江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

新説百物語巻之五 4、定より出てふたたび世に交はりし事

2023-07-02 17:47:06 | 新説百物語
新説百物語巻之五 4、定より出てふたたび世に交はりし事
                  2023.7
大坂での事である。
ある人が、大屋敷をもとめて、増築などして、その家へ移ってきた。

すると、その家のはるかの地の下から、こんこんと鉦のたたく音が聞こえてきた。
ふしぎには、思いながらその年も過ぎたが、春になってもその鉦の音は止まなかった。

あまりに不思議なので、地の下をおよそ一丈ばかり掘らせると、石の棺があった。
それを掘り出し、ふたを明ければ、やせ衰えた人が入っていた。
頭には髪の毛ばかり、体は、骨と皮とばかりなるものが、鉦をたたいていた。
事情を聞いたが、物をも言わなかった。
それから湯などを与え、そろそろと白粥などを与えた。
その名を聞いたが、覚えていなかった。
時代を聞いたが、これも覚えていなかった。
ただ頭の髪がのびていったばかりであった。
一月たち二月たち、段々に肉もついてきて、その後には、普通の男のようになった。

どう扱うことも出来ないので、台所の片隅において、火などを扱わせた。
四五年も過ぎると、普通に歩いたり、座ったり寝たりが出来るようになった。
しかし、その家の下女と密通して、大坂から駆け落ちした、との事である。

新説百物語巻之五 3、神木を切りてふしぎの事

2023-07-02 17:45:21 | 新説百物語
新説百物語巻之五 3、神木を切りてふしぎの事
                 2023.7
丹州(丹波:京都府北部)の事であったが、一村の郷士で、気も丈夫なる者がいた。
その村の社(やしろ)には、決まった神主はいなくて、その村より、老婆一人に???をわたして世話をさせていた。

この郷士は、我が屋敷を新築しようと、
「この宮の前の大木を切って、新築の材木としよう。」と申しこんだ。
それを、彼の老女が、
「この大木はいつの頃よりといふことを知らぬ古い木ですよ。切ったら、祟りがあるかもしれませんよ。」と止めさせようと言った。
しかし、郷士は、気にもせず、あっさりと切り倒した。
そして、大工事は、ほどなく完成した。
「崇るのも、人によるものだ。」と、不信心な事などを言った。

一二ヶ月も過ぎると、彼の郷士は、少しずつわづらい出し、時々はとんでもない事などを口ばしったが、終に程なく、死亡した。
淋浴して棺に入れ、僧を頼み、寝ずの番の人を置いあた。
しかし、夜中に幾度ともなく棺よりはい出て来て、つけ木に火を付け、そこらを見あるき、又は帚を持って座敷などを掃除する事が、夜の内に六七度であった。
「とにかく、早く葬儀をして、埋葬しよう。」と、一門の者たちは言って、その明くる日に葬礼をした。

その屋敷の門を出るやいなや、稲光が何度もした。
大きな雷(かみなり)であったので、一向に目も明けられなかった。
やっとのことで、埋葬して帰って来た、とその村の人が、語った。

  

新説百物語巻之五 2、女をたすけ神の利生ありし事

2023-07-02 17:43:21 | 新説百物語
新説百物語巻之五 2、女をたすけ神の利生ありし事
                2023.7
京の上長者町に、ひしや治郎兵衛という者がいた。
若い時より伊達男であって、ずっと仏の教えには関心がなく、夫婦で暮していた。

しかし、ある時、夢に衣冠正しくしている人が来たのを見た。
「我は、大宮七条あたりのものなり。」と言って飛び去って行った。
ふしぎの事に思って七条に行くと、古がね店に夢に見たような天神の像があった。
さしもの伊達男も信心をきもに命じ、買い求めて持ち帰り信心した。

ある年、大熱病を患って、命も亡くなろうとしたので、女房は水ごりをして、彼の天神に夫の命を助けてくれるよう祈願した。
天神は、夢で女房にこのように告げた。
「汝が願うのは、もっともである。何であれ大切のものを捨てよ。病気を快気させよう。」と、はっきりとした霊夢をみたので、疑いようがなかった。

夫婦の二人暮らしの事であるので、さして大切の物もなかった。
何を捨てようかと相談して、長年秘蔵して育てていた豊後梅の鉢植を引きぬき、小野の天神の神前に捨て置いた。
女房が家に帰ると大熱が全く下がって、程なく本復した。

その後、この治郎兵衛は、油小路あたりを通った。
初夜(午後8時ころ)過ぎの事であった。
女が一人で、泣き泣き物を探している様子であった。
「何を探しているのかい?」と尋ねると、
「私は、さる武家に奉公している者でございます。
今日の夕方、御出入りの小間物屋へ使いに参りましたが、金子(きんす)十両ばかりのタイマイ(鼈甲)?の櫛を買って、三枚持ち帰りましたが、一枚を取り落としてしまいました。
探しましたが、見あたりません。
ご主人様からは、
もしもその櫛が見つからなければ、手打ちにする、と言われました。それで、あてもなくこのように探しております。」
と答えた。

治郎兵衛は聞いて、
「それは、ばかげた事だ。」と言って、その近所で提灯を借りて、二人で探したが、見つけ出せなかった。女は、泣く泣く言った。
「これで、帰っても、ひどい目にあうことですので、これより河も身を投げましょう。
思いももよらぬ御世話にあづかり、ありがとうございました。」
と語った。

