黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

竹生島 宝厳寺 ご本尊ご開帳参詣

2009-05-23 21:18:55 | 西国三十三所巡礼
今日は本当は大阪に行く予定でしたが、豚インフル流行で中止になったので
予定を繰り上げて、西国第三十番札所の竹生島宝厳寺へご本尊開帳に
あわせて参詣しました。

宝厳寺へは1年半前の平成20年2月以来2回目です。
前回は翌日に西国巡礼満願を控えた雪の降る厳寒の中での参詣でした。
その時のブログ記事とあわせてお読みください。→前回の参詣記事

前回は彦根港からの乗船でしたが、今回はその対岸の今津港からの乗船です。
小さな船乗り場ですが、乗船客は多かったです。


前回は雪降る冬だったので船内にいましたが、今回はデッキにいて思いっきり琵琶湖の風を
受けました。けっこう寒かった。 約25分で竹生島に到着。


下船後、さっそく観音堂へ直行。ご本尊開帳ということで内陣に入って拝観ができます。
宝厳寺のご本尊は「千手観音立像」 鎌倉時代の作で像高178.5cmの等身像です。
金箔が残るご本尊はとても落ち着いた表情の観音様です。人が押し寄せなければ
けっこうゆっくりと拝観できました。本来は60年に一度しか開帳されない秘仏ですが、
前回は9年前にご開帳、今回は5月末日までで次回は来年の5月に開帳されます。

観音堂入り口の唐門は豊国廟(豊臣秀吉の廟所)を移築。桧皮葺きが美しい。国宝。


重要文化財の五重石塔。鎌倉時代の建立。


宝厳寺に隣接する都久夫須麻神社本殿も国宝。


滞在時間は船の出港までの75分。あとちょっと欲しいかな。
竹生島全景。次回はまた来年の5月に。


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京都 清水寺 ご本尊ご開帳参詣

2009-05-10 11:35:21 | 西国三十三所巡礼
昨日は京都の西国第十六番清水寺へ参詣しました。
昨年秋にもご本尊開帳に合わせていきましたが、もう一度ということで。

今回は3月から5月末までの開帳期間ですが、同時に開山堂(田村堂)の
坂上田村麻呂尊像も100年に1回の開帳ということで。
100年に1回? もう次は絶対に見れないですね。どう頑張っても。
っていうか、今生きている人間は赤ちゃんを含めて誰もムリですね。

坂上田村麻呂は平安初期に蝦夷平定に赴いた征夷大将軍として有名ですが、
清水寺の創建にも尽力した人物として、特に尊崇を受けています。
開山堂には束帯姿の坂上田村麻呂が夫人とともにお祀りしてありました。
脇に坂上田村麻呂の子孫を称する田村家からの献酒が置かれていましたよ。
開山堂は江戸初期の建築で重要文化財。次の開帳は2109年?


清水寺本堂舞台から見える「子安の塔」は修復中なんでしょうか?絵になっていましたけど。




さて、清水の観音様。開帳中はお盆の時期以外は入れない内々陣に入っての拝観です。
お前立ちはご本尊と背中あわせの状態で堂内後ろで間近で拝観できるのも、この開帳中の特典です。

お前立ちには金色が残りますが、ご本尊は黒色。パンフレットによると素地仕上げと
いうことなんで、金箔や彩色は元からなかったんでしょうか?
表情は男性的で目ははるか遠くを見つめられているような感じです。「清水型千手観音」
と言われる手を頭上に高く掲げて化仏を頂く像形ですが、高く掲げた手は下から
のぞきこんで見ないと厨子がかぶって正面から見ただけでは見えません。
だから知ってる人はみんな下からのぞきこみます。同じく秘仏である脇侍の毘沙門天と
地蔵菩薩も開扉されていますし、二十八部衆・雷神風神も普段より間近で拝観できるので
見どころ満載ですね。開帳は5月末まで。次回開帳は24年後になります。

清水寺はけっこうな山の上にあります。五条坂から歩いてのぼってくると
けっこうきついです。仁王門にたどり着く頃には息も切れてしまいますね。


さて、この後はしばらく京都市内にいて昼過ぎに大阪へ。
続きは→「黒駒思いのままの記」で。

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77年ぶり!! 松尾寺 ご本尊ご開帳参詣

2009-05-08 19:37:50 | 西国三十三所巡礼
5月3日は明日香村および壺阪山を歩きまくっていましたが、翌日も朝から今度は
地元・舞鶴の西国第二十九番松尾寺にお参りしました。
こちらもご本尊ご開帳中で、なんと77年ぶりのご開帳だそうです。

松尾寺までは自宅から車で行けば山門前まで30分ほどもあれば到着するのですが、
少しでも歩き巡礼を・・・ということで、今回はJRで松尾寺駅まで行って
駅からお寺まで歩きます。

大正時代の駅舎の松尾寺駅。構内をネコが通り抜けるのんびりした駅。当然、無人駅です。




駅から出るとしばらくは田園地帯を歩きます。


そして自動車道から一旦、近道の近畿遊歩道へ。最近まで荒れ放題で通れなかったみたいですが、
今は草も刈られていて歩くのにはなんの障害もありません。季節柄、ヘビはいますけど。


前日の疲れは特になくて足どりも軽やかに駅から約40分で松尾寺に到着。
午前8時すぎでしたが、すでに自動車で来た人がけっこういました。


西国第二十九番松尾寺、創建は和銅元年(708)に遡ると伝えられていて、
昨年は開創1300年を迎えました。ご本尊は馬頭観世音菩薩。西国札所では唯一の
馬頭観音です。先ほども書いたとおり、本尊厨子の扉が開かれるのは77年ぶりの
ことです。さっそく内陣に入り本尊の間近まで・・・。

