黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

音羽御所 林丘寺門跡

2010-03-24 19:23:15 | 京都の寺社・御所・離宮
洛外に現存する尼門跡(比丘尼御所)は先に紹介した鹿王院の曇華院と
修学院の林丘寺、それと鹿ケ谷にある霊鑑寺があります。今日は林丘寺を紹介します。

林丘寺寺史
開基は江戸初期、後水尾院(天皇)皇女の光子内親王(朱宮・緋宮、法名は照山元瑤)
朱宮は一時、将軍家綱の正室候補ともなったが後水尾院の反対で沙汰止みとなり
後水尾院の元で暮らすことになる。後水尾院の修学院山荘(離宮)に楽只軒と名付けた
御殿を賜い、これに東福門院からの客殿をあわせて朱宮御所とした。

後水尾院崩御ののちに、朱宮は落飾して朱宮御所を寺院に改めて林丘寺とした。
後水尾院遺領のうち300石が贈られ寺領となった。霊元院(天皇)皇女普光院宮が
二世となって以降は皇女をもって住持とする。しかし江戸後期には無住が続き幕末には
荒廃する。明治初年に天竜寺より男僧が入り復興にあたる。明治17年に楽只軒と客殿を
宮内省に移譲して隣接地に書院・庫裏を移築して、再び尼寺となり現在に到る。
臨済宗系単立 本尊聖観世音菩薩

林丘寺は修学院離宮中ノ茶屋に隣接してあります。音羽川沿いには旧表総門が残ります。
音羽川沿いをさらに歩いていくと比叡山への登山口になります。


旧表総門前は宮内庁の管轄地になっていて立ち入りはできません。


現在の表総門。人家のない離宮の田畑地のあぜ道の先にあります。拝観謝絶のお寺です。


門前の地蔵菩薩像。


現在は離宮中ノ茶屋となっている旧朱宮御所の楽只軒。


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千代野御所 宝慈院門跡

2010-03-23 17:46:46 | 京都の寺社・御所・離宮
上京に残る尼門跡(比丘尼御所)の最後は宝慈院門跡(千代野御所)です。

宝慈院寺史
開基は明朝から渡来した無学祖元の弟子で尼五山景愛寺を創建した無外如大尼。
無外如大尼は鎌倉の有力御家人安達泰盛の娘で北條一門の金沢家に入室した
女性であるという。宝慈院は景愛寺の子院である。はじめは資樹院といったが、
応仁の乱ののちに宝慈院と改称する。本寺である景愛寺は衰微したが、
その本尊阿弥陀如来像を遷座して現在は無外如大尼像とともに重文指定となっている。
南北朝期から皇女・公家の子女を住持として法灯を継ぐ。明和元年(1764)に
千代野御所号を勅許され宝暦年間に比丘尼御所に列した。千代野とは無外如大尼の
幼名である。江戸期の石高は61石。禅宗単立であるが相国寺の所轄となっている。

宝慈院は烏丸通から寺之内通を少し入った木下町の住宅地の中に建っているお寺です。
路地のような小さな通りにある小さなお寺なので見つけるのに時間がかかりました。


整然とした境内です。本堂は天明大火後の再建。




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常盤御所 光照院門跡

2010-03-22 12:39:29 | 京都の寺社・御所・離宮
同志社大学新町キャンパスの前に三時知恩寺がありますが、この近くの安楽小路には
常盤御所と呼ばれた光照院門跡があります。元は平安後期に藤原基頼という国司を
歴任した受領貴族が安楽光院という持仏堂を邸内に建てて、のちにこれを持明院と
名付けてこれを家名とした持明院家の邸宅で、鎌倉後期からはここを里御所とした
後深草院の皇統(持明院統)の仙洞御所の旧地でもあります。
「安楽光院」「持明院家」「持明院仙洞御所」の旧蹟ということです。

光照院門跡寺史
室町前期の延文元年(1356)に後伏見院(天皇)皇女の進子内親王が泉涌寺で
得度して自本覚尼という法名となり、はじめは室町一条の地に一宇を創建して
光照院と名付け、天台・律・禅・浄土の四宗兼学の道場としたのが起源である。
応仁の乱で僧坊が焼失したため、持明院仙洞御所の跡地でその敷地内にあった
安楽光院の跡地に移転する。開山以来、皇女が入寺して法灯を継承して、
江戸後期に光格天皇から常盤御所号を勅許される。江戸期の石高は458石。
浄土宗 本尊は釈迦如来。

静かな住宅地の一角にあります。通常非公開。華道常盤未生流の家元でもあります。






インターホンを押してご朱印が頂きたい旨を伝えると、尼僧さんが持ってきてくれました。
ご門主かどうかはお聞きしていないのでわかりません。


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薄雲御所 慈受院門跡

2010-03-21 12:30:38 | 京都の寺社・御所・離宮
さて、北野から今出川通を東に進み、堀川通に出たところで寺之内通まで北上すると
2月に訪れた宝鏡寺門跡(百々御所)にまで行きますが、その宝鏡寺に隣接して
慈受院門跡(薄雲御所)があります。

慈受院寺史
現在の慈受院は元々、慈受院と総持院という別々の門跡寺院が明治になって
合併したお寺であり、両寺の開基は足利四代将軍義持の正室慈受院竹庭瑞賢尼(藤原栄子)
である。義持の菩提を弔うために応永34年(1427)に創建された。
慈受院・総持院はともに内親王・宮家子女・将軍家子女・近衛家子女などが代々の
住持を務めていたが、慈受院は江戸期に入り曇華院宮の管掌となる。
総持院は近衛家と花山家から交互して子女が住持となり、宝暦年間(18世紀中期)には
比丘尼御所(尼門跡)に列せられて薄雲御所号を勅許される。
明治6年に慈受院と総持院は合併して、大正8年からは寺名を慈受院とした。
江戸期の石高は総持院が74石、慈受院は98石。臨済宗 本尊釈迦牟尼如来。

慈受院は堀川通りに面してあり、境内の前が月極駐車場となっています。


拝観はできないお寺ですが、毘沙門堂・稲荷大明神・大日如来祠にはお参りできます。




慈受院は通常拝観できませんが、数年前に公開されたことがありテレビも入ったみたいです。
また、慈受院のホームページも公開されています。

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平野神社

2010-03-20 08:00:00 | 京都の寺社・御所・離宮
西大路通に面して、北野天満宮とは道を挟んで隣接するように鎮座するのは
平野神社です。主祭神は今木神・久度神・古開神・比売神の四柱でいずれも
神話に起源を持つ神様ではなくて、衣・食・住・火など日常生活を司る神様です。

北野天満宮が梅の名所なら北野神社は桜の名所。神紋も桜。すでに魁桜が咲いてました。




本殿前の拝殿は後水尾院の后、東福門院よりの寄進。


江戸前期造営の本殿は四殿を並べた「平野造」といわれる独特のものだそうで重要文化財です。


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