江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「天草島民俗誌」河童記事  その1

2021-11-26 20:51:33 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その1


「天草島民俗誌」(浜田隆一著、東京郷土研究社、昭和7年、1932年)


河童     「天草島民俗誌」河童記事  その1

河童に教わった妙薬で、名医となった話    
今から五百年程前、或る村に、一人の骨つぎ医者がいた。
ある夜、一心に筆をとっていると、畳の間から冷たい手が出てきて、自分の尻ぺたを撫でた。
それで、驚いて素早く刀に手を掛けたが、もう居なかった。


次の夜も、机に向って本を読んでいると、また撫でるので、刀に手をやったが、やはり間に合わなかった。
けれどもある晩、遂に首尾よく、斬り落してしまった。
よく見ると河童の手であった。
そのまま机の上に置いて、又読書を続けていると、外で河童の泣声がする。
しかし、知らんふりをしていた。


翌晩、河童は窓から「もう決して悪戯(わるさ)をしませんから、手をかやして(原文のまま)下さい。」と嘆願した。
そして 「今夜までに接がなければ、接げませんから」と言った。
医者は不思議に思って「一日も経った手をどのようにして接ぐのか?」と訊ねた。
河童は、自分達の骨接ぎの方法を教えた。
それを医者は、すらすらと書きとって置いた。


それから患者がある時は、その方法でやって見ると実によく接(つな)がるので、たちまち名医として有名になった。
(中原清峯君報)


河童は大きくなったり小さくなったりする
河童は、大きくなったり小さくなったりする。
小さくなった時は、馬の足跡に千匹でも入ると云う。

村の川に、橋がまだ架からぬ前、飛石であった時分は、老人がその飛び石を渡ると、煙草入れを流した。
老人が欲しがって、それを取りに水の中に入ると、引込んだりした。
女が渡ると、櫛や油びんなどを流して、引込んだりした。
冬は山に打って、柴の葉に化けて居て、人間の尻を取る。
〔林田靖史君報。教良木村〕


河童の姿
僕のお父さんも、河童を見たと言っていた。
格好はまるきり犬とそっくりで、頭が少し犬よりか平たいと言っていた。
(田中留君報)


河童の妙薬   「天草島民俗誌」河童記事  その2
或る所に一人の女の人がいた。
その人の家は川端に近かった。
そこの川は、丁度 瀧のようになっていて、下は深く甕(かめ)のようになっていた。


女の人が或る晩、縫物をしていると、台所の方でコトコトと音がするので、不思議に思って行って見ると、そこに有ったはずの野菜が、食いちらかされてあった。
そこで、その辺をよく見ると、鶏の足あととも判らぬ、又人間の足あとも判らぬ小さな足かたが、雨あがりの地べたについていた。


あくる日、隣に行って爺さんに話すと
「そこん先の川に、がわっばがいると言うこっちやで。ひょっとすれば、そん がわっぱかも知れんわい」と言った。
この女の人は、女ながらも、こんな淋しい家に一人でいる位、度胸のすわった人だったので、その晩は、河童が来たら手を折ってやろうと思って、出刄庖丁を磨いで、今夜はわざと野菜を自分の前に置いて縫物をしていた。
しばらくすると、障子の破れる音がして、やがてその破れから不思議な手が’ニュウと来て野菜をにぎった。
女の人は、すぐその手を握って一方の出刄庖丁でジヤキンと斬り取った。
すると外では、苦しそうな叫び声が聞えて、はしり出した様な物音がした。
女は、その手を大切にしまって、床に就いた。


翌日、起きて外に出て見ると、血が川の方へ続いているので、いよいよ河童であると思った。
二三日経った或る晩、戸をコツコツと敲く音がするので戸を開けて見ると、片腕の無い頭の上が皿のようになった爺さんが立っていた。
「どなたですか」と聞くと、
「わしは、この川に棲む河童ですが、この前あなたの家まで来ると、好きな野菜が台所にあったので、つい口をつけて見ると、非常においしかったので、食いちらして帰りました。翌晩も、その昧が忘れられず、また台所に行きましたが、そこには、見あたりませんでした。ふと見ると、あなたの前に置いてあるので、しめた!と手を差のべたところを、斬り落されたのでした。もう決して、こんな事はしませんから、あの腕を返して下さい。その代り、返して下されば、傷にはどんなのでもよく利く薬を差上げますから。」と言った。
それで腕を返してやったら、果して不思議な薬瓶をくれた。


今もその薬がその村には伝わっているそうだ。
(仁田長政君報、宮地岳村)

 


人形に化けた河童   「天草島民俗誌」河童記事  その3
昔、或る所に一人のおばあさんがおられた。
そのおばあさんは、一人で住んでいて、川端に家があった。
毎日夕方になると、川端に妙な嗚き声がするので不思議に思っていた。


あくる日の昼頃、川に洗濯に行かれた。
すると向う岸から、おばあさんの方へ美しいべんた人形が流れて来た。
そこでおぱあさんは喜んで、その人形を拾い上げ、洗濯を什上げて家へ帰って、その人形を大切に戸棚の中にしまって置いた。


夜になって、その人形の鳴き声を聞こうと思い、今に鳴くか鳴くか鳴くか、と待っているが、中々泣かない。
一時(いっとき)すると泣き声が聞えて来た。おばあさんは戸棚をあけて、その小さな人形を取り出し、その晩は、自分の懐に抱いて寝ることにした。
すると夜中頃、おばあさんは、自分のお尻がモザモザするので、手をやってかかって(触って)見ようとしたが。
クスクスと笑ってすぐに死んでしまったという。
(真西哲雄君報、柄本村)

 


河童は、仏様のご飯を恐れる   「天草島民俗誌」河童記事  その4
昔、或る浜辺を一人の子供が歩いていると、突然海の中から、小さな頭に髪が生えて皿の様になった物が、ジャブジャブと上って来て、
「坊ちゃん、相撲をとろう」と言ったので、その子は面白がって晩まで飯も食わずに取っていた。


夜になって家に帰ると、家の人達は、
「今まで何處(どこ)に遊んでいたのか?」と問うた。
子供はニコニコ笑いながら、
「浜辺で、何ぢゃいろと相撲ばとった」と話したので、皆大へんびっくりした。
そして子供は、
「約束しておいたから、明日も行く」と言うので、しきりに止めた。
けれども
「明日来なければ打殺す、と河童が言った。」と言う。


仕方が無いので、翌日は、仏様に供えた飯を食べさせて、自分も後からつけて行った。
すると砂原に河童がちゃんと宝ものを持って来ている。
そして今日こそ海の中へ子供を引きこんでやろう、と持っていた。
ところが、そこへ来た子供は、仏様に供えた御飯を食べて来たので、目の玉がキラキラ光っていた。
それで、河童は、恐ろしくてたまらず、宝物も何も打捨てて、海の中へ逃げこんでしまった。
そこで、二人はその宝物を持って帰って大変な長者になり、今でもそうだという話である。
(小崎博善君報、棚底村)

 

河童の小包   「天草島民俗誌」河童記事  その5
昔、或所に郵便配達が海水浴をしていた。
そこへ、河童が現われて、
「この小包を送ってくれ、そうするとお前の尻は取らないから。」と言うので、その小包を受取った。
そして、受取人の名前をよく見ると、「島原の河童の大将」とあった。
それには、「人の尻を干した数が九十九、配達人の尻まで百」と記してあった。
配達人は、それを先方に届けず、白分の家へ持って帰った。
それからまた四五日経って海水浴をしていると、先日の河童が来て、その尻を取ってしまった。

 

 

         



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