夜は、家鳴りも止んで化け物ももう来なかった。
それで、みなみな安心して夜とぎをした。

さて、又次の夜も誰彼が来て夜伽をしたが、その夜から絶えて何もおこらず、一向に化物の音もしなくなった。
それから、源四郎も病が癒えて何事もなく成人した。

思いがけずの栗の音に、化け物が来なくなったのは、不思議で、良い事であった。

 

 


人骨をかじる狐の話   「信州百物語」

2023-01-13 20:24:12 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

人骨をかじる狐の話 

                                   2023.1

仙丈岳(長野県伊那市と山梨県南アルプス市にまたがる山)の登山道に戸台と云う部落がある。         

ここに次のような怪異譚がある。

この村には、昔からよくバカ火(ばかび:多分怪しい火)が燃える。
村人は、それを「狐の嫁入り」と称しているという。
この怪火は、雪の降る時分が一番多くあらわれて燃える。
真っ白な広原に、真っ紅な火の行列がクルクル燃えひらめきながら、だんだん山の方へ上って行く様子は、実に壮観とも奇観とも珍しいものだと言うことである。

物語は或る年の冬の出来事であった。

今の今まで、小止みなく降りしきっていた雪がピッタリ止んで、夜空には、まばゆい程の星屑が燦(ひら)めき出した。
隣の村に用事があって出掛けた一人の村人が、ようやく夜更け(よふけ)に帰路についた。
青光る雪の野原を横ぎっていると、前方にトロトロ燃えている赤い火を見つけた。
村人は、すこし恐くなってしまった。
なぜかというと、そこは火葬場で、新仏を焼いているらしいのだが、帰り道はどうしてもその側を通らねばならなかったからなのだ。

近付くに従って、人体を焼く異臭がプンと鼻を打った。
吐きっぽくなるような、一種の甘ったるい臭いがした。
ここの野外での火葬は、昔から続いているのものである。
しかし、遺体を焼く煙が立ち上る傍らに、隠亡(おんぼう:火葬場の従事者)が半身を真っ赤に染めて、魔人の様に立っている姿などを見せられては、なにかぞっとするものである。
それで村人は、袖で鼻ロを覆って、火葬場の方は見ないようにして、雪道を急いだ。

ところが、通り過ぎて、しばらく行くと、かたわらからガタガタと言う異様な響きが、突然起った。
村人は思はす、ブルブルとして立ちすくんでしまった。
怖る怖る振り返えると、道の傍に一匹の狐が人骨をかじっていた。
そのかじる音であった。

その瞬間、村人を見上げた狐の目が、ギラギラと青光りしたように感じた。
真夜中の雪の広原、火葬場の傍で、狐が人骨をかじっているのを見たら、大ていの人間なら、ぞっとしてしまうであろう。
月並みな言い方だが、この村人も冷水をかけられたやうに慄然とした。

が、次の瞬間には、狐は人骨をくわえたまま、雪の原を真一文字に走り出した。
見ると不思議なことに、その狐が走るに従って、ロにくわえている人骨が真っ青な光を発していた。
何の事はない、人魂が大地をはっているようであった。
しかもその怪火は、山へ山へと上って行ったと言う。
ふと我に帰った村人は、息せき切って家まで走り帰った。

その後、これこそ例の「狐の嫁入り」の正体であろう、と人々に語ったそうである。


 「信州百物語」 信濃郷土誌刊行会 編、昭和9年 より。

 


天婦羅(てんぷら)の始まり  山東京山「蜘蛛の糸巻」

2023-01-13 19:26:50 | 江戸の街の世相

天婦羅(てんぷら)のはじまり

天ぷらの語原
                                 2023.1

訳者注:天ぷらの名は、山東京伝先生(江戸時代の代表的な戯作者。「江戸生まれ浮気の蒲焼き」など。本文の著者である山東京山の兄。)が、考え出したものだそうだ。
その事が、山東京山の「蜘蛛の糸巻」に記されている。

以下、本文

天明の初年の事である。大坂にて家僕二三人も雇っている商人の次男の利介と言うものがいた。
好きになった歌妓(芸者)をつれて、江戸へ逃げて来た(家族に反対され、駆け落ちしたのであろう。)。

そして、私の家と同じ街の裏に住んでいた。朝夕、我が家にも出入りしていた。
(訳者注:京伝は煙草屋もしていた。
京伝が文化人であるし、煙草を買いに来ながら、雑談もしていたのであろう。)


或る時、その人が、今はもう亡くなった兄に、こう言った。
「大坂では、つけあげという物を、
江戸では、胡麻揚げと称しての辻売りがあります。
しかし、魚肉のあげ物は見たことがありません。
うまいものなので、これを夜店の辻売にしようかと思うのですが。
先生いかがでしょうか?」

兄が答えた。
「それは、よい思いつきだ。
まづ、試食してみよう」と、用意させた。
食べてみると、おいしかったので、すぐに売ると良い、とすすめた。
しかし、その人は、
「魚の胡麻揚という名前にすると、どんなものか、よくわからない感じがします。
語感も良くありません。
先生、名をつけて下さい。」と言った。

すると、亡き兄は少し考えて、
天麩羅と書いて見せた。
しかし、利介は、納得がいかないという顔をして、
「テンプラとは、どんなわけでしょう?」と聞いた。
亡兄は、笑いながら、
「あなたは、今は天竺浪人である。
フラリと江戸へ来て売り始める物であるから、てんぷらだ。
てんは天竺のてん、つまり揚げるということだ。
プラに麩羅の二字を用いたのは、小麦の粉のうす物をかけるという意味だよ。」
とおどけて言うと、利介も洒落のわかる男であったので、
天竺浪人のぶらつきであるから、「てんぷら」という名前は、面白いと喜こんだ。

店を出す時、あんどんを持って来て、字を書いてくれと要望した。
それで、亡き兄は、私に字を書かせた。

このことは、私が十二三歳位の頃であって、今より六十年の昔の事である。

今は天麩羅の名も文字も、日本中に広まっているが、
これは、亡き兄の京伝翁が名付親であって、私が天麩羅の行燈を書き始め、
利介が売り弘めた事を、知る人は、いないであろう。
〔割註〕この説は、実にそのとおりである。私が、幼いころには、行燈に本胡麻揚と書いてあった。


そういいう事なので、私が増修した北越雪譜の二編、越後の小千谷にて鮭のてんぷらを食したる条下にも、このことを記した。
思うに、物事の始源は、大方は、このような事からであろう。

                   


狐が屋根の上を飛歩いた話 「安濃津昔話」

2023-01-13 17:32:00 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

狐が屋根の上を飛歩いた話  「安濃津昔話」
                                  2023.1

狐を馬に乗せたという話は聞いたことがあるが、狐が屋根を飛び歩いたとは、珍らしい話である。

それは元治元年の五月二十二日朝の五ッ時 (午前八時)に、魚町の嘉左衛門(かざえもん)の家から与平治(よへいじ)の家まで、狐が屋根を飛び歩いた、とのことである。
それで、六月二十二日牟山神社(三重県多気郡多気町)に御湯を上げたという記事がある。

記事になっているからには、最も信ずべき記録であろう。


「安濃津昔話」より