僕の母は、平成10年に他界し、もうこの世にいない。生前は、「パーキンソン氏病」という難病だった。
40を過ぎて僕を生んだので、けっこう高齢出産だったみたいだ。
僕が母と過ごした時間は20年ちょっと。
なので、50を過ぎても60を過ぎても母親が生きている人を、たまにうらやましく思う。
僕は、本当にお母さん子だった。
母も子煩悩で、一人っ子だった僕を本当に可愛がってくれた。
なのに僕は、母に親孝行らしいことをしたことがほとんどない。
そういえば、僕は母に何がしてあげられただろう?
親孝行らしい事と言えば、母が亡くなるちょっと前に、僕が車を運転して母の実家の三重県に里帰りさせた事くらいだろうか。
急に、三重県に一度帰りたいと言い出した。
今思えば、自分が命が長くないことが分かっていたのだろう。
阿蘇、やまなみハイウェイ経由で別府へ入り、別府からフェリーに乗り、震災前の神戸で降りて、三重県へ。
栗東から国道1号線を南下している時、道路の案内標識に「三重県」という文字が初めて表示された瞬間、泣き出した母。
あれが最後の旅行だったね。お母さん。
「絶対もう一度行こう!」と約束したけど、行けなかったね。お母さん。
親不孝ばかりして、苦労かけっぱなしで、結果的に僕が殺したようなもんだけど、最後にいいことが出来て、本当に良かったと思うよ。
生前は言えなかったけど、「生まなければよかった」と言わせたくらい親不孝と苦労ばかりさせて、ごめんなさい。
「孝行したいときに親はなし」
親が生きていた頃には気にも留めなかった言葉だが、今となっては、まさにその通りだと思う。
早く死ねこのババア、とか思ってたけど、何であんな事思ってしまったのだろう。
たくさんたくさん親孝行すれば良かった。
温泉に連れて行きたいよ。
一緒にご飯食べたいよ。
奥さんの顔、見せてあげたいよ。
孫の顔、見せてあげたいよ。
僕が今、本当に欲しいものは、すぐそこにあったというのに、なぜ気が付かなかったのだろう。
本当の幸せ、本当のぬくもりは、手を伸ばせばすぐそこに転がっていたというのに・・・。
お母さん。あのね。
一人でご飯作れるよ。
一人で洗濯できるよ。
掃除は・・・、ちょっと苦手かな。
そうそう、僕、犬を飼ったよ。もう独りでも寂しくないから心配しないで。
人はいつか必ず死ぬということは、漠然とは分かっていたが、それがいつかは現実になるということが怖くて、わざと気付かないふりをしていたのかもしれない。
逃げずに、その現実を受け止めることができていたなら、もっと親孝行ができたのだろうか?
母がまだ生きていたとしても、親孝行していただろうか?
答えは「否」。
友達数人に「親孝行してる?」と聞いても、「してない」と答えるばかり。
結局、親が死んで、やっと気付く。
そう。今の僕のように。
今、親が生きている人は、今のうち、親孝行をしてほしい。
照れくさいだろうから、精一杯とまではいかなくても、少しは親孝行をしてほしい。
あとで悔やんでも仕方ないのだから・・・。
40を過ぎて僕を生んだので、けっこう高齢出産だったみたいだ。
僕が母と過ごした時間は20年ちょっと。
なので、50を過ぎても60を過ぎても母親が生きている人を、たまにうらやましく思う。
僕は、本当にお母さん子だった。
母も子煩悩で、一人っ子だった僕を本当に可愛がってくれた。
なのに僕は、母に親孝行らしいことをしたことがほとんどない。
そういえば、僕は母に何がしてあげられただろう?
親孝行らしい事と言えば、母が亡くなるちょっと前に、僕が車を運転して母の実家の三重県に里帰りさせた事くらいだろうか。
急に、三重県に一度帰りたいと言い出した。
今思えば、自分が命が長くないことが分かっていたのだろう。
阿蘇、やまなみハイウェイ経由で別府へ入り、別府からフェリーに乗り、震災前の神戸で降りて、三重県へ。
栗東から国道1号線を南下している時、道路の案内標識に「三重県」という文字が初めて表示された瞬間、泣き出した母。
あれが最後の旅行だったね。お母さん。
「絶対もう一度行こう!」と約束したけど、行けなかったね。お母さん。
親不孝ばかりして、苦労かけっぱなしで、結果的に僕が殺したようなもんだけど、最後にいいことが出来て、本当に良かったと思うよ。
生前は言えなかったけど、「生まなければよかった」と言わせたくらい親不孝と苦労ばかりさせて、ごめんなさい。
「孝行したいときに親はなし」
親が生きていた頃には気にも留めなかった言葉だが、今となっては、まさにその通りだと思う。
早く死ねこのババア、とか思ってたけど、何であんな事思ってしまったのだろう。
たくさんたくさん親孝行すれば良かった。
温泉に連れて行きたいよ。
一緒にご飯食べたいよ。
奥さんの顔、見せてあげたいよ。
孫の顔、見せてあげたいよ。
僕が今、本当に欲しいものは、すぐそこにあったというのに、なぜ気が付かなかったのだろう。
本当の幸せ、本当のぬくもりは、手を伸ばせばすぐそこに転がっていたというのに・・・。
お母さん。あのね。
一人でご飯作れるよ。
一人で洗濯できるよ。
掃除は・・・、ちょっと苦手かな。
そうそう、僕、犬を飼ったよ。もう独りでも寂しくないから心配しないで。
人はいつか必ず死ぬということは、漠然とは分かっていたが、それがいつかは現実になるということが怖くて、わざと気付かないふりをしていたのかもしれない。
逃げずに、その現実を受け止めることができていたなら、もっと親孝行ができたのだろうか?
母がまだ生きていたとしても、親孝行していただろうか?
答えは「否」。
友達数人に「親孝行してる?」と聞いても、「してない」と答えるばかり。
結局、親が死んで、やっと気付く。
そう。今の僕のように。
今、親が生きている人は、今のうち、親孝行をしてほしい。
照れくさいだろうから、精一杯とまではいかなくても、少しは親孝行をしてほしい。
あとで悔やんでも仕方ないのだから・・・。