狭い認識


国別に見ても、日本は特筆した方が良い。
 敗戦と奇跡的とも言われる経済復興、そして「経済的敗戦」とも言われる今日の危機を迎え、ある意味で世界の先がけの位置にいる。
 午前中は政治討論会、午後は市内で行われた「地球に生きる学力」の教育フォーラムに参加した。
 それぞれ知らなかった知識や自分にはまねのできないような実践に学ぶところは沢山」あったが、考え方は違っていても論じている人たち全てに共通したものを感じた。
  政治経済を語る与野党や学者たちは 随所に【グローバル経済】が登場し、教育フォーラムは 文字通り{地球に生きる学力」が登場するのだが、話している中身は いずれも地球を感じさせない狭さを感じた。
経済は日本から見たグローバリゼーションであり教育の「地球に生きる‥」も双方の国の歴史を俯瞰するものだった。
 世界を超えて敢えて(グローバル)や(地球)を使う意味はどこにあるか?
  宇宙に浮かぶ大自然の球体をはっきり背景として認識した上で語ればいいのにと思う。
   特筆すべき日本の役割はそこではないか?
  今は、実質を伴わない言葉使いだが、仕方ないのかなとも思う。

 
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