「ぐるくん」のひとりごと

大好きな海のこと、沖縄のこと。 また今関心を持っている韓国語の学習、韓ドラ・レビューなど気ままな雑記

<239> チャングム考察⑬ 昭格署

2006年07月17日 | チャングム
 チャングム36話のラストは中宗の母、貞顕(チョンヒョン)母后が老患で具合が悪いのにも関わらず、急に内医院の担当医務官シン・イクビルの診察を受けることを拒むシーンだった。

 慌てて皇太后殿を訪ねる中宗と文定皇后を前に、すっかりへそを曲げている皇太后は、「昭格署(ソギョクソ)廃止以来、私を無視している。」と言い出す。

 「?」状態の中宗に背を向けるようにいじけて「親類のイ・ヒョヌを罷職して・・・劣った医官を私に・・・」と続けた。


 左賛成&チョンホチームに出し抜かれた形で功臣田を取り上げられそうなオ・ギョの形勢奪回を買って出たチェ女官長の言っていた「最後の頼みの綱」って言うは皇太后の事だった。

 チェ女官長に入れ知恵された皇太后は憤慨して↑のような態度に出たと言う訳だ。


 「昭格署」と言うのは道教に関連する行事(宮で行う雨乞いなど)や「三清殿(サムチョンジョン)」の祭祀を主管する官庁だ。

 「三清殿」は「道観(道教寺院)」内に建てられた、道教の最高神格「三清」を祀る場所で、道教における天上界の最高天「玉清(オクチョン)」、「上清(ハチョン)」、「太清(テチョン)」の三位を祀っていた。


 中国から仏教と共に入ってきた道教は「老子思想」と共に陰陽五行説やシャーマニズムと融合して、宮でも国事の吉凶を占ったり、様々な祈願をする対象となり、民間にも広く浸透していく。

 「風水」なども含まれる。

 しかし朝鮮王朝は徹底した崇儒策をとっていく中で排斥された仏教同様、道教を排斥する動きが出てくる。

 王室と道教排斥を唱える儒臣とがしばしば対立するが、1518年(中宗13年)チャングムでは度々名前だけが登場する大物、趙光祖(チョ・グァンジョ)が迷信打破を旗頭に、宮中の「昭格署」を廃止した。

 かなり徹底したもので、三清殿の神体も土に埋められたと言う。

 これらの改革推進派に反発した旧勢力を中心に、翌1520年には「己卯士禍」が起こり、趙光祖一派は一掃される。

 「昭格署」の廃止からずーと、皇太后が自分は無視されていると思い続けていたかどうかは定かではないが、「昭格署」廃止には不満を持っていた王族の一人には違いないだろう。

 史実でも1525年「母后、病中復活」とある。

 ハン尚宮とチャングムが趙光祖らと関係をもったとされ大逆罪に問われた「アヒル事件」以来、5年をかけてから医女として宮中に戻ってきたチャングムの人生の軌跡をこんな歴史からも感じ、改めて凄い女性だな~と唸ってしまう。


 チャングム父、チョンスが燕山君の生母、廃妃ユン氏への賜薬の命を受け履行後、その罪悪感から泥酔して竹林を彷徨った際、洞窟で彼を介抱してくれたのが道教の老師様(仙人?)だった。

 老師は「妗」「順」「好」の三文字をチョンスの運命を握る三人の女だと告げて、煙のように姿を消してしまう。

 その後、この三文字を破字(パジャ)、解読してくれたのは山奥の寺の住職だった。

 排斥しても思想や信仰は立ち消えるものでもなく、表舞台からは離れても脈々と伝承されている事がこんなシーンからも伺える。


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