Ambivalent Blog

e-Tetsuによる「アート」と「釣り」の生活誌

SOAはテクノロジーの問題ではない

2004-07-02 | ◆ビジネス
SOA(Service Oriented Architecture)関連のベンダーソリューションが出揃ったという話。しかし、SOAがテクノロジーを中心としたソリューションとして捉えられてしまうと、極めてオブジェクト指向的な議論となり、またもやシステムユーザーを失望させてしまうこととなろう。

今回中心に据えられるのは、サービスを受けるユーザーであり、システムではない。これまでもベンダー提案は常にユーザーのことを考える振りをしてきたが、結局はシステム中心であり、結局構築されたシステムは顧客囲い込みの道具として使われてきた。今回同じことが繰り返されれば、企業はITを本当に信用しなくなってしまうかもしれない。

脳神経と情報流通の仕組み

2004-07-02 | ◆ビジネス
渡辺聡さんの「コンテンツがコモディティ化した世界で」に触発されて書いている。

インターネットを脳神経に例えるのはよくある議論であり、また、ブログはインターネット上の情報伝達をより脳の情報伝達により近づけるものとも言われている。しかし、そこに記事のテーマである情報の生成と消費のマッチングをいかにして行うか、という話を持ち込むとありふれた議論も面白くなってくる。

以前見たことのあるテレビ番組で、人間がどうして猿の顔を容易には見分けられないのかということをテーマにしたものがあった。実は幼児は猿の顔を見分けることができる。いろいろな猿の顔写真を見せたときに脳波が反応するのである。しかし、被験者の年齢が上がるにつれ、猿の写真を切り替えても脳波が反応しなくなっていく。しかし人間の顔写真であれば反応するのである。つまり、幼児は猿の顔を見分けられるが、生きていくうえで必要とならないその能力は徐々に失われ、人間の顔を区別することにフォーカスが移っていくのである。

番組では、これを脳の神経ルート(情報伝達ルート)の変化によって説明している。つまり、幼少時代にはあった、猿の顔を伝える情報ルートは、使われないがゆえに徐々に細くなり、消失してしまう。一方で、人間の顔を伝える情報ルートは、使われるにつれ太くなり、より多くの情報を伝えられるようになる。

しかしこれも一方的なものではなく、外部の環境変化によって変動していくのである。例えば、失明した人は触覚や聴覚などの他の感覚情報の伝達ルートが太くなり、その感度が研ぎ澄まされていくのである。(猿の研究でもしない限り、猿を見分けることが出来るようになる人は少ないだろうが。)

このような議論から推測すると、情報の生成と消費のマッチングは、社会的関心などの外部環境の変動に応じて変化する情報ルートに依存するのではないかと考えられる。つまり、あるときは特定の情報ルートが良く利用されるために、情報の消費もそのルートに集中し、それ以外のルートで生成された情報は消費されることなく消えていく。しかし、それも恒常的なものではなく、環境の変化によって移り変わっていくものである。

渡辺さんの次のブログが楽しみである。