どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

深谷隧道を訪ねて

2018-07-28 15:53:51 | 日記
2018年(平成30年)7月14日付 紀伊民報にて
深谷隧道を訪ねて が掲載されました。



最近、原付きバイクで山間部を走る事を楽しんでいます。
そんな中、子どもの頃、祖父に連れられ三川のダムへ行った際に通った
深谷隧道(ずいどう)=田辺市大塔地域=のことを思い出し、現地へ向かいました。

今では立派な深谷トンネルが開通していますが、
深谷隧道への旧道の路面には所々に落石もありました。
原付バイクは、小回りが利くので、トンネル入り口(鮎川側)まで行けましたが、
フェンスが設置され、中に入ることはできませんでした。

残念と思い、周囲の写真を撮りました。トンネル上部にある扁額(へんがく)には、
少し見づらいですが右書きで「祖國再建」と書かれ、何となく重々しい感じを受けました。
今度は、反対側の深谷側からトンネルへ向かいましたが、
こちらの扁額には、左書きで「深谷隧道」と記され、
近くには真砂久一氏頌徳碑(しょうとくひ)が立っていました。

子どもの頃、深谷隧道の記憶といえば“雨の降るトンネル”でした。
トンネルの中なのに、車のワイパーを動かすことが不思議で子ども心に印象に残っていました。
扁額にあった「祖國再建」と真砂氏が気になり、県立図書館で調べました。

大塔村誌以外にも古賀寛著「深谷隧道物語」、そして石碑に記された真砂氏本人の著書
「深谷林道築設当時の思い出」があり、それぞれ読みながら涙が流れてきました。

深谷隧道は1943年10月、太平洋戦争の最中に着工され、49年3月完成。
長さ(641.5m)は当時県内一でした。
開通により、当時の三川村に来たトラックを初めて見た学童が、歓声を上げて集まったとあります。

戦中、終戦、戦後という激動の中、しかも資材がほとんどなく、石のみと金づちによる手掘りであったこと、
想像を絶する困難な状況や社会背景を知り、祖国再建への願いが込められたと想像します。
このトンネルが三川村へ近代化という大きな光を届けた功績は、
近代土木文化遺産に値するのではと思います。




紹介しました著書は、和歌山県立図書館以外にも
田辺市立図書館でも閲覧できます。