像形はお前立ちとほぼ同じです。三面三目八臂で輪王座。お前立ちに比べて秘仏である
ためか金色が多く残っています。また大きく開いた口の中は赤色が鮮やかで歯もしっかりと
見えます。表情はお前立ちは全くの憤怒ですが、本尊は目尻から笑い皺のような筋が
入っているので、笑っているようにも見える不思議な表情です。左面・右面はともに
口は閉じた静かなる怒りの表情で右面のみ小さな牙が見えました。馬頭観音なので頭上に
馬がありますが、白い小さな馬が無表情でちょこんと乗っていて可愛らしかったです。
お前立ちと同じく玉眼なので鎌倉時代以降の作かと思われます。今年の9月末の
閉扉後の次のご開帳は60年後ということなので、地元でもあるしあと何回かは拝観
したいと思いますね。60年後は・・・どうかな?

拝観後はちょっと楽しみにしていたことが・・・。門前にある茶屋の流々亭で抹茶パフェ
を食べること。この茶屋は蕎麦と抹茶が名物です。築100年以上の趣ある建物です。




パフェグラスではなくて器に入ってきた抹茶パフェ。バニラアイスと抹茶アイスの他には
抹茶カステラ(シフォンケーキ?)・白玉・つぶあん・わらび餅など多彩な具が入って
けっこうボリュームあり! 歩き疲れた体にはとても美味しい甘味です。またこようーね!


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壺阪寺 ご本尊ご開帳参詣

2009-05-07 17:46:14 | 西国三十三所巡礼
さて、明日香村から壺坂寺のある高取町へは電車で1駅で距離的にも
歩いていけないことはないのですが、時間の関係でこの移動は電車を使いました。


近鉄壺阪山駅から壺阪山中にある壺坂寺へは歩きです。お寺へは駅前から直通のバスも
出ているので、一般には自動車かこのバスを利用します。

壺阪山駅から壺阪山への道は、まず駅前を少し直進して土佐街道とよばれる石畳の
小道に入ります。城下町らしい古い佇まいの家が多く残ります。


道が細いので本当に壺阪山へ抜けれる道なのか?と半信半疑ながらも進むと
やがて壺坂山口へと到着します。ここで進むべき道が2択。
自動車道を選ぶかハイキングコースを選ぶか・・・。ここはハイキングコースに入りました。
ハイキングコースは人が通らないと荒れてケモノ道になってしまっているところもあるので
不安半分の賭けですけどね。結局はこのような道でした↓↓


途中で道幅も50cmぐらいになって急坂もあるのですが、抜けるといきなり
壺阪寺の門前に出ます。壺阪山駅からはおよそ1時間程の行程でした。




西国第六番札所の壺坂寺、正式には壺阪山南法華寺。ちなみに北法華寺は京都の清水寺です。
創建は寺伝によれば大宝3年(703)にまで遡り、本尊は十一面千手観世音菩薩。
眼病平癒への霊験があらたかということで有名です。こちらの本尊も秘仏ではないので
常時拝観できますが、開帳期間企画として浄布でお身拭いができるということです。

写真左より八角円堂(江戸期)・礼堂(室町中期)・三重塔(室町後期)
本尊は八角円堂に安置されています。礼堂と三重塔はともに重要文化財。






壺阪寺は天竺(インド)渡来の石造物が多いことでも有名です。いずれも現代のものですがでかいっ!






これでこの日の行程はすべて終了です。壺阪山を下るのはバスにしようと決めていましたが
いざバスが来て人が乗ったら超満員になっちゃったんで、結局帰りも駅まで歩きで下りて、帰路へつきました。
この日の万歩計では27777歩。地図上では15kmほど歩きました。

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明日香村を歩く

2009-05-06 08:50:39 | 聖徳太子巡礼
明日香村に観光に来た人のほとんどは飛鳥駅前などのレンタルサイクルで
自転車を借りて明日香村巡りをするのが一般的みたいです。
みんな、颯爽とペダルをこいで遺跡・寺院巡りをしていましたよ。

そんな中、僕は歩き。少々曇天だけど気温は20度を超えて暑い。
橘寺を出て次は飛鳥寺を目指します。飛鳥寺は蘇我馬子による創建で蘇我氏の氏寺です。
創建当時は「法興寺」という寺名でした。平城京遷都とともに法興寺は平城京へと移り
元興寺という寺名で法灯を現在まで伝えています。

飛鳥大仏と称する日本最古の丈六金銅釈迦如来像が本尊です。この釈迦如来は平城京
に移らずにこの飛鳥の地に残りました。


残念ながら飛鳥寺はここまで。受付に列ができるぐらい人の数が多くて、狭い堂内が
人でごったかえしている状況が容易に想像できましたので、今回はパスしました。

そして飛鳥寺を後にして、田園地帯を飛鳥駅に向かって歩きます。
途中には「伝板蓋宮跡」がありました。飛鳥の地は推古天皇以来持統天皇まで
約100年間、宮都が置かれて宮殿も数ヶ所造営されましたが、その遺跡はどれも
確認されていません。そのうちこの「伝板蓋宮跡」はこの地に板蓋宮があったであろうと
する伝承を元に発掘調査が行われて写真のような遺構が発見されました。
しかしこの遺跡は板蓋宮ではなくて、より新しい宮殿遺跡だと推測されるので
「伝板蓋宮跡」とされています。

伝板蓋宮遺跡。向うにあるのは甘樫丘。




このあと近鉄飛鳥駅に入り、次の目的地である壺阪山へと向かいます。
飛鳥駅の名所案内板。多いっ!




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