江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

天婦羅(てんぷら)の始まり  山東京山「蜘蛛の糸巻」

2023-01-13 19:26:50 | 江戸の街の世相

天婦羅(てんぷら)のはじまり

天ぷらの語原
                                 2023.1

訳者注:天ぷらの名は、山東京伝先生(江戸時代の代表的な戯作者。「江戸生まれ浮気の蒲焼き」など。本文の著者である山東京山の兄。)が、考え出したものだそうだ。
その事が、山東京山の「蜘蛛の糸巻」に記されている。

以下、本文

天明の初年の事である。大坂にて家僕二三人も雇っている商人の次男の利介と言うものがいた。
好きになった歌妓(芸者)をつれて、江戸へ逃げて来た(家族に反対され、駆け落ちしたのであろう。)。

そして、私の家と同じ街の裏に住んでいた。朝夕、我が家にも出入りしていた。
(訳者注:京伝は煙草屋もしていた。
京伝が文化人であるし、煙草を買いに来ながら、雑談もしていたのであろう。)


或る時、その人が、今はもう亡くなった兄に、こう言った。
「大坂では、つけあげという物を、
江戸では、胡麻揚げと称しての辻売りがあります。
しかし、魚肉のあげ物は見たことがありません。
うまいものなので、これを夜店の辻売にしようかと思うのですが。
先生いかがでしょうか?」

兄が答えた。
「それは、よい思いつきだ。
まづ、試食してみよう」と、用意させた。
食べてみると、おいしかったので、すぐに売ると良い、とすすめた。
しかし、その人は、
「魚の胡麻揚という名前にすると、どんなものか、よくわからない感じがします。
語感も良くありません。
先生、名をつけて下さい。」と言った。

すると、亡き兄は少し考えて、
天麩羅と書いて見せた。
しかし、利介は、納得がいかないという顔をして、
「テンプラとは、どんなわけでしょう?」と聞いた。
亡兄は、笑いながら、
「あなたは、今は天竺浪人である。
フラリと江戸へ来て売り始める物であるから、てんぷらだ。
てんは天竺のてん、つまり揚げるということだ。
プラに麩羅の二字を用いたのは、小麦の粉のうす物をかけるという意味だよ。」
とおどけて言うと、利介も洒落のわかる男であったので、
天竺浪人のぶらつきであるから、「てんぷら」という名前は、面白いと喜こんだ。

店を出す時、あんどんを持って来て、字を書いてくれと要望した。
それで、亡き兄は、私に字を書かせた。

このことは、私が十二三歳位の頃であって、今より六十年の昔の事である。

今は天麩羅の名も文字も、日本中に広まっているが、
これは、亡き兄の京伝翁が名付親であって、私が天麩羅の行燈を書き始め、
利介が売り弘めた事を、知る人は、いないであろう。
〔割註〕この説は、実にそのとおりである。私が、幼いころには、行燈に本胡麻揚と書いてあった。


そういいう事なので、私が増修した北越雪譜の二編、越後の小千谷にて鮭のてんぷらを食したる条下にも、このことを記した。
思うに、物事の始源は、大方は、このような事からであろう。

                   



最新の画像もっと見る

コメントを投稿