橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

美容形成外科医の娘誘拐事件報道

2006-06-28 10:50:51 | Weblog
大金持ちの美容形成外科医の娘の女子大生が誘拐され、救出された。
速報は火曜日の深夜2時頃(テレビ的には月曜26時)。
スタジオではアナウンサーがまじめ顔でニュースを伝えているのに、VTRでは、被害者が自宅の車庫の高級外車を披露している映像や、その外車にリポーターといっしょに乗って、2200万円という車の値段に驚くリポーターに対し、「車だから2200万円て普通ですよねえ」みたいなことをのたまってる映像が延々流れた。
この女医さんは、今はやりのセレブとしてこれまで多数のワイドショーやバラエティに出演していたため
ニュース番組で、これらのVTRが被害者の映像として使用されたのだ。
これじゃあまるで、お前らが金持ち自慢してるから誘拐なんてされるんだよといわんばかりだ。というか、そんなつもりなくてもそう見えてしまう。
テレビのニュースっていうのは、事件が起こった時に、その当事者の映像を自局が持っているかに、その報道の分量が大きく左右される。今回、被害者の側の映像を各局ほとんど持っていたということは驚きだが、速報ニュースを報じる担当者としては、そういえばうちの局の番組にも出てたじゃないか、あれ使え、まさに金持ちを誇示する内容だったんだから、ぴったりじゃん、とでも思ったのだろう。確かにそうだけど、純粋なニュースの中で、今救助されたばかりの被害者がフェラーリ自慢してるところを流すのに違和感感じなかったのだろうか。

たしかに、セレブ自慢番組に出る方も出る方、自業自得という見方もある。視聴者の多くは絶対そう思ってるに違いない。私だってそう思った。でも、でもだ、こうした今回のニュースのVTRは、これまでセレブ紹介番組など見たことも無い人にまで、被害者の金持ちぶりを伝え、彼らに自業自得という感情を起こさせただろう。これまで誘拐の被害者がどんなに金持ちかを延々報じた誘拐報道があっただろうか。ニュースは淡々と事件の事実のみを伝えるべきではないのか。
テレビを見ながら、「自分ばかり金儲けやがって」という世の中のやっかみが透けて見えるようで、気持ち悪かった。
なかには、こうした番組を病院の宣伝につかっていた部分もあったんでしょうねというちょっと皮肉なコメントや、その女医の手術の手法には賛否両論あったとか、誘拐とは関係ないコメントまで飛び出していて、女医とその娘が被害者なんだか加害者なんだかわからなくなってしまった。もし、仮に彼女の商売の仕方に問題があったとして、それを糾弾したい気持ちが世の中に充満してたとしても、それは、この誘拐報道に乗じてやることではないのではないか(もちろんこうしたコメントはほんの一部でしかなかったが)。逆に、美容ジャーナリストみたいな人が出てきて、「被害者の女医さんはかなり有名で人気がある方」というような持ち上げコメントを使っているVTRがあったが、そのコメント必要か?なんも考えずとりあえず撮ってきただろという感じだった。

セレブ紹介番組が視聴率を稼げるからと、そういう企画を頻繁にやってたのはテレビ局のほうだ。ほぼ全局がこの女医母子の映像を持っていたことがそれを表している。テレビがそういう企画を放送しなければ、彼女らも出演することもなかった。
出演する方も出演する方だが、出す方も出す方というふうには考えなかったのだろうか。
そう考えたら、セレブ番組の映像をニュースに多用することに躊躇を感じる気がするのだが。
犯人はテレビを見て犯行を思いついたという報道がされ、こうしたセレブ映像の多用が、自己矛盾をおこして、結果自己批判になってしまっていることにテレビは気づいているのだろうか。

だからといって、こういうお金持ち紹介番組をまったく無くせというつもりは無い。
昔から社長のお宅訪問という企画はあった。けれど最近の金持ち紹介番組には違和感を感じ得ないものが多い。
昔の番組の作りは嫌みがなかった気がする。しゃれになってた。
昔はセレブというより豪快社長列伝みたいなガハハ系がほとんどだったからだろうか。
今は、どこかに制作者のしゃれのない悪意が感じられるものが多い気がする。「セレブのお母様のご趣味は、フランス料理を作ることでいらっしゃるとか。」「お嬢様がお召しになっているお洋服は、なんとオートクチュール」といったような慇懃なナレーションの言い回しは、彼らのライフスタイルをたたえるフリをしながら、テレビ画面のむこう側という檻の中にいる動物園の動物を見るような視線ではないのか(この部分では昔のガハハ系もそうかもしれないが)。彼らの人間性はセレブ(金がある)という一言に集約されてしまって、その他の部分は、先入観に基づいた予定調和なお涙が添付される程度。ああいう番組の作りにやっかみの裏返しみたいな嫌らしい慇懃無礼さを感じるのは私だけなのだろうか?

多分、頑張って働いた結果の「お金持ち」という敬意の視点は今のセレブ紹介には無い。結果としてのお金持ち状態にしか興味は無いように見える。昔も今も、見る側は当然、お金持ち生活を興味本位で見るというのは変わらない。けれど制作者側の制作意図にも全く矜持が無くなって、見たいものだけ見せればいいじゃん、金持ち状態だけみせればいいじゃないってことになっている。それって下品って言わないか?
こうした下品は、ライブドアや村上ファンドやその他のまだ表面に出てきていないもろもろの同種の方々のお金のもうけ方にも繋がるものがある気がする。

世の中が先かテレビが先か、いやセレブと言い出したのは雑誌だという声もあるが、品のない身もふたもない世の中にしてるのは誰だ。
今回の誘拐はある意味そんな状態への警鐘のような気さえした。