自然の成り行き




   明治期 国家目標を(富国・強兵)と2本立てで表現してきたが、今流に言えば (平和と繁栄)になろうか。

この二つは 2本立てで別々に組織が作られ別々に議論されることが多いが、

元々 国の存在は 一本立て以外ではない。

       国としては 総合した議論や判断が必要ではないのか。

       諸政策が別々の部署で専門家によって考えられているが、総合して 全体としてどうなるか?は誰が考え その機関は何処にあるんだろう?

       少子高齢化、膨大な子孫へのツケは 社会分業による総合力の欠如の結果ではないかと考える。
        
        似た現象は国家だけでなく 多くの分野に見られ、オールマイティな人間はいないのに 上

下関係で処理される。(行き詰まり)は競争原理とず上意下達がもたらした自然の成り行きだろう。この原理と仕組みの改善が求められる。


        
     
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