ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

太子葬送の道 王子あたり

2021-06-07 20:56:40 | ウォーキング

聖徳太子といえば
まあ歴史上の有名人ですね。



彼のなしたことをあげて行けば
当時の歴史がわかるというような
感じで活躍していますねえ。

かつて高額なお札にも
その肖像が使われていて、
これまた一層ありがたいとされている人です。

その彼がなくなって、
今年はなんと1400年。
それを一言で表すと
太子1400年御聖忌にあたります。

聖徳太子がなした仕事で大きいのは
法隆寺や四天王寺の建設がありますね。
なので、その1400年という
悠久の年月を経て
関連の地で様々なイベントが
行われるようです。

特別拝観案内、特別法話。

う~ん、ありがたいことですねえ。
たくさんのイベントなどが
計画され、おこなわれてきました。
ビッグな歴史上人物ですね。

doironは歩きを趣味とし、
あちこち彼に関する道を歩いてきました。

龍田古道や斑鳩から法隆寺に至る太子道、
そう太子に関連して名付けられた道は
あちこちに太子の痕跡の残る道々でしたね。

聖徳太子は用明天皇の皇子。
蘇我氏の勝利に寄与し、
推古朝では摂政として政権に参入し、
冠位十二階の制、十七条憲法を定めたし、
仏教興隆に尽くしたといわれる人物です。

彼の生涯は聖徳太子絵伝などで
残されています。
で、今回歩いたのは、
その聖徳太子が亡くなられたときに、
お墓まで葬送された
「太子葬送の道」です。

彼がなくなったのも謎めいた最後でした。

自分の死を予告し、
后と共に真新しい服を着て
翌朝二人は息絶えていたそうです。

橘寺に残っている絵伝では、
斑鳩の宮から大阪の太子町にある
叡福寺まで、彼の棺をかついだ
白装束の人々に静かに送られています。

そして絵伝には陵墓の頂に守護鳥が
立って待っているという絵が
描かれています。

そんな道を太子に想いをはせながら、
何回かに分割しつつ
歩いて行くことにしましょう。

まず最初はその道の存在を知った
王寺から南へと進んでいく道です。

この道はもちろん斑鳩の宮から
王寺、香芝を経て太子町へと
続いていますが、
いくつかに分割して歩いてゆきましょう。

王寺は龍田古道でかなり頻繁に
行ったところですね。
そこの駅前の駐車場も
すっかり覚えました。

あと王寺でいってないのは
役所などの中心街ですね。

歩きながらそのあたりも加えて
歩いて行くことにしましょう。



まずは王寺の駅近くの駐車場から
東向いて大和川の方へと
歩いてゆきましょう。



道沿いには前回同様に
様々な人形が置かれています。
動物が寝ていたり、
ここにはフクロウやイルカが・・



あ、一個盗まれていますねえ。
悪いやつがいるもんです。
そんな道をまっすぐ進んでいくと、
大和川に出ます。



太子葬送の道はこの大和川を



しばらく行ったところを、
斑鳩方面から
渡ってきたように書かれています。



なのでそのあたりで道を見つけて



右に折れ、南下するように
進んでいきます。



地名から見て、このあたりには
渡しがあったのかもしれませんね。
そしてこのあたりには
今は線路がたくさん通っています。



JR関西本線、JR和歌山線、近鉄田原本線



が入り組んで走っています。



そんな線路に惑わされないように



南向いて進んでいきましょう。

ここが太子葬送の道という
標識があるわけではないのですが、
それとなく古い道が南向いて
進んでいきます。

そして葛下川まで来たところで、
ちょっと役場方面に寄り道していきます。

王寺はかなり歩いたのですが、
中心街はあまり行ってません。
王寺町役場を目指して
葛下川にそって沿って
歩いてゆくことにしました。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 町内見回り歩き2 | トップ | 太子葬送の道 和の鐘 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウォーキング」カテゴリの最新記事