それを聞いた治郎兵衛は、不便(ふびん)に思い、
「それは、悪い考えだ。これから、故郷に帰り、親とも相談して、主人へ詫びごとをするのがよい。」
とすすめた。
しかし、
「いいえ、故郷に女の身では、ひとりでは帰れません。まして親に苦労をかけるも申し訳ないことでございます。」
と、いかにも身をも投げる様子であった。
「それならば、まづまず我が家に来なさい。
一宿してから考えなさい。」と言って、無理に家にともない帰った。

女房とともに話して、在所の勢州(伊勢)の雲津へ送ることにした。
人を雇い路銭も与えた。

この女は、草津に知る人がいたので、それまで送りとどけて、雇い人は京へ帰ってきた。

その後、段々親よりも御主人へ御わび申しあげた。

しかし、失せ物は、その女が落としたのではなく、悪いものがいて、取り隠したことが、明らかになった。女に落ち度は無い、との身の証は立って、
「又々奉公に来てくれ。」と、主人よりの言葉があった。

しかし、奉公にこりて、そのまま在所に暮らしていた。

それから三年すぎて、このひしや治郎兵衛は、伊勢太々講の一員として、伊勢参りに行った。

ある日、治郎兵衛が、雲津(三重県津市)から一里ばかり離れた所で、笠をかぶりながら進んで行った。
その時に、在所のわきから女が、一人の小さい女を供につれて来たのに出あった。
すると、治郎兵衛の顔をつくづくと見て、そばへより、
「もしもあなた様は、京の治郎兵衛さまではございませんか?」と問うた。
治郎兵衛も立ち止まって、
「そのとおり、私は京都の者で、名は治郎兵衛と申します。
あなた様は、何となく見たことのある人の様ですね。」と答えた。
女が言うには、
「私は、先年、櫛をおとし御世話になったものでございます。
その後、私の潔白な証も立って、あなた様を命の親と存じ、両親とともに御礼を申しあげるべきでございました。
けれども、あまりに心が急いて、住所も、家の名も知らなくて、ただただ治郎兵衛様とばかり覚えておりました。
どこへも尋ねるすべもなく、恩返しも出来ませんでした。
毎日毎日、家ではこのことを話しておりました。
私の家は、ここより一町ばかり奥でございますので、ぜひ御立ち寄り下さい。」と言った。
「いやいや、それは奇遇ですね。
しかし連れもいますので、この次お伊勢様に参宮する節に立ち寄りましょう。」
と治郎兵衛は言ったが、女は、なかなか承知しなかった。

治郎兵衛をむりに家に連れ帰えった。
そして、両親をはじめ兄妹、その他近所の人々が打ちより、涙をこぼして礼を言った。
そして、無理にとどめて、夕飯などを出し、盃を取り交わした。
日暮になって、やっと駕籠を呼んで、雲津の宿まで送らせらた。

そこから十町ばかり行けば、雲津川であった。
夕立でも降ったのであろうか、河は大水であった。
川端には、松明や提灯がおびただしく、伊勢参りの人の船が転覆して、八人も死んだ、と騒いでいた。
その内に、水中より旅人一人の死がいが引き上げられた。
見ると、治郎兵衛の連の同行者であった。
大いに驚いて、それから、夜が明けてみれば、八人の死骸が残らず引き上げられた。
水も少々おだやかになって、先に対岸に渡った者もこちら側に戻ってきた。

くわしく聞けば、同行の三十人の内の二十一人は、先の船で向こう岸に渡り、残った九人のうちの八人が同じ船に乗って、このように水におぼれて死んだことが、わかった。

雲津の在に、治郎兵衛が無理矢理つれて行かれなければ、一緒に水におぼれ死んだであろう。

陰徳をなしたので、治郎兵衛一人が助かったのだ、と皆は話した。

新説百物語巻之五  1、高野山にてよみがへりし子どもの事

2023-07-02 17:41:05 | 新説百物語
新説百物語巻之五  1、高野山にてよみがへりし子どもの事
                2023.7
京の錦小路に何院とかいう名の高貴な僧がいた。
ある年、高野山に上ったが、このような話を聞いてきて語った。

この四年前に、ふしぎなことがあった。
この高野山の麓の村の十二三歳になるものが熱病をわづらった。
とやかく介抱したが、その甲斐もなく亡くなった。
父母は、どうしようもなくて、この山に葬った。
七日目の夜の明け方に、親のもとへ帰って来た。

家の者たちは、幽霊だと思って、大いにおそれ、誰も戸を開ける者もなかった。
その内に、ようやく夜もあけ方になり、父親も家から出て様子を尋ねた。

すると、その子が言うには、
「死んだ時も、少しも死んだとは思わなかった。
ふと目が醒めたようになったので、撫でて見れば箱の中であった。
さては、自分は死んだと思って、さして悲しくもなかった。
しかし、頭の上で大勢の声で、鉦を打ちたたいて念仏を唱えているように聞こえた。
その後は音もしなかった。
又ある時、あたまの上の土をかきのけている音がしたので、箱の蓋をそっと上げた。
開けると、そのまま横にこけて、箱のふたがわれた。向こうを見れば、大きな狼が口を明けていたので、そのあたりの石を拾って投げたら、狼はにげ失せた。
それから、すぐに家に逃げ帰って来た。」
と語った。

念仏の音は、一二日以前に順礼が通って、あたらしい墓を見て、大勢で回向して通った、その音であった。

狼に掘り出されて、ふたたび家へ帰ってきたのは、珍しい事である、との話であった。

それで、この僧はその家に尋ねてゆき、本人に会って、直に様子を聞いて、帰って来た、との事である。