ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

春を贈れず

2021年12月24日 | 作品を書いたで
 今日はイカナゴの新仔の解禁日。午前中に水揚げされたモノが昼前に鮮魚売り場に並ぶ。
 一時間並んでいる。まだ行列はぜんぜん進んでいない。
 まだ迷っている。昨年は店頭に並びさえしなかった。こうして買うことができるだけ、今年はましか。一キロ三五〇〇円。クギ煮にして毎年三軒に送っている。自宅の分もいれると一四〇〇〇円。数年前までキロ一〇〇〇円を切っていた。あのころは七軒に送っていた。自宅のぶんもふくめても一万円でおつりがあった。
 どうしても送りたい人を厳選して三軒にしぼった。
 長野県飯田市の小島さん、岡山の中西さん、松阪の小西さん。
 飯田の小島さんは、阪神大震災のとき、避難させてもらった。一ヶ月世話になった。
 中西さんは息子の塾の先生だった。引退して故郷の岡山におられるが、長男が小学生から大学入学まで教えてもらった。勉強を教えてもらっただけではなく、息子の真の「教師」ともいうべき人だ。
 松阪の小西さんは大震災で家が大破。それを期に松阪へ引っ越されたが、それまで一番中の良いご一家だった。
 ウチの家計は決して裕福ではない。正直、一四〇〇〇円もの出費は痛い。夫は先月入院していた。持病の大腸憩室で出血して、なかなか出血が止まらず一ヶ月の入院。入院費が二〇万かかった。四月は次男の高校入学だ。公立をすべり私学の高校に入学する。入学金やら授業料でかなりの出費だ。一四〇〇〇円もの出費。とてもとても。
 どうする。小島さん、中西さん、小西さん、ウチ。 どれかを削るか。
 小島さんには一ヶ月大変に世話になって、たいへん良くしてもらった。中西さんは長男の恩師であり彼がたいへんにしたっている。小西さんご一家とは長年の家族ぐるみのつきあいで、特に奥さんとは親友といっていい。で、ウチ。ウチのダンナはクギ煮が大好物。飯の友にも酒のアテにも大喜びで食べる。消化器系疾患で退院したばかりだからお酒はまだ飲めないが、朝夕のご飯に必ず出せ、弁当にも入れろという。
 どれも削れない。それでも一四〇〇〇円の出費はできない。さて、どうする。

「プハー」
 ダンナがノンアルコールビールを飲み終えた。
「こんなんじゃ飲んだ気がせんな。メシにするクギ煮出して」
 ダンナはおかずで酒を飲んでしめのご飯は飯のともで食べる。いまの季節はイカナゴのクギ煮だ。

 志村さんから今年もアレが届くかしら。去年の秋はりんごと市田柿を遅らせていただいた。毎年、春にはイカナゴのクギ煮を送ってくださる。ここ長野県は海のない県。だからクギ煮はめずらしく、一キロ送っていただくうちから、ご近所に少しづつおすそ分けしている。
 阪神大震災の時、遠い親戚である志村さんご一家にわが家で避難していただいた。さいわい二階が空いていたので、一ヶ月お世話させていただいた。なにほどのこともしていないのに、大変に恩義を感じていただいたようだ。毎年、春にはイカナゴのクギ煮を送ってくださる。
 ウチは家族全員クギ煮が大好きで、毎年楽しみにしている。

 私は長年神戸で塾の先生をしていた。女子大を卒業して公立学校の教諭になったが、私が考えていた教育と、公立学校の現場の教育は違っていた。三年で公立学校を退職した。学校を退職したが私は「先生」をやめたわけではない。私は死ぬまで「先生」だ。
 塾を開いて私はほんとうの「先生」になった。さいわい生徒たちにはめぐまれた。
 特に志村さんの和夫くんは小学校三年から高校を卒業するまで教えた。素直で頭の良い子で、私の教えることをスポンジが水を吸収するように憶えていった。
 和夫くんと志村さんご一家とは、私が塾を閉じて、岡山へ帰ったからもご厚誼をいただいている。年賀状は欠かさず、毎年、春には神戸の春の味イカナゴのクギ煮を送ってくださる。

 志村さんとウチの子供が幼稚園がいっしょだった。家もすぐ近くで、二人仲良く通園していた。子供二人は大の仲良しで、お互いの家に遊びにいってた。志村さんの奥さんと私も友だちになった。家族ぐるみのおつきあいだ。
 二家族でよく行楽にもいったし、冠婚葬祭などのときは、お互いに子供たちにめんどうを見ていた。
 夫が三重県に転勤となり、ウチは三重に引っ越し、いまでは三重がついのすみかとなった。その後も志村さんとは交流は続き、数年前の夏に伊勢志摩観光に来られたときは、ウチに一泊してもらい、ウチの車でご案内した。
 その志村さんから、毎年春になると、イカナゴのクギ煮がいただく。神戸にいたころは、ウチでもよくクギ煮を炊いた。伊勢湾でもイカナゴは獲れるそうだが、クギ煮にする習慣はこのあたりにはない。ウチは家族全員クギ煮は大好きなので、志村さんからいただくクギ煮はありがたい。

 さすがに、この時期の一四〇〇〇円は痛い。今年のクギ煮はなしとする。
 夫の飲んだあとのご飯の友は瓶詰めの海苔の佃煮にしてもらう。
 小島さん、中西さん、小西さんにも送らない。いままで習慣で送っていたけれど、今年はなしにしよう。
 この三人とは、長年、ご厚誼をいただき、たいへんに親しくしていただいた。これからも、交際を続けたい。でも、ことしのクギ煮はやめることにした。

 小島さんが市田柿が贈ってくださった。中西さんはマスカットをいただいた。松坂の小西さんは松阪牛のお肉を下さった。来年のイカナゴの豊漁を強く願うばかりである。