ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」「通りゃんせ」「陽子の一日」

2013-07-02 16:20:32 | 
「色紙を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹  文藝春秋 2013.4.15

 村上春樹の新作ということで、出版前から大評判だったこの一冊。
 わりと、早く読むことが出来た。
 
 軽そうで重そうで、やっぱり軽いかな?(^^;
 村上春樹ワールドだ。

 リストの「巡礼の年」が、何度も出てくる。
 『ル・マル・デュ・ペイ』
 高校時代のかけがえのない5人の仲間の一人、白根柚木がしょっちゅう弾いていた曲だ。
 ユーチューブで聴きながら読んだ。

 赤松慶  青海悦夫(よしお)  白根柚木  黒埜恵理

 つくるの名前にだけ色がない。

 独りだけ、名古屋から東京の大学に進んだつくるは、20歳の時に突然
 他の4人から絶交を申し渡される。
 あまりのことに、理由を聞くこともせず、ひたすら落ち込んで、
 いつか、その記憶に蓋をしようとする。
 「記憶に蓋をすることはできる。でも歴史を隠すことは出来ない」

 36歳、初めてといえるほど心惹かれた女性は、その過去に向き合うべきだと。

 以下、引用。
 
 p245
  おれは内容のない空しい人間かもしれない、とつくるは思う。しかしこうして中身を欠いて
  いればこそ、たとえ一時的であれ、そこに居場所を見いだしてくれた人々もいたのだ。
  (略)とすれば、つくるは自分が空虚であることをむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

 p317
  魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついている
  のではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、
  脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に
  流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない需要はない。それが真の調和の根底にあるもの
  なのだ。

 フィンランドでの恵理との対話。p322~
  「僕には自身がもてないんだ」「なぜ?」
  「僕にはたぶん自分というものがないからだよ。これという個性もなければ、鮮やかな色彩もない。
  差し出せるものを何ひとつ持ち合わせていない。そのことがずっと昔から僕の抱えていた
  問題だった。僕はいつも自分を空っぽの陽気みたいに感じてきた。入れ物としてはある程度形を
  なしているかもしれないけど、その中には内容と呼べるほどのものはろくすっぽない」
  「たとえ君が空っぽの容器だとしても、それでいいじゃない」「もしそうだとしても
  君はとてもステキな、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと
  本当には誰にもわかりはしない。そう思わない?それなら君は、どこまでも美しいかたちの
  入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり
  好感の持てる容器に」

 p329
  身体の中心近くに冷たく硬いものがあることにふと気付いた。それが胸の痛みと息苦しさを
  生み出しているのだ。自分の中にそんなものが存在することを、それまで彼は知らなかった。
  でもそれは正しい胸の痛みであり、正しい息苦しさだった。それは彼がしっかり感じなくては
  ならないものなのだ。その冷ややかな芯を、自分はこれからすこしずつ溶かしていかなくてはならない。
  時間はかかるかもしれない。しかしそれが彼のやらなくてはならないことだった。そしてその凍土を
  溶かすために、つくるは他の誰かの温かみを必要としていた。彼自身の体温だけでは十分ではない。

 読み出したら止まらない(笑)
 一貫して変わらない 村上春樹ワールドだ。
 
「通りゃんせ」 宇江佐真理

 目覚めたら、そこは江戸時代だった。

 小仏峠の滝で機を失った25歳のサラリーマン・大森連は、介抱してくれた時次郎とさなの兄弟から、
 ここは武蔵野国中郡青畑村で、今は天明六年だと告げられる。
 驚きつつも江戸時代を懸命に生き抜こうとする連に、さなは想いを寄せていく。

 田沼が失脚して松平定信が台頭していく頃だ。
 この知識を聞いた時次郎は、村の領主である旗本の立場を守ることに成功する。
 この村にも天明の大飢饉が迫る。

 とまあ、楽しいストーリーだった。


「陽子の一日」  南木圭士  文藝春秋  2013.1.30

 独りで老いてゆく女医の春の一日。

 陽子、60歳。もう先端医療の現場からは離れた。
 研修医を介して彼女に送られた――過疎の村での終末医療に疲れた元同僚、黒田の病歴要約が
 意味するものは?

 静かな静かな物語。

 p30 落語・粗忽長屋に関連して・・・
 「わたし」は他者の認証を得ないと「わたし」の同一性に確信を持てない。
 「わたし」とはそれほど不確かな概念に過ぎない。

 p159 小学生のとき、陽子が叔父に聞かされた言葉。
 「あのね、陽子ちゃん。お金でしあわせは買えないけれど、多くのめんどうなことは
  避けられるんだよ。そういう意味で、お金は大事だよ」
コメント
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