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黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

豊国神社・方広寺

2009-02-01 10:36:47 | 京都の寺社・御所・離宮
京都国立博物館から徒歩5分ほどのところに豊太閤を祭神(豊国大明神)とする
豊国神社、そして隣接して豊太閤による創建の方広寺があります。

豊臣家が大坂夏の陣で滅亡した後は徳川将軍家によって豊国大明神の神号が剥奪され
豪壮を誇ったとされる豊国神社の社殿は破却されてやがて朽ち果てていったということです。
徳川将軍家による亡き豊太閤に対する執拗な嫌がらせは廟所への参道も
塞いで荒れるにまかせて誰も参詣できないないようにする徹底ぶりでした。
豪壮な日光東照宮に祀られている徳川家康とは対照的に江戸時代を経て
明治を迎えます。そして維新後は名誉回復がなって豊国神社も再興されます。

唐門は伏見城からの移築で国宝


豊国神社に隣接して狭い境内には不釣合いな巨大な梵鐘が目立つ方広寺があります。
その巨大な梵鐘こそ豊臣家滅亡への端緒のひとつとなった「君臣豊楽 国家安康」の銘文が
刻まれた梵鐘です。ちなみに日本三大梵鐘(これと東大寺と知恩院)


白く塗られている箇所が「君臣豊楽 国家安康」の箇所。この文が家康の名前を引き裂いて
呪っているとして難癖をつけます。豊臣家を窮地に追い込むための家康の挑発ですけど。


方広寺は地震や火災で次第に規模を縮めていきます。梵鐘も明治の初めには
野ざらしになっていました。写真は明治初年のもの。


かつては大規模な伽藍を誇った方広寺の遺構である大石垣。


豊国神社門前通の大和大路をそのまま北進するとゑびす神社にたどりつきます。
前回の都七福神巡りではすんごい人ごみでまともに参拝できなかったので
今回はゆっくりと参拝しました。

黒駒思いのままの記」←こちらも見てやってください。

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