ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

北側の窓

2019年10月13日 | 作品を書いたで
 親父が死んで四十九日の法要もすませた。遺産の整理もあらかたすんだが、最後に大物が残っている。家だ。
 JRの駅から歩いて十五分ほど。坂道の途中にその家はある。私たち子供が家を出たあと、年老いた両親が二人ですんでいたが、母が認知症になり施設に入った。父も施設に入れようとしたが、本人は頑として拒否。この家を動かない。ヘルパーさんの世話を受けながら一人でこの家で暮らしていた、私と姉も週になんどか様子を見に行っていた。
 九十を超しているが健康そのものだった父がぽっくりと逝った。これという死因はない。老衰である。
 遺産というほどの財は残ってないが、一枚のメモを残していた。それには「書斎の北側の窓を開けてはいけない」と書かれていた。
 親父は読書家で、小さな書斎で読書している時間が長かった。その書斎は南北に窓があり、南の窓を開けると海を渡ってくる風が心地よい。北の窓は開かない。ガラスを通して北側の道路が見える。道路の向こうは雑木林。ときどき、イノシシが姿を見せる。
「姉さん、お父さんの書斎の北側の窓な。開けたことない?」
 私より長く父といっしょにいた姉に聞いた。
「ああ、あの窓ね。あそこは窓にさわっただけで、お父さん、ものすごく怒ったよ」
「なんやろ。あの窓」
「さあ」
「開けようか」
「やめといた方がええんじゃない」
「普通の窓やで」
「開けたらブラックホールにつながっていて、吸いこまれるよ」
 SFファンの姉はSFっぽい冗談をいって電話を切った。
 家の中はガランとしている。売れるモノは売り、廃棄すべきモノは廃棄した。今は家のガワだけが残っている。その家も売りに出している。今度の日曜日に不動産屋がこの家を見に来る。私と女房、姉夫婦、四人で査定に立ち会う。
「家屋そのものは寿命です。取り壊して更地にする必要があります。更地にすればこのあたりは坪単価丸い数字で五十万です。取り壊すとなると費用がバカになりません。差し引き買値はこんなもんです」
 不動産屋が見せた電卓には信じられない数字が表示されていた。
「ほんまですか」
「査定を依頼している不動産屋はウチだけじゃないでしょう。一番条件のいい所と契約すればいいんではないですか。ウチが一番という自信はありますよ」
「判りました。検討してまた連絡します」
 あと二社に査定してもらったが、最初の不動産屋が最も高い買値をだしていた。
「どうする姉さん」
「お父さんが五十年以上住んだ家がタダ同然ね」
「あのまま置いとっても固定資産税を取られるだけやで」
「そうねえ」
 結局、父の家と土地はあの不動産屋に買い取られることになった。 

 明日、不動産屋の事務所に行って、書類にハンを押せば、あの家と土地は他人のモノとなる。家は取り壊される。
 この家は私も結婚するまで住んでいた家だ。最後に見ておこうとやって来た。さすがにさみしい。二階に上がってみる。私の勉強部屋だった所は物置になっていたが、今は空っぽでガランとしている。
 一階に降りる。一番西側の四畳半の部屋が父の書斎だった部屋だ。今は空の本棚が並んでいるだけだ。
 南の窓を開ける。港に停泊している船の汽笛がボーと聞こえる。この街は港町で、山がすぐ背後まで迫っている。大きな都市でありながら自然が豊かだ。
 北側の窓。開けるなという父の遺言だが、この窓がどうしたというのだ。なんの変哲もないガラスの窓だ。イノシシが二頭見える。どうせ、この家は取り壊されるんだ。開けてやろう。
 開けた。別になにもない。いや。女性がいた。若い女性だ。ずいぶんとレトロな服装をしている。
 こちらを向いた。ん。あの女性。確か父が学生の時下宿していた家の娘さんだ。父の古い写真にいっしょに写っていたのを見たことがある。
「この人だれ」
 父が母に問い詰められてごまかしていたのを覚えている。
 窓を閉めた。