江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

小豆が天より降って来たこと  筆のすさび

2024-05-30 22:07:33 | 奇異

小豆が天より降って来たこと  筆のすさび

              2024.5


小豆の降たる事

文化乙亥(ぶんか きのとい;文化十二年:1815年)の夏に、長崎、筑前、筑後の辺(あたり)に豆が降ったそうである。
丹波では竹に火がつくことが多いそうである。
備後にも、このようなことがある。
思うに、寛政の前二年(1787年)、備後深津郡(岡山県福山市など)に麦菽蕎麦(ムギマメソバ)など降ったことがあった。それを拾った人が私に見せてくれたが、本物のによく似ていた。しかし、その翌年は大飢饉であった。
日本書記等にもこのような事が記載されている。
豆などが降った後は、かならず凶年であった。

唐土(もろこし:中国)の史類にも、このような記載が多い。
天地の気が変わって、異気異物をひきおこしたものであろうか?
丁亥(ひのと い)(文政10年:1827年)の今年は、豊作であるが、明年はいかがであろうか?

丙子(ひのえ ね)(文化13年:1816年)四月十五日豊前中津(ぶぜん なかつ:大分県中津市)に大豆や小豆が降って、城下にて夜に出かけた人の傘に、はらはらと当たる音がするほどであった。

その種の二豆を、保存していたのを見たが、前年備後(備後:広島県)に降った物よりはしっかりしているように見え、小豆は、色が赤くなかった。

菅茶山「筆のすさび」より

 


天狗にさらわれて、帰ってきた話  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-14 22:30:15 | 奇異

天狗にさらわれて、帰ってきた話

原題「天狗に雇われる」江戸   諸国里人談  

                    2024.5

正徳のころの事である。江戸神田鍋町の小間物を商う家の十四五歳の調市(でっち:丁稚)は、正月十五日の暮がたに銭湯へ行くと言って、手拭などを持って出て行った。
少しして裏口にたたずむ人がいた。
誰だ、ととがめると、かの調布(でっち)であった。
股引、草鞋(わらじ)の旅すがたで、物入れ袋を杖にかけて、室内に人って来た。
主人は賢い男であって、おどろく体はなくて、
「まづ草鞋をぬいで、足を洗え。」
と言った。
すると、丁稚は、かしこまって足を荒い、台所の棚より盆を出し、袋をから山芋を取り出した。
これを、「土産です」と言った。
主人が言った。
「今朝は、どこから来たのか?」
「秩父の山中を今朝出ました。永々の留主、ご迷惑をかけました。」と言った。
「いつ家を出たのか?」と問うと、
「去年の十二月十三日に、年末の媒はらいをした夜に、秩父の山に行って(さらわれて)、昨日までそこに居りました。
御客に、毎日給仕をしていました。
さまざまの珍しい物を頂きました。
お客は、みな御出家(坊さんなど)でした。
昨日、こう言われました。
「「明日は、江戸へ帰してあげよう。手みやげに、山芋を掘って行け。」」と言われましたので、山芋を掘って、持って来ました。」などと語った。

その家には、この丁稚が、師走に出ていった事を知っている者がいなかった。
彼の代わりに、何者かが丁稚に化けていたことになるが、今になってそのことが知れた。

その後は、何の事もなく、それきりですんだ。

「諸国里人談」巻之二 妖異部 より


髪を切られる  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-13 22:20:51 | 奇異

髪を切られる

原題「髪切」諸国里人談
           2024.5

元禄の始めに、夜中に往来の人の髪を切る事件があった。
男女共に結ってままで、元結際(もとゆいぎわ)より切って、結んである形で地面に落ちていた。切られた人は、切られたという自覚がなく、何時きられたのか、わからなかっった。
このような事件は、あちこちの国にあったが、特に伊勢の松坂に多かった。
江戸にても切られた人があった。

私自身(著者)が、知っているのは、紺屋町の金物屋の下女のことである。
夜に買い物に行ったが、髪が切られた事に気づかず、宿に帰った。
人々は髪が無い事を言った所、驚いて気を失った。
彼女が、帰って来た道を、探すと、世間のうわさの通りに、髪は、結んだままに落ちてあった。
その時分の事である。

「諸国里人談」巻之二 妖異部 より

 

 


森の中から聞こえるお囃子の音  諸国里人談巻之二 妖異部

2024-05-12 22:13:29 | 奇異

森の中から聞こえる怪しいお囃子の音

原題「森囃(もりばやし)」諸国里人談

               2024.5

亨保のはじめ、武州(東京)相州(神奈川県)の境界の信濃坂に、毎夜、お囃子の音が聞こえた。笛、鼓(つつみ)などの音がし、五人が歌っていたが、その中に老人の声が一人いた。
近在又は江戸などより、これを聞きに来る人が多かった。十町四方に響き聞こえていた。はじめはその所がわからなかったが、しだいに近く聞きつけて行くと、その村の産土神(うぶすながき)の森の中であった。時として篝火が焚きいている事があった。翌日に見れば、青松葉の枝が燃えたのが境内にあった。或いはまた青竹の長さ一尺あまりの大きいのが、森の中に捨ててあった。
これはかの鼓(つつみ)であるのだろうと、人々は言いあった。ただ囃の音のみであって、何の禍い(わざわい)もなかった。一月をすぎても囃子の音は、止まなかった。夏のころより秋冬かけてこの事があった。しかし、次第次第に間遠に成った。三日五日の間、それから七日十目の間をあけるようになった。
はじめの頃は、聞く人も多くいて、何ともおもわなくなったが、その後は、自然とおそろしく感じるようになった。
翌年の春の頃、囃のある夜は、里人も門戸を閉めて外出しなくなった。
お囃子の音も、段々と低くなって、春の終わりには、いつともなく止んでしまった。


諸国里人談巻之二 妖異部 より