Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

「イオアン神父の奇跡」 ~医学と平癒祈祷とのあいだで~

2007-07-23 20:28:13 | 統合医学(補完・代替医学)
現代科学は事物の物理化学的解析と統計学的数量的把握を基調とした人知による知識体系である。この仮定義から外れるものとして形態学(解剖学)や天文学などの観察を基調とした記述科学が挙げられるが、これとて現代では数量化される事があるし、そもそも繰り返し生起する現象を見ているので、統計学的思考法に則っていることになる。

さて医学や工学は、この科学を応用せしめんとするものである。医学は専ら治療を目的とし、観察された病態を生理学的に説明し、また或いは病態化学として説明が付けられた反応経路の一部に薬物等を用いて介入するのであるが、この病態生理学なり臨床化学そのものが、もともとは物理化学的な思考法や研究法の応用であるからして現代科学の持つ限界をそのまま反映せざるを得ない。

たとえば各時代の物理学や化学でとらえられない部分はそのまま取りこぼされる。新薬の発見を待たねばならない場合がそうである。また数量化出来ない事項は学問体系からは落され易い。精神医学はもとより、身体医学がこれ程までに物理化学と統計学の植民地となっても、なお科学の数量化戦略からはみ出る部分がある。この現代科学を基調とした現代医学の限界からはみ出た部分について、人々は科学でも把握不能な部分があると認め、後世の治療法等の発見に譲るか、または完全に科学を超えた現象として捉えなおすかの二通りの考え方がある。

「イオアン神父の奇跡」はそんな好例である。医術の限界が見えたとき、癒しの本質が見えてくる。癒しとは何か。治癒されるとは如何なることなのか。治療とはどんな現象なのか。自然治癒力と言う言葉を使う時に、人々は生理学的な恒常性の「システム」を想起するはずだ。ではこの「システム」を動かしている動因・・・つまり「生命」とは何かについてはあまり言及されない。せいぜい「物理化学的機構」が「正常」に「機能」する事がホメオステーシスであるくらいに認識されているのであろう。

細胞がなぜ細胞としての存在を保持できるのか。生命は生命からしか生まれないが、その根源とはなにか?これらの問いに答えられない限りにおいては「イオアン神父の奇跡」を単にまやかしである等との早急な断定をする事は許されないであろう。かのシュレーディンガーですら生命の考察に量子化学を想起しながらも、最後にはインド哲学のような壮大な生命の連綿とした連続性に想いを馳せていたではないか。

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