「ぐるくん」のひとりごと

大好きな海のこと、沖縄のこと。 また今関心を持っている韓国語の学習、韓ドラ・レビューなど気ままな雑記

<303> チャングム考察⑮ 王様の恋

2006年11月14日 | チャングム
 ミン・ヂョンホが王様に自分の配流をかけて、チャングムを主治医官にするよう決死の嘆願をした後、王様は愛について考え込んだと推察。

 良かれと思って王様にチャングムとチョンホの中をばらしちゃったヨンセンは、その後の事態を知り、慌ててまた王様の元に馳せ参じ、「私の勘違いでした~~」と泣きを入れる。

 王様はその事には直接答えず、「淑媛(スグォン)は余に恋しておるか?」と逆に尋ねた。

 思いもよらない質問にただ驚くヨンセン。

 「はい」とも答えられなかったのが痛いw


 王様は一人呟くように「恋とは何んだ?」
 「恋か・・・」
 「愛し方か・・・」そして笑いだす王様・・・

 ヨンセンの部屋に再びチャングムを呼び、独対する王様。


 ここから第53話の中でNHK地上波放送からカットされたシーン。

 「最愛の夫人、シン氏を廃し、その父親を死に追いやり、余は王になった。」
 「この座には恋心など入る余地はないと悟った。」
 「廃妃シン氏が仁王山(インワンサン)の岩の上にチマを掛けたが、余は見ることも出来なかった。」
 「臣下たちに『腸薬を渡せ』と言われそうだったからだ・・・」
 「そうして愛する人を失った。」
 「それから数年、多くの妃と嬪がいたが、それぞれの勢力を代表する頭にすぎぬ。」と、チャングムに心情を吐露する。


 この廃妃シン氏とは、中宗の最初の奥さんで、1499年中宗がまだ12歳、晋城大君(チンソンテグン)の時に結婚している。

 今の感覚からするとどえらい早婚だが、当時の王族にとってはごく当然の婚姻だったようだ。

 中宗の病弱な世子(後の仁宗)にも、幼い妻がいて、病床にある時は皇太后や異母ではあるが文定(ムンジョン)皇后と並び、見舞っている姿があった。

 1506年の「中宗反正」で王に担ぎ上げられた後は、妻、慎(シン)氏も端敬(タンギョン)皇后となった。

 ドラマのオープニング・ロールの映像をよく見ていると、セピア色で二人の即位(結婚式)のシーンが写っている。


 しかし、慎氏の父方の叔母が暴君、燕山君(ヨンサングン)の妃だった事から、臣下の反発を買い、これを理由に廃位される。

 中宗の願いも結局は聞き入れられず、別れさせられた訳だ。

 その後中宗は、慎氏を思い出し王宮の楼閣から慎氏が戻された実家のあると思われる方を眺める程だった。

 慎氏の実家もこの王様の様子を聞き、王宮と対峙する仁王山にある岩にチマ(あのきれいな女性の韓服の下の方、ロングスカート部分w)を巻きつけ、王様の思いに答えようとしたと言う。

 チャングムの語った王様の言葉からだと、慎氏のチマの話が耳に入った王様は、今度はあえて、その方角を見ないように心掛けたようだ。

 廃位だけじゃすまないと言い出す臣下の声を恐れて・・・

 この中宗の悲恋は「チマ岩の伝説」となったそうだ。


 確か13話で、宮中の味噌の味が悪くなった時、トックおじさんが占い師から「廃妃慎氏の恨み」とのご宣託を受け、こっそり宮中の味噌甕に白いチマをかけ、慎氏の怒りを静めようとして、夜回りのチョンホに捕まってたw


 王様にとっては12歳の時に結婚して知り合ったであろう慎氏がまさに初恋の女性であったようだ。
 
 慎氏との間には子供はない。

 1507年、二番目の皇后として章敬(チャンギョン)皇后(16歳)が就く。

 1515年、世子様を生んだ後、亡くなった。(単純計算で24歳?の若さで・・・)

 世子もその姉にあたるご飯の匂いが受けつけず食事が出来なくなった孝恵公主(姫様)も繊細で病弱・・・お母さんの体質なんだろうか?

 その2年後の1517年、三番目の皇后、16歳の文定皇后が就く。

 ドラマでも男勝りの気性をにおわす皇后だが、1男4女を生んでいる。

 この一人息子こそがどこでうつって来たのかw天然痘になった慶源大君(キョンウォンテグン)だ。

 皇后が必死なったのもうなずける、大事な王位後継者候補と言う訳だ。


 中宗は生涯に3人の皇后と7人の側室を妻とし、9男11女を授かっている。

 字幕の台詞にあった妃と嬪だが、「妃」は皇后、「嬪」は女官の位階の正一品の地位だが、この時の王様としては側室をひっくるめて表現していると思われる。

 正五品の「尚宮」までは側室と言うより、宮で働くいわゆる女官。

 それから上の位階が王の後宮に入る。

 正四品「昭媛」  従四品「淑媛」←ヨンセン 
 正三品「昭容」  従三品「淑容」
 正二品「昭儀」  従二品「淑儀」
 正一品「嬪」   従一品「貴人」

 後宮の頂点に立つ正妻で内命婦を仕切る皇后には位階はない。

 ヨンセンがたった一度の王様のお手つきで「特別尚宮」となり、お付の内人たちからも馬鹿にされる冷遇時代から、王の姫を出産する事で「淑媛」に昇格したように、後宮でも王様の寵愛の度合いなどから若干の異動はあったかもしれない。

 しかし、大概はその生家の格で決定していたようだ。

 王族の出身だとか両班の娘だとかで・・・
 

 一国の王様として、自分の初恋にどっぷり浸かっている訳にもいかず・・・閨房もまた公務なのだから・・・王様も大変だ。


 チャングムを愛していると自覚したものの、後宮入りを中止させる王様。
 「権力の狭間にお前を連れ込みたくないのだ。」
 「お前の志に惚れたから、お前を抱かぬ。」と・・・

 もし、チャングムが後宮に入るとしたら、位階はなんだったんだろう?
 ちょっと知りたい気もする。

 特別称号「大長今」を与えた王様は、正三品にあたると言っていたから、男性の役人なら「令監(ヨンガム)」と呼ばれる。

 同副承旨(トンブスンジ)となったチョンホも正三品w

 やはりカットされていたが、内医院の医女らが、これからチャングムを呼んだらいいかと相談している時、チョドンが「ヨンガム?」なんて言っていたけ・・・


最新の画像もっと見る

コメントを投稿