江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

「天草島民俗誌」河童雑記   その16 から その21

2021-11-25 18:34:19 | カッパ

「天草島民俗誌」河童雑記   その16 から その21

                                 2021.11

城河原村   「天草島民俗誌」河童雑記  その16
内の川の上流の宇田代というに、川に沿って道路がある。
そこを三人の男が通りかかったら、川の中に茄子を沢山つけてあるのを、河童どもがしきりに食べていた。
そして、その三人の中に、その茄子の所有者も混って居たが、その男には見えず、他の二人にだけ河童が見えた。
三人とも、今 現に生きている人である。
 
     

宮田村  「天草島民俗誌」河童雑記  その17
字(あざ)大宮田、
数十年昔「みやなぎ」という相撲とりが、隣村に行く時に海岸を通っていると、河童が出てきて、相撲をとろう、と言った。
用事があるから、帰途に相手になろうと言った。
そして、帰る時に、仏様に供えたご飯をいただいて来た。
果してまた河童が来た。
『さあ相撲をとろう』と言うと、
「あなたは、眼が光って恐ろしい」と言ってかかって来ない。
そこで先刻の約束を守らぬのは、不都合だと責め立てた。
そして結局、以後は宮川の人の尻は決してとらぬ、と言う約束をさせた。

年に一度づつ河童祭がある。
      


佐伊津村  76 「天草島民俗誌」河童雑記  その18
佐伊津の堀内で、五十年程前のことである。
村の或る男が、夜おそく用件で歩いていた。
そこの沼池の附近の茄子畑で、二尺位の大きさの子供のようなものが、がやがや騒いでいた。
驚きと怖れを抱きながらも、怖いもの見たさに近づいて行くと、その姿が何時の間にか消えてしまった。
 
或る日「ガクリョウ」川に、或る女が洗濯に行った。
水の底に小さな子供のようなのが、仰向けに寝ていた。
驚いて飛んで帰り、人々を呼んで、再び行って見たが、もうその時はいなかった。
   


久玉村  「天草島民俗誌」河童雑記  その19
久玉と深海の境に「おなぶつ」といふ淵があった。
その附近を自動車が通る時、四五年前までは毎晩河童が邪魔して困ったという。

或る時、一人の美女が川のほとりを通っていると、又一人の美女が現れて来た。
その女は、重箱を下げていた。
そして重箱の中から、金をつかんでは、川の中に投げ込んだ。
そこで、他の女が、それがほしくなって、拾おうと思って、川の中に入った。
すると河童にとられてしまった。
そこを『女淵川』とい。


坂瀬川 「天草島民俗誌」河童雑記  その20
今から百五十年ばかり前の話。
庄屋の某(これは庄屋と言わずに、ただの百姓にしている話もある)が夫婦で、田の草をとっていると、河童が出て来て「爺、一緒に泳ごうではないか」と誘った。
爺さんは、「うん。泳ぐから、草をとって加勢をしろ」と言うと、河童は加勢をして、草をとってしまった。

いよいよ游ぐ時、爺さんは、自分の尻のところに鎌をくくりつけて一諸に游いだ。
河童は、その鎌を捨てろといった。
爺さんが、「おれの尻をとりたくてそんなことを言うのか」と河童の腕をとって引っ張り廻したから、河童はたまらず降参した。
それから二人は、河傍の石に腰を下して休んでいると、「どうぞ一度でよいから尻をとらしてくれ」という。
「よしそれでは、この川の水を逆さに流して見せろ。そしたらとらしてやる」と言った。
河童は、心の中で何か祈願すると、川の水が逆さに流れ初めた。
(坂瀬川の満潮時の逆流)
爺さんはあわてて、
「待て待て、鉄のかたまりが腐れる時は、とらしてやる」と言って、鉄の塊を小山の上に置いた。
それから河童は、日に数回小便をかけて、ひたすらそれが早く腐れるのを待った。
数年の後に果たして腐れた。
そこで、河童が尻をとることを請求すると、今度は又、約束を仕直した。
小山の上に大きな男石をおいて、これが土になったら、約束に従がおう、と言った。
けれども、石は中々土にならない。
河童は、その上に糞を垂れたりして、早く土になる様苦心したが、駄目であった。
今でもこの石はあって、その上が少しクボんでいるのは、その糞をたれたあとだと云うことである。
こうして河童は、永遠に尻をとる機会を失ってしまった。

爺さんは、死後、神に祀られて「別当さま」と呼ばれ、その祠(ほこら)が今も大師山の下に在る。
游ぐとき「別当様の子孫でござる」と言えば、河童に尻をとられない。


これに附隨して、坂瀬川は逆瀬川で、河童が逆さに流したから起こったのだと言う。
坂瀬川の川底が所々深く凹んで居るのは、逆さに流そうと思って、河童が掘ったのだ、といっている。
 


余言   「天草島民俗誌」河童雑記  その21     河童雑記 末文                 
天草では、まだ中学生に至るまで、河童の実在を信じている。
古老は、「河童が陸上に上がったことは、その何ともいえない生臭い臭いでわかる。」と言う。
「河童に尻をとられたのと、溺死したのとは全然違う。溺れたのは、身体が冷く硬くなるが、河童にやられたのは、身体がいつまでもくたくたと柔かく、尻の穴がぽんと抜けている。」
と言っている。

かって二三年前、御所浦島の小学校の生徒を渡す渡船が(御所浦島に小学校があって、附近の小島の生徒は、毎日船で往復するのである)岸に着く時に、どうしたのか不意に転覆してしまった。
水の中にあっぷあっぷしている生徒を、附近の村人達がかけつけて、みな救い上げた。
しばらくしてから、もう一人足らないことが判った。
大騒ぎをして探したが、どうしても見つからぬ。
その時、或る者がひょっと思いついて、先刻転覆したままになっている船をもとにかへして見た。
すると、その中からその子供が現れて来た。
勿論死んでいた。
それから、これを河童がとったのだ、という評判が高くなった。
しばらくは、そこを渡るものがなかった、という話である。

                                                   



最新の画像もっと見る

コメントを投